日々の泡。

popholic diary

2021年に観た映画の話。

ということで2021年MYベスト映画は

①フリー・ガイ
②すばらしき世界
③ドライブ・マイ・カー
④ファーザー
⑤由宇子の天秤
アメリカン・ユートピア
⑦あのこは貴族
⑧街の上で
⑨ソウルメイト/七月と安生
⑩君は永遠にそいつらより若い

とこんな感じになりました。

毎年、こうして自分のベスト映画選んでみると、なんとなく一つのテーマみたいなものが浮かび上がってくる。2020年で言えば「"正しさ"とは?」を問いかけるような作品が多かったように思うし、それについて考えさせられる作品を自分自身も選んだように思う。

でそれぞれの映画について。このブログ内に書いた観た時の感想を抜粋しつつご紹介

ショーン・レヴィ監督「フリー・ガイ」

主演はライアン・レイノルズ。ゲームのモブキャラで型通りの毎日を過ごす銀行員のガイ。彼が生きるのはオンラインアクションゲーム「フリーシティ」の中。何をやってもいいゲームの中で参加者たちは暴力に明け暮れる。そんな中ある出会いがきっかけでガイは自分の意志で自由に動けるように…。荒唐無稽な話でありながらゲームの世界と現実のリンク、なぜそうなったのかという意味や辻褄に無理がなく、現代的で社会的なメッセージが最高の形で伝わる。暴力に満ち溢れたゲームの世界で「善い人」であろうとするガイ。声なき弱き者達が声を上げ世界を変える。ストレートなメッセージがしっかり物語の核となり、さらに驚きの映像、笑える小ネタ、爽快なアクションにロマンチックなラブストーリーも。映画が好きになる映画。最高!

西川美和監督「すばらしき世界」

人生の大半を刑務所で過ごしてきた男・三上。出所し、今度こそはと堅気として生きる決意をするがその行く先々には様々な障壁がある。「社会」と折り合いをつけると言うことは様々な悪意や許し難い卑怯な振る舞い、心が踏みにじられるような事を飲み込むことなのか。映画を観終わり「すばらしき世界」というタイトルが文字通りに響くと同時にきつすぎる皮肉にも感じる。今僕たちが生きるこの世界は「すばらしき世界」なのか。主人公・三上がこの世界に観たのは希望か絶望か。とてつもなく優しく、ひどく残酷なゆらゆらと揺れる「すばらしき世界」。善と悪が内在する人間の複雑さ、そのどちらにも簡単に傾いてしまう危うさ。それは人間そのものであり、社会そのもの。当たり前だけどこの世界を「すばらしき世界」にするもしないも人間なんだな。主演の役所広司がとにかく素晴らしい。三上という男が歩んできた人生の過酷さ、それをどう生き抜いてきたかがしっかりと伝わる。変わりたいと願いながら、もがく姿の生々しさ、人間臭さ。演技とすら思えない、演じてると感じさせないぐらいに、その人生を生きてきた一人の人間として観えた。映画館を出て空を見上げながら街を歩き、この「世界」について考える。「すばらしき世界」をこの現実の世界への皮肉にしてしまわないように。

濱口竜介監督「ドライブ・マイ・カー」

いつも映画を観ると、素晴らしい!とか凄い!って言いがちなんだけど、なんというか安易な言葉では言い尽くせない。言葉では追いつかない映画体験だった。妻を亡くした演出家であり俳優の家福。広島で行われる演劇祭の為にマイカーで広島へ。映画祭の規約で現地での運転はドライバーに託されることに。そこで出会ったのが寡黙なドライバーみさき。家福が演劇祭の為に演出するのは多言語で演じられるチェーホフ「ワーニャ伯父さん」。脚本家であった妻・音のドラマに出演していたが、スキャンダルによりフリーになっている役者・高槻をはじめ国籍も性別も違う役者たちが集められ芝居が作られていく。その過程はとても独特で、家福は役者たちに何度も繰り返し本読みをさせる。それぞれの言語、その中には手話すらもありお互いがお互いの言葉を理解できないまま何度も何度も台詞が交わされるのだ。映画の中で特に印象的なシーン。亡き妻・音をめぐり車の中で交わされる家福と高槻の会話。ライターの西森路代さんがTwitterで「家福と高槻は、コントロールをしすぎる男とコントロールができない男ということで、表と裏。」と書いていたが、この表と裏が相まみえるシーン。音のことをわかりたい、理解したいと思い続ける二人。お互いの告白から得体のしれないモンスターのごとく浮かび上がる音の姿。そして彼らは気付く。「わからない」ということを「わかる」のだ。それにしてもこのシーンでの高槻=岡田将生が凄い。ギリギリのところから解き放たれたようにも、絶望の果てをみてしまったようにも見える。わかりたいと思っている間、決して触れることができなかった音の実像が、わからないということがわかった瞬間ふと目の前に現れる。そして二人は音から解き放たれるのだ。家福とみさきは最初お互いわかり合おうとも理解し合おうとも思っていない。でもみさきは家福の愛車を運転することで、その愛車が大切に扱われてきたことを感じ家福のことを理解する。家福もまたみさきの丁寧な運転から彼女のことを理解する。決して多くの言葉を交わさない二人だが、移動する車を通じてわかりあう。二人を乗せた車は同じ道程の反復から逸脱し、みさきがかって暮らした遠くの町に向けて走り出す。そこでみさきもまた自分自身を縛り付けていたものから解き放たれる。

