日々の泡。

popholic diary

2024年3月30日~4月5日の話。

2024/3/30

土曜。いい天気。今日は妻と1日デート。貰い物の京阪電車の県内乗り放題チケットが3月末までということで。最寄りの島ノ関から「光る君へ」ラッピング電車に乗ってまずは坂本まで。

駅で降りたのはほとんどが外国人観光客。滋賀の中ではまぁまぁの名所ではあるがよくピンポイントでここに観光へ来たな。良く調べてるんだなと感心。駅から湖岸へ向けて歩きつつ和菓子屋でよもぎ餅を買ったりして坂本城跡まで。目当てにしていた昨年発見された石垣跡は近隣住民の要望もあり今は隠されているとか。そこからまた松ノ馬場駅まで歩いてソフトクリームを食べたり、老舗パン屋でドーナツなどを買ってランチは古民家薬膳料理の店へ。直前に団体客が入ったらしくご飯が一人分しかなくなっちゃったとかで一杯のかけそば的に一杯のグリーンカレーを妻とシェアして。続いては山科まで行って駅前を散策。少し買い物してまた電車に乗って石山まで戻って妻の実家へ。向かいの神社で桜まつり。たこ焼き食べて、肌寒くなってきたので石場まで。そこから歩いて家まで帰る。電車も乗ったがそれ以上によく歩いた。実に28000歩。マンションに戻るとドアの前にゴミ袋が。荒手の嫌がらせか、引っ越~せ~と思われてるのかと妻とビビってたら、家の中から娘が出てきた。湖岸で友達とBBQして持ち帰ってきたゴミだと。

2024/3/31

年末に亡くなった祖母の法事。妻と京都のお寺へ。叔父、叔母夫婦、母、兄、いとこ、皆で納骨式。お寺の幼い娘さんが鈴を鳴らしたりちょこまかとお手伝い。微笑ましく和む。そのまま実家へ行って食事。兄と僕、いとこ兄弟の4人は年も近く子供の頃から正月やらお盆に祖母の家に集まってはよく遊んだ。当時は東京で働いてた叔父は盆と正月には帰ってきてよく僕らを遊びに連れてってくれた。叔父はもう80歳を越えているし僕らもみんな50代。なんかしみじみとする。先日喜寿を迎えた母は相変わらず元気で一人喋って、ご飯の用意やらなんやと忙しない。そんな姿を見て母の兄と姉である叔父、叔母が「ホンマによー喋るなー。ついていかれへんわー」だって。世の中にはいろんな家があるが、僕はホント家族や親せきには恵まれたなと思う。皆、ちょっと呑気でギスギスとしたところがない。もちろんここに至るまでは紆余曲折あったものの年とっても皆でこうして集まって笑っていられる。ありがたいことだ。

行き帰りの車中では「東野幸治のホンモノラジオ」。映画や配信、漫画とインプット量が半端ない。あれだけの忙しさでよくそんなにインプットしてるなと感動。

2024/4/1

4月。新年度。またハードな一年が始まる…。夜NHK+でドラマ「ケの日のケケケ」を観る。感覚過敏と共に生きるあかね。入学した高校には、部活動への入部を強制する校則が存在した。音や光、あらゆることに過敏で日常生活もままならないあまねにとってはそれはとても難しく、自ら「何もしない」を掲げた「ケケケ同好会」設立に動き出す。「感覚過敏」を「治してあげよう」と大人たちは自分たちの当たり前を押し付ける。主人公は理解して欲しいという境地からとっくに降りている。自分は自分の機嫌を取るべく過ごすからそっとしといてねというだけのことが許されない。寛容を求めてるんじゃなくてただ自由にさせて欲しいと訴える主人公。許す許さないじゃないし、そもそもなぜ許す/許さないのジャッジをマジョリティ側に握られなきゃならないのか。わかってくれなくて結構、わかり合えないことをわかってくれよということ。物語は柔らかく進むが中身はシビアでハード、マイノリティ側の血の滲むような叫びだ。

