日々の泡。

popholic diary

2023年に観た映画の話。

ということで2023年マイベスト映画は

①あしたの少女

②バービー

③福田村事件

④aftersun/アフターサン

ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME3

⑥午前4時にパリの夜は明ける

⑦大いなる自由

⑧正欲

⑨窓ぎわのトットちゃん

⑩CLOSE/クロース

 

とこんな感じになりました。今年も様々な映画を観て、学ぶことも多かった。その中で1位として挙げたのはチョン・ジョリ監督「あしたの少女」。社会の歪み、そのしわ寄せが若い人たちを苦しめている。未来があるはずの若い人たちに対して、こんな酷い社会にしてしまったという罪の気持ち。これは僕も含めた大人の責任である。映画からそんな社会に対する怒り、そこに抵抗しなければという使命感が強く感じられた。自分も残り少ない人生、より良い未来を若い世代に残すためにできることがあるなら身を捧げたい。そんな気持ちもあり今年の1位に挙げた。

ではそれぞれの映画について、このブログ内に書いた観た時の感想を抜粋しつつご紹介

①チョン・ジュリ監督「あしたの少女」

学校から指定された大手企業のコールセンターで実習生として働き始めた高校生のソヒ。当初の話とは違い、厳しい労働環境の下で過酷な労働を強いられるソヒ。コールセンターで企業の矢面に立たされきつい言葉を顧客からは投げつけられる、成績を貼り出され上司からは激しい叱責を受け、成績が上がっても成果報酬は与えられない。両親も学校も現状を理解できず通り一遍の言葉を与えるだけ。勝ち気で前向きだったソヒは徐々に疲弊し追い詰められていく。そしてついにソヒの心は壊れてしまい自ら命を絶ってしまう。2017年に実際起こった事件をモチーフにした作品。映画の後半はペ・ドゥナ扮する刑事ユジンが彼女がなぜ自殺に至ったのかを捜査していく。そこに浮かび上がってくるのは極端な競争社会。会社も学校も労働庁も、社会の仕組みそのものが経済に飲み込まれ競争の原理で人々を壊していく。皺寄せは弱い者へ弱い者へと向かい、ついには10代の少女にまで及んだのだ。ユジンは怒りを爆発させる。だがその声はどこにも届かない。映画は憤りを抱えたままに終わる。それはこの問題が今もまだ続く現在進行形の問題だからだ。映画の原題は「NEXT SOHEE(次のソヒ)」。またソヒを見捨てるのか、それともソヒを守るのか。

ソヒを演じるのは新人キム・シウン。溌溂とダンスを踊るシーンから疲弊し打ちひしがれ、疲れ切った先で最後の一線を越えてしまう姿まで見事にソヒとして生きる。ペ・ドゥナ演じるユジンは彼女の無念さを想い、彼女をそこまで追い込んだ社会への怒り、憤りを心の奥から燃え上がらせる。それは監督はじめ制作陣の気持ちだろう。このことを多くの人に訴え世界を変えなくてはという使命感がこの映画を作らせたのだ。この問題は決して隣国だけの話ではない。今まさに我々も進んでいる道じゃないか。だからこそ目をそらさずにしかと観るべき映画だ。