とこんな風に長く書いているが、果たしてこれが正しい解釈なのかはわからない。というか考えれば考えるほどうまく掴めない。だからこそこの映画がずっと心の中に残り続けてしまうのだろう。

④フロリアン・ゼレール監督「ファーザー」

認知症の父と介護する娘。記憶が薄れ、揺らぎ、現実が歪んでいく父の視点で描かれる。一体何が本当なのか。場所や時間、記憶が瞬間瞬間で書き換えられていく中で疑心暗鬼になり、何もかもが信じられなくなる。なるほどそういうことかと思う。とても穏やかだった人が、歳をとり認知症の症状が出る中で周りの人を激しく傷つけることがある。自分もそのような場面に出くわしたことが幾度となくある。認知が壊れゆく恐怖と孤独。映画は観る者にその体験させる。消えていく記憶、不安の中に飲み込まれていく毎日。その仮想体験はあまりに強烈で、こんなにも孤独で心細くなるものなのかと恐怖すら感じた。胸が潰れるような想い。今まで介護する側の視点でしか見ていなかったが目から鱗というか、自分にとっても貴重な体験になった。観るべき映画。

⑤春本雄二郎監督「由宇子の天秤」

3年前の女子高生自殺事件を追うドキュメンタリーディレクターの由宇子。TV局との軋轢の中、事件の真相に迫る由宇子だが、父が経営する学習塾で起きたある出来事によって自らが当事者となっていく。観ている間も観終わってからもずっと心が揺れ続けている。凄まじい作品だった。天秤を揺らしているのは由宇子だけじゃない。すべての人間はそうして生きている。誰かの天秤が均衡を保とうとすれば、また別の誰かの天秤が揺れる。尤もらしい言い訳で折り合いをつけ、アンバランスな均衡を保とうとする。社会は大きな天秤の中で揺れ続けているのだ。映画は決して結論を出さない。誰かの正解が全てではなく、誰もがの正解ではない。社会に生きるとは誰もがが当事者であり常に天秤は揺れ続けている。真実はいとも簡単に目の前をすり抜け、均衡を崩す。観終わった後、カメラは観ている者の方を向き、問いかけるのだ。ドキュメンタリーのような語り口で、観る者を傍観者にはさせない力がある。うん、これは凄い映画を観た。

スパイク・リー監督「アメリカン・ユートピア

デイヴィット・バーンによるブロードウェイでの革新的なライブショーをスパイク・リー監督が映画化。しょっぱなからちょっと圧倒されちゃった。マーチングバンドのように体と楽器が一体化したメンバーたち、オールワイヤレスでコードから解放され繰り広げられる演奏、パフォーマンス。その革新的でありつつ、プリミティブな音楽の力にもってかれた。頭のてっぺんから足の先まで、その音楽に支配される瞬間が何度もあった。いやこれは噂以上に凄かったなー。

