日々の泡。

popholic diary

見つめてごらん

今日もバタバタと仕事。台風が横を通り過ぎる。
夜、送別会に出席。サラリーマンも10年以上やってると送別会も数え切れないほど。まだ若い子が新しい天地を見つけて旅立っていくのは眩しくもある。もう俺にはこういう辞め方はできないからな-とマジに思う。しかし相変わらずこういう場での居場所見つからず。昔は「なんだよ、つまんねーな。こーいうノリ大嫌いなんだよ!」と毒吐いてたが、今は違う。いつまでもこういう場に順応できない自分のダメさ加減、人間力の無さに愕然とする。トイレの鏡に映った退屈で卑屈な男。つまんねーのはお前だ。
パーティが終わって会場の玄関先のテレビに、市川準監督の訃報。驚いた。初めて市川監督の映画を観たのはまだ学生の時だ。88年の「会社物語」。出演はクレイジーキャッツの面々。録画したビデオテープがまだあるはず。そして「ノーライフキング」。いとうせいこう原作。音楽は鈴木さえ子さんで彼女は出演もしていた。「つぐみ」には小川美潮さんが出てたはず。こういうキャスティングだけで信頼できる監督だった。そして僕が決定的に監督のファンになったのが「病院で死ぬということ」。今は亡き京都の朝日会館で一人で観た。感動してしばらく席を立てなかったのを覚えてる。様々な景色が静かに映し出される。その何気ない風景の美しさと強さ。それこそは監督の「生」に対する賛歌だったのかもしれない。そしてさらなる傑作「トキワ荘の青春」。これは多分僕の生涯の映画ベストテンにランクインしてくるだろう。今でも大好きな大切な映画。トキワ荘に集った若き漫画家たちの姿。青春の中にある光と影。光の中に滲む影、影の中に差し込む光。その曖昧な空気感。いつかは終わってしまう目に見えない青春の微熱。市川監督は、孤独の描き方がとても巧い。世界中でたった一人取り残されたような瞬間。どうしようもなくやるせない刹那。そこを丁寧にフィルムに映しとっていく。近作では「トニー滝谷」。市川準監督しか描けない世界。足元に積み重なっていく悲しみ。静かに過ぎていく時間。監督の目はただ見ている。見つめている。そこがたまらなく好きだった。そして「あおげば尊し」。はっきりと死に向き合った映画。僕はこれを見て「ノーライフキング」を思い出した。「生きるということは?」と質問を投げかけた「ノーライフキング」への16年目の回答。そんな気がしていた。最新作の「あしたの私の作り方」はつい先日WOWOWでやったのを録画したとこで週末見ようかなと思ってた。そんなタイミングでの訃報。もっともっと市川監督の作品が観たかった。
パーティからこそっとフェードアウトして本屋に立ち寄ってから一人歩いて帰る。車道を過ぎるまばらな車。うす暗い夜に浮かぶ信号の光。忘れられた自動販売機。欠けた月の下でかすかに揺れる電線。市川監督の目線を真似して風景を見つめる。
静かに「生」が浮かび上がってくる。