グレタ・ガーウィグ監督「バービー」

最初に言うと、大傑作!素晴らしかった。いやはやバービー人形を題材によくも、まぁここまでの話にしたもんだ。主演のマーゴット・ロビーがプロデューサーを務め、監督・脚本がグレタ・ガーウィグと聞けば、単なるエンタメ作では終わらないだろうし、一筋縄ではいかない面白さがあるだろうとは思ったが、予想の遥か上を行く大エンタメ作にして、ジェンダー問題のみならず生きるとはという深いとこまで切り込んでいく強力な一本。ポップでキッチュなバービーランドのワクワクするような楽しさ。そこはバービーたち女性が取り仕切る世界でケンたち男はあくまでバービーの添え物。現実社会を反転させたような世界。そしてケイト・マッキノン演じるヘンテコバービーに導かれ人間社会に向かうバービーとケン。人間社会で二人が見たのは男たちが取り仕切る社会。笑ったのはバービー人形を販売するマテル社。男ばかりの重役会議。社長を演じる名コメディアン、ウィル・フェレルが最高!有害な男らしさを徹底的にシニカルに茶化したキャラを嬉々として演じる。これがもう全部面白い!で人間社会でバービーは自信を失い、ケンは目覚める。ケンはバービーワールドに舞い戻り、裸にミンクのコートを着て男社会を作り上げる。バービーを救うのはかってバービーで遊びマテル社に入ったものの受付係に追いやられているグロリア。はたしてバービーはバービーランドを取り戻せるか…ってなところから思いがけないところにまで連れて行ってくれる。まぁもう最高。フェミニズム映画なんて雑に括れるような、そのレベルの映画ではない。グレタ・ガーウィグ監督が今までも描いてきたように様々な常識(と呼ばれるもの)や偏見、そんなものを吹き飛ばして自分自身を生きていいんだという痛烈なメッセージが込められている。女は笑顔でいる必要はないし、男だって泣いていい。家父長制、有害な男らしさからバービー人形の歴史まで全部まとめてシニカルでキレッキレのブラックジョークで斬りまくる痛烈なコメディにして、アセクシャルメンタルヘルス、死に至るまでをも網羅する「君たちはどう生きるか」という哲学が込められた映画。でバービーと同時にケン(男たち)の物語でもある。ケンもまた様々な経験を経て自分自身を取り戻すのだ。ケンを演じるライアン・ゴズリングがまたまた最高!歌にダンスに大ボケに大活躍。この映画を観て救われたり勇気をもらえるのは何も女性だけじゃない。それにしてもマーゴット・ロビー素晴らしすぎる。「プロミシング・ヤング・ウーマン」「ハーレイ・クイン」そして今作とプロデューサーとしても一本筋が通っていて、グレタ・ガーウィグ監督との邂逅も必然と思えるし、それをしっかり成功させる手腕も凄い。とにかく「バービー」観るべき映画です!

森達也監督「福田村事件」

舞台は1923年、千葉県福田村。朝鮮から生まれ故郷である福田村に妻・静子とともに帰ってきた元・教師の澤田。村の教師にと頼まれるが頑なに断り百姓として暮らし始める。モダンなファッションに身を包みどこか浮世離れした妻・静子との夫婦生活は破綻寸前である。映画の前半では彼らを中心に登場人物たちの日常を丹念に描いていく。デモクラシーに未来を夢見る村長の田向、軍服を着て虚勢を張る在郷軍人会の長谷川、夫が戦争に行っている間に不貞をした咲江、その相手は村の中でもはみ出した存在である船頭の倉蔵。一人息子は妻と父の間にできた子ではないかと疑う茂次…映画は時間をかけて村に暮らす人々の生活を映し出す。のどかに見えて、どこか閉鎖的で排他的、噂話は広まり見えない呪縛がそこかしこにある。じわじわとそれぞれの心に不満や鬱憤、憎悪が広がり村全体を静かに支配していくのがわかる。一方、新助率いる薬売りの行商団は四国の讃岐から関東地方に向かっている。時にインチキ臭く、時にあくどく薬を売りながら東に向かう。彼らは被差別部落民であり、行商団には男、女、妊婦や子供まで様々な人がいる。立場も思想も違う多くの人たちの視点が交差する。

