日々の泡。

popholic diary

覚書

またサボっちゃったよ。
とりあえず去年からのtwitter覚書。

今日は映画を一本。タナダユキ監督「ふがいない僕は空を見た」観てきた。ここにきて本年度ベスト級の作品に出会った。「生」と「性」さらには「正」、「聖」の物語。世界は暴力に満ちていて、どうすることもできずに、どうしようもなく僕らはふがいない。それでも生きるべきなのだ。

ふがいない僕は空を見た」。田畑智子のラストショット。フレームアウトする瞬間、コンマ何秒の横顔、その目の表情に鳥肌立った。希望とは意志なんだと思った。

ふがいない僕は空を見た」。傷つき、もがき、苦しみ、倒れたり、諦めそうになったりしながらも、「希望」という「意志」を掴み取ろうとする。不器用なその姿に胸の奥がかき乱された。物語の核心が自分に立ち返ってくる。そう思える映画が好きだな。

ふがいない僕は空を見た」。もはや主役と言っていい窪田正孝が本当に素晴らしかった。全てを諦めたようでいて、でも決して意志を手放さないという目の奥の光までが見えた。

「徴兵制」。65歳以上かつ資産3000万以上を条件にしたらどうか。金も元気もあり余ってる爺さん達に身体張って国を守ってもらおう。政治家や経団連のお偉方に最後にもうひと働きしてもらうってことで。

とそんなことよりきょうは映画を一本。チャン・フン監督「高地戦」観る。舞台は1953年朝鮮戦争。停戦協定が成立し実行されるまでの最前線、その狂気の現場。極限状態で行われる不毛な殺し合い。これが戦争だ。

「高地戦」。戦争とは「不毛な殺し合い」でしかない。殺し合いをする兵士たちは誰一人、悪くない。敵は殺し合いをしている相手ではない。敵は、戦場にはいない。敵は安全な場所で戦争をしたがってる奴らなのだ。

なにが「国防軍」だ。なにが「徴兵制」だ。いくら威勢のいいことを言ったって、行くのはお前らじゃないじゃないか。戦争とはただの「不毛な殺し合い」でしかない。いくらそれらしい理由を並べてみても戦争は「殺し合い」なのだ。

映画「高地戦」。最前線でいとも簡単に死んでいく兵士たち。もはや敵も味方も無く腕がもがれ、頭が打ち抜かれていく。その冷徹な描写にぞっとする。わずか50年前のこと。そして現実はもっと地獄だったのだろう。

映画を見ながらふと思う。戦場で腕や足がもがれ、頭が潰される兵士たち。その兵士たちが自分の子供や孫、愛する人々、自分自身なのだとしたら。アベもイシハラもそこにはいない。極端すぎると言われるかもしれないが、明日の一票がこの先の命につながってる。

ハマカーン優勝は納得できるが、選挙結果は納得しがたい。しかしこれが現実。ここから始まる。砂を掴んで立ち上がれ!だ。