⑦岨手由貴子監督「あのこは貴族」

東京生まれ、東京育ちのお嬢様・華子。地方から出てきて名門大学に通うものの学費がままならず退学し、自力で生きる美紀。異なる“階層”に生きる二人の一瞬の邂逅。都会のデスロードからそれぞれが「自分の人生」を自分の足で歩きだす。これは静かなるマッドマックスだ。華子が育った厳格な上流階級と美紀が育った閉鎖的な田舎町は階層こそ違えど、そのシステム構造はまるで同じだ。一人の男性を間に二人は対峙することになるのだけど、台詞でもはっきりと言っているように二人が分断され攻撃しあうことはない。その必要はないのだ。二人が戦うべきは、二人を縛りつけるシステム。華子は、美紀と出会うことでそのことにはっきりと気づく。半ば諦めの中にいた美紀もまた覚醒していく。それぞれがそのシステムに疑問を投げかけ、自分の人生を生きようとする。そしてそのことが共闘になる。彼女たちのそばにいて、まさに自分の足で立って自分の人生を生きるそれぞれの友人、逸子と里英がいい。心強い友人の存在が、二人に勇気を与え、背中を押すことになる。「あのこは貴族」という物語は多くの人々にとってそんな「心強い友人」のような存在になるだろう。細やかで丁寧、しなやかで強い大傑作である。華子と美紀を演じる門脇麦水原希子は一見、配役逆ちゃうなんて思ってしまったけど、これで大正解。逸子役の石橋静河、里英役の山下リオを合わせてこの4人が素晴らしくいい。

今泉力哉監督「街の上で」

下北沢を舞台に古着屋で働く青を取り巻く人々の群像劇。といっても大きな物語があるわけではなく、街の上で日々起こっているであろう小さな日常が描かれる。街と文化、そこに集う人々。日々の営み、そこにあるちょっとした可笑しみや愛しい瞬間。決して映画にならないような、零れ落ちていく日常。それが愛を持って切り取られていく。映画館にいる自分たちと地続きでありながら、とてつもなく豊かで愛らしい。映画らしくないけど映画としか言えない映画。こういう作品に出合うと映画好きでよかったなと心底思う。コントのような小さな出来事がちょっとづつ絡み合いながらじわじわと沁み込んでくる感じがシティボーイズショーをふと思い出した。俳優陣が皆いい。若葉竜也の佇まい、街への馴染み具合は本当に素晴らしい。ずっと観ていられる。130分、いい時間を過ごせたな。入江陽さんの音楽も最高。

⑨デレク・ツァン監督「ソウルメイト/七月と安生」

13歳の時に出会って以来親友の七月と安生。自由気ままに生きる安生と自らを閉じ込め自由に生きられない七月。強く結びつきながらも時に衝突し離れてしまう愛憎をも越えた2人の友情。あることがきっかけに反転する二人の人生。そこにある秘密。なんて繊細で美しく悲しく愛おしい物語なのか。素晴らしかった!世界的に高い評価を受けた「少年の君」の公開に合わせて日本公開されたデレク・ツァン監督のデビュー作なのだけど、「少年の君」以上にこのデビュー作に心奪われた。主演はチョウ・ドンユイとマー・スーチュン。ともに素晴らしい演技!自由奔放で強さの中に繊細な心を持つ安生=チョウ・ドンユイ、自分を抑えながら心の奥で自由を求める七月=マー・スーチュン。二人が交わす視線、一瞬の表情の曇り、二人だけが見つめる世界。忘れえぬ映画がまた一本。デレク・ツァン監督はやくも次が観たくなった。

⑩吉野竜平監督「君は永遠にそいつらより若い」

地元の児童福祉職に就職も決まり、あとは卒論を出すだけのホリガイ。ある日同じ大学のイノギと出会う。「経験」の無いホリガイは他者の「痛み」を敏感に感じながらも、当事者ではない自分はその痛みに共感し手を差し伸べる資格がないのではないかと感じている。痛みに鈍感なふりをしてやり過ごしてきたホリガイだが、痛みの当事者であるイノギとの交流、対話を通じて自分の中にもある痛みを知り、他者の痛みに敏感である自分に向き合っていく。イノギをはじめホミネやヤスダといった彼女が数か月の短い時間で出会う人たちはそれぞれが彼女にとってそうであるように、映画を観ている者たちにとっても忘れえぬ人たちになっていく。タイトルである「君は永遠にそいつらより若い」、この言葉が光になる。瑞々しく真摯で丁寧な作品。ホリガイを演じる佐久間由衣、イノギを演じる奈緒、ともに素晴らしかった。とりまく若手男優陣もそれぞれ印象的で、決してキラキラはしてないけれど大切なことを語りかけてくる青春映画。とってもいい映画。おすすめ!

てな感じで10本を選びましたが、映画の好みも人それぞれ。でももしこの文章を読んで気になった作品があったらぜひ一度見てほしい。映画って面白いなーなんて感じてもらえたら嬉しい。