そして1923年9月1日、関東大震災が発生。混乱と不安の中、「朝鮮人たちが略奪、放火をしてまわっている」「集団で襲ってくる」というデマが放たれる。そして人々の心に充満した不満、鬱憤、憎悪に恐れが加わり一気に暴力として燃え広がる。福田村にも暴力の炎は及ぶ。行商団の一行を「朝鮮人に違いない」と取り囲み、一触即発の中、ある人物の思わぬ行動により一気に暴力は爆発する。澤田と静子、田向、倉蔵は必死に止めようとするが、爆発する暴力の前で彼らは無力で非力だった。妊婦や幼い子供たちまでもが無残に殺されてしまう。「朝鮮人と間違えられ殺された」だがそれだけだろうか。行商団の新助は問う「朝鮮人なら殺してええんか?」と。その問いの答えは見つからないまま、彼らは「殺してもいい者」と認定され切り捨てられたのだ。暴力とは無縁だった人たちがちょっとのきっかけで加害者となり、右へ倣えでいともたやすく人の命を奪う恐ろしさ。知性や理性、人が人として積み上げてきたものがあっけなく崩れていく様に心がひどく動揺した。先にも書いたように立場も思想も違う多くの人たちがこの映画には登場する。右も左もノンポリも、差別する者、差別される者、威張ってる者、卑屈な者、自由な者、縛られてる者、幸福な者、不幸せな者、様々な視点が交差する。誰もが誰かに自分を映して映画を観ることになるだろう。事件を目の当たりにしたリベラル派の村長の顔が忘れられない。なす術もなくへなへなと座り込み、小さな声で言い訳するしかないその非力さ。俺は止めたんだ、でも止められなかった、ただ見てるしかなかった。彼が夢見た理想の未来が今まさに音を立てて崩れ去ってしまったのだ。僕はこの男に自分を観た。加害を扇動した在郷軍人会会長の梯子を外された末の慟哭にも心が揺れた。いけすかない威張りん坊で、デマに踊らされ正義の名のもとに人としての一線を越えてしまう。そしてそれが間違いだったと咎められ彼は慟哭する。彼もまた「お国」に切り捨てられたのだ。

この映画に出てくる人たちは皆、何事もなければ普通の人だ。特別善人でもなければ特別悪人でもない。良い面もあれば悪い面もある。そんな普通の人間だ。誰が正義で誰が悪かなんて単純な二元論は通用しない。それぞれの中に正義があり悪がある。平時にはバランスを保っていてもちょっとしたきっかけでどちらにも転んでしまう。そして状況によっても正義と悪は反転してしまうのだ。

だがこの映画には映されない明確な悪がいる。混乱に乗じて意図的にデマを流し、朝鮮人を、中国人を、沖縄人を、障碍者を、被差別部落民を、社会主義者を、バカな愛国者を、自分たちにとって不都合で邪魔な者たちを切り捨てようとした悪が。それは今もこの国にいる。そして国のど真ん中で権力を握ってる。過去を反省せず、歴史を修正し、100年前のデマを今もまだ流し続けている。

ラスト、小舟の上で交わされる澤田夫妻の会話は、映画を観ている観客への問いかけのよう。この舟の行き先を決めるのはあなたたち一人一人だと。

監督以下この映画に携わった全ての人に感謝したい。事件から100年。2023年の今、公開される意味、意義、100年という時間の重さ。今年観るべき映画だし、今後観続けられるべき映画だと思う。一人でも多くの人にこの作品を観て、感じ、考えて欲しい。そしてこの映画がきっかけとなってこの国の負の歴史を見つめ考え語る映画が増えることを願う。

で俳優陣が素晴らしかった。井浦新の繊細さ、田中麗奈の自由な魂、永山瑛太の胆力、東出昌大の身体性。弱さを巧みに表現して見せた豊原功補も、鬱屈からの激しい暴力性を爆発させた松浦裕也も、気高さと強さを秘めた木竜麻生の表情、生と性の激しさを静の中に込めたコムアイ、様々な視点にリアルを与える演技だった。そして特筆すべきは水道橋博士!インテリで裕福な出であろう澤田や田向とは違い、博士が演じた長谷川は自分を押し殺し泥水を啜ってきたのだろう。一番の憎まれ役ながらそんな歴史すら感じさせ、ただの悪役で終わらない。コンプレックスやルサンチマンを軍服で隠し、虚勢を張ることでしか自分を保てない男の歪な在り方を見事に演じていた。ファンであることを差し引いても本当に素晴らしかった!