2024/4/2

NHK+で「未解決事件/下山事件」ドラマ編を観る。占領期だった1949年7月、国鉄下山定則総裁が突然失踪し、礫死体で発見された「下山事件」に迫る。韓国の社会派映画のような雰囲気。俳優陣の積み重ねていくような演技で昭和最大の不可解な事件を描く。事件を追う検察、ジャーナリスト、真相はすぐそこにというところでストップがかかる。反共の名の下、仕掛けられる陰謀に翻弄され、時の権力によってうやむやに。70年以上前の事件でありながら、過去の事件という気がしない。全く同じ構造で今もまだ同じようなことが繰り返されている。それもどんどん処理が雑に稚拙に劣化した状態で行われ、もはや隠そうともせず開き直った態度で繰り返されている。ドラマはあえて今の時代にぶつけてきたんだろう。この国の検察やジャーナリズムにはっきりとメッセージを送っている。だが、皮肉なことは今、最も骨抜きにされ権力の暴走の共犯者と成り下がっているのがNHKだということだ。

2024/4/3

会社帰りに本屋で「文春WOMAN」爆笑問題・太田さんの松本人志についての文章を読む。的確な松本人志論であり、お笑い論。水道橋博士さん言うところのNSCという「新しい学校のリーダー」から「新しいお笑いのリーダー」になったことで生まれた権力構造。この事件に関してマスコミ、特にTVがもはや身動き取れなくなっている原因がそこにある。しかし問題発生後の松本人志の対応は全部間違っている感があるな。自ら自分の首を絞めに行って、復帰の芽を摘んでるとしか思えない。芸人としては間違いなく天才だ。少しでも心当たりがあるのなら、謝罪すべきところは謝罪し、弁明すべきところは弁明すればいい。もうTVに出ることがなくなったって、ライブでも配信でもなんだってできるし、今以上のカリスマ性も収益も得られるだろう。

夜「水曜日のダウンタウン」。松本人志が居なくなってもTVは毎日穴が開くことなく放送される。世間はもう松本人志がいないTVにすっかり慣れてしまっているし、SNSの中以外は誰も話題にしていない。残酷だけどこうして進んできた。

2024/4/4

水道橋博士×角田陽一郎×コトブキツカサによるライブ『博士と教授と寿司(コトブキ)と』配信にて視聴。角田陽一郎さんが語った某出版社社長の最低最悪な振る舞いに呆れる。自分をもっと褒めろ!と局に乗り込み、怒鳴りつけ謝罪を要求する。漫画に出てくるクソ権力者そのものの振る舞いじゃないか。人としてクソダサいなー。そしてそこに付随するヒットメイカーの態度も酷い。角田さんが言うように「薄っぺらい」。角田さんとは同年代だし、そのヒットメイカーが芸能界を席巻していく様はずっと観てきた。だが、その人が作り出すものに一度も心を動かされたことはない。「薄っぺらい」はまさに言えて妙で、もう「薄っぺらい」としか言いようがない。それは彼がヒットメイカーとして一世を風靡した理由でもあるし、僕の心にまるで響かない理由でもある。角田さんと僕の共通点があるとすればムーンライダーズファンということ。ヒットメイカーがおニャン子で芸能界を席巻していた頃、こっちはムーンライダーズの音楽に痺れ、慶一さんや博文さんの詞に胸を鷲掴みにされ心酔していたのだからそりゃ「薄っぺらい」と感じるわな。ヒットメイカーが手掛けた数多くの詞は確かに巧い。時代を捉え絶妙な匙加減で感情を撫でる。だけど「薄っぺらい」。まるで心には響かない。

とまぁそんな発言が飛び出したりのスリリングなライブ。角田教授に負けず劣らず危険球を投げ込む博士。二人の間ですべてを拾い、受け、返し、トークショーとしてエンタメ化していくコトブキツカサさんの腕の良さにも感動した。プロの技、素晴らしかった。

twitcasting.tv

2024/4/5

朝ドラ「虎に翼」。日本初の女性弁護士を伊藤沙莉が演じるってもうそれだけで面白そうだが、実際に素晴らしい滑り出し。OPも軽やかで良いね。

仕事で京都へ。桜も見ごろで祇園あたりは観光客でごった返している。春が来たなー。新しい年度が始まる春は昔から苦手だった。臆病だから学生時代からクラス替えは恐怖だったし新しい環境に慣れるのに時間がかかってしまうたちだ。もうさすがに慣れてもいい年齢というか、慣れなきゃおかしい年齢なんだが、いまだにそうなんだから呆れる。サラリーマンになってからも持ち前の器用貧乏さが災いし、やたら異動の多い人生だった。さすがにこの春は異動ということはないが、新たな体制で人を率いていかなければならない。ただのクソサブカルおじさんとしては気が重ぇーなー。