あと鈴木慶一さんの音楽も素晴らしかったなー。美しくもどこか歪んだメロディと同時にピアノで刻まれるリズムの不穏さ、そして人々の心の動揺、鼓動の早まりを現すような和太鼓の激しさ。村に漂う空気が音楽で見事に表現されていた。改めて、慶一さんの音楽家としての凄味を感じたな。

という訳で必見です。

④シャーロット・ウェルズ監督「aftersun/アフターサン」

11歳のソフィと離れて暮らす若い父・カラム。ひなびたリゾート地で二人が過ごしたある夏の日々。買ったばかりのビデオカメラで撮られた何気ない瞬間、瞬間。その時の父と同じ年齢になったソフィが、その映像を観ながら思うことは…。人生の夏を迎えようとする娘と、人生の夏を終わろうとする父が過ごす濃密な時間。楽しい想い出での底には悲しみや痛みが潜んでいる。その時にはわからなった父の想い。今にも壊れてしまいそうなほど繊細で、余白や行間から漏れ出してくる何か。素晴らしかった。胸の奥に引っかかって、忘れられなくなる。そんな映画。

ここのところ、自分の古い日記をこのブログに移設していてまさに自分が20代から30代になる頃、仕事も何もかも不安定な中で、幼い娘と過ごした日々を綴った日記を読み返していた。ま、映画と比べるとはるかに呑気なもんだが、それでもどこか重なる部分があって、後半はずっと涙目状態になってしまった。「aftersun/アフターサン」本年度ベスト級の傑作。

ジェームズ・ガン監督「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME3」

宇宙のはみ出し者たちが活躍するスペースオペラの完結編。宇宙からの刺客に襲われ瀕死の重傷を負った銀河一狂暴なアライグマ、ロケット。盟友の命を救うためガーディアンズのメンバー達が、最強の敵に戦いを挑む。明かされるロケットの過去に涙し、ガーディアンズ達の熱き友情、深い絆に心動いた。それぞれが過去と向き合い、再び立ち上がる。勝ち組ではないが負け組ではない。そう彼らは負けない組なのだ。倒れても倒れても砂を掴んで立ち上がる。そんな彼らが迎える最高のエンディング。誰一人取りこぼさず、皆を抱きしめるような素晴らしき完結編。もちろん音楽も最高!マーベル史上屈指の気持ちのいい傑作!

⑥ミカエル・アース監督「午前4時にパリの夜は明ける」

80年代のパリが舞台。夫が家を出ていき、一人で二人の子供を養わなければならなくなったエリザベート。眠れない夜に聴いた深夜ラジオ、ひょんなことからそのラジオ局で働くことに。そこで家出少女タルラと出会い、家に招き入れる。エリザベート、タルラ、そしてエリザベートの息子マチアス…登場人物たちはそれぞれ不安を抱えゆらゆらと揺れている。それでも毎日を懸命に生きている。時に反発しあい、時に支えあい。そんな彼女たちを深夜ラジオが優しく包む。そして日々は過ぎ、ふと振り返る。失敗を繰り返しながらも何とかこうして生きてきた。成功したとはいいがたいかもしれない。勝ち組なんてものでもない。でも確かに自分は生きてきた。不器用で不格好で不細工な人生だとしても、自分の足で歩いてきた軌跡がありそれこそが人生の奇跡なのだ。いやーこれは染みたなー。別に何が起こるって話でもないんだが、グッとつかまれた。エリザベートを演じるのはシャルロット・ゲンズブール。同世代。初めて彼女を知ったのは高校生の頃で、フランスの超絶美少女に心ときめかしたもんだが、いや今の彼女こそが素晴らしい。

セバスティアン・マイゼ監督「大いなる自由」

舞台は戦後のドイツ。男性同性愛を禁じる刑法175条。ハンスはこの175条違反で投獄される。同房となった懲役囚ヴィクトールは同性愛者であるハンスを嫌悪し時に暴力すら振るう。だがある日ハンスの腕に刻まれた数字から彼が同性愛者ということでナチス強制収容所にいたことを知る。自分を曲げることなく20年に渡り釈放されては投獄を繰り返すハンスと長期間服役するヴィクトールの間には不思議な絆が芽生える。理不尽な法に抵抗し続けるハンス。少ないセリフながら、しっかりと彼の怒りや悲しみ、尊厳を守ろうとする気骨が感じられる。ヴィクトールは長期服役の中でヤクに溺れ、釈放されることに恐れを抱く。ハンスはそんなヴィクトールに寄り添う。やがて175条は撤廃されハンスの罪は罪でなくなる。彼は自由を手に入れるが、映画はさらに踏み込み「大いなる自由」とは何かを問う。ハンスが求めた自由とは、ヴィクトールが得た自由とは。実に力のある作品。これまた素晴らしかった。

⑧岸善幸監督「正欲」

ショッピングモールの寝具店で働く夏月は代わり映えのしない毎日を鬱々と過ごしている。ある日中学時代に転校していった佐々木が街に戻っていることを知る。検事の寺井は不登校の息子と妻との3人暮らし。寺井は「人とは違う息子」の気持ちが理解できず、妻との仲もうまくいかなくなっている。誰にも理解されない性癖を抱え、社会と馴染めず孤立していく夏月や佐々木。一方の寺井は普通であることに囚われ、自分の「普通」に当てはまらない人の存在や現実や気持ちをまるで理解することができない。そんな「普通」「普通じゃない」の間で揺れる人々の姿を描く。一般的な人々の理解の範疇から逸脱する夏月と佐々木だが、共通の性癖を持つ二人だけは気持ちを通じ合わせ深く理解しあう。一般的な男女関係とはまるで違うが二人は強く深い部分で繋がりあう。理解と共感が2人を救うのだ。ある事件をきっかけに夏月と寺井は対峙する。このラストシーンが素晴らしい。社会的にも成功者である寺井が突きつけられる敗北感。普通や常識の中で巧く立ち回っているが、真の理解と共感を得ていないは誰か。お前はどうなのだと観ている者にも突きつけてくる。「君が僕を知っている」そんな物語だった。

夏月を演じるのは新垣結衣。苛立ちを滲ませ鬱々とした日々を過ごす前半、やがて理解者と過ごす日々で柔らかくなっていく表情、最後に寺井に突きつける言葉と視線。素晴らしかった。そして佐々木を演じるのは信頼と実績の磯村勇斗。この人が演じるなら大丈夫と思わせる若き名優。今回も間違いない。寺井を演じるのは稲垣吾郎。これがもう絶品。表面上は人当たりの善い常識人、だが常識に凝り固まりそこから抜け出せない頑なさと正論を振りかざす暴力性。そして最後に見せる戸惑いと揺らぎ。でそれぞれが高いレベルの演技を見せる中、一番惹きつけられたのは男性に近づくことができない女学生を演じた東野絢香佐藤寛太演じる大也(彼もまた心に大きな葛藤を抱えている)とのシーンで見せた演技は胸を打つ名演で本当に素晴らしかった。完全に名前を覚えた。これから間違いなくどんどん出てくると思う。

⑨八鍬新之助監督「窓ぎわのトットちゃん」

正直、予告編観た時はまぁ観ないでいいかと思ってたのだがネットでの評判に興味を持って観に行くことに。結論から言って大傑作だった!原作は81年に出版された黒柳徹子が自身の幼少期を描いた大ベストセラー。当時、母が買って家にあったので子供の頃読んでるのだがもうほぼ忘れている。落ち着きがなく小学校を退学させられたトットちゃんが新しく通うことになった「トモエ学園」。電車が教室のちょっと変わったこの学校でトットちゃんが過ごした日々が描かれる。生徒の個性と自主性を尊重するトモエ学園の小林校長先生。強い信念のもとに運営される学園だが、時代は第二次世界大戦の最中。まだ幼いトットちゃんたちの学園生活の中にもやがて戦争の影が入り込んでくる。その描写が実に細やかで素晴らしい。あくまで背景としてそれはあるのだが、大人たちの世界にあったそれは徐々に徐々に子供たちの世界にまで広がってくる。ラスト近く映画のクライマックスとなるトットちゃんの疾走シーン。その背景にはもはや戻ることのできないまでに戦争に覆われた世界が広がる。僕らの世代にとって黒柳徹子さんはずっとテレビの世界にいる人だ。小学生の頃から「ザ・ベストテン」を観てた。早口でお喋りでひたすら明るくパワフルなおばさん。でも思い返してみれば、番組の中で黒柳さんは戦争や差別をすることの愚かさ、弱者に寄り添うことの大切さを常に伝えていた。映画は彼女の信念の核、その原点を丁寧に描いている。小児麻痺を患った泰明ちゃんとの出会い、彼から託された一冊の本、そして何よりトモエ学園で培われた自由な魂を彼女は忘れることなく今もなお大切にしていることがわかる。そしてそれをテレビを通して日本中に伝えていたのだ。で予告編を観た時ちょっと戸惑ったのはその絵。はっきり言って今どきのアニメ絵でもないし、なんとも言えない違和感があったのだが映画を見終えた今となってはあの絵がとにかく素晴らしい。うっすらと赤い頬に唇、昭和初期の少女雑誌のようなキャラクター達の絵柄。そして背景は誰もがトットちゃんからイメージするいわさきちひろさんの絵の世界を再現するかのような淡い水彩画のようなタッチ。映画の中に3ヶ所、まさにアニメーションでしか表現しえない幻想的でイマジネーションに満ちたシーンがある。トットちゃんたちの心に広がる美しく豊かな世界。実に素晴らしく感動した。

原作が発表されて40年以上、あまたあった映像化のオファーを断り続けた黒柳徹子さんが今、この作品の映像化にGOを出したのには意味がある。世界ではリアルタイムで戦争が起き、虐殺が起きている。今こそ世界が大切にしなければならないのは、トットちゃんがトモエ学園で培った自由な魂だと思う。勇ましく戦争を語り、差別を煽り、分断を生み出す、そんな大人たちや政治家のいかに多いことか。戦争や差別の愚かさを、弱者に寄り添う大切さを語り伝え続けた黒柳徹子さんの自由な魂を継承していく義務が自分にもあると思っている。ということでぜひ多くに人に観ていただきたい。幼いお子さんでもたとえ意味が分からないとしても、そこで描かれるちょっとした切なさや悲しみ、何より自由な魂というメッセージをしっかり感じとることはできると思う。むしろ小さなお子さんほど感じることができるかも。とにかく大プッシュ!おすすめです。

⑩ルーカス・ドン監督「CLOSE/クロース」

13歳のレオとレミは幼馴染の大親友。四六時中一緒にいていつも二人でじゃれあっている。中学に進学した二人だが、クラスメイトからその親密さをからかわれたことからレオはレミにそっけない態度をとるようになる。理由がわからないレミ。ある日大喧嘩の末、突然の別れが訪れる。あまりにも繊細であまりにも切なくて心に突き刺さった。カメラが捉えるレオの表情、一挙手一投足。胸が締め付けられ苦しくなった。彼の小さな心の中に広がる罪の意識、痛み、悲しみ、やるせなさ。そのどれもに戸惑いながら涙を流すことすらできないでいるレオ。忘れがたき素晴らしい傑作。