日々の泡。

popholic diary

さよならの歌

今日も暑いな。夏本番というにはまだ早いから、夏ゲネプロといったところか。午前中に仕事片付けて、休みとって大阪へ。
葬儀に出席。
前に勤めていた会社の先輩。まだ39歳。
大学を卒業し会社勤めを始めた。93年だからもう15年も前か。右も左もわからないヒヨッコだった僕はそこで先輩と出会った。同じ営業部に所属していた二つ上の先輩。入社して数日目、お客さんのところに商品を展示しに行くからと新入社員の僕を連れてってくれた。大阪下町出身の先輩はガンガン喋って笑わせていつでもみんなの中心にいる人、明るくてカッコ良くて、とにかく頭の回転の速い人だった。人見知りで鈍重で陰気な僕とは正反対。でも、なぜか妙にウマが合った。僕が時折挟む冗談や皮肉な言葉を見落とすことなく反応して笑ってくれた。打撃系、押し芸の先輩と、寝技系、引き芸の僕。タイプ違えど、笑いのツボやセンスがどこか似ていて、そういう僕のマニアックな資質をいち早く見抜いて面白がってくれた人でもあった。98年に僕がHP「OFF!!音楽と笑いの日々」をやり始めた当初から熱心に読んでくれていて、一時期は更新の度に長い感想メールを送ってくれた。それが発展してHP内に往復書簡スタイルで笑いを語るページを展開したこともあった。それは今でも公開している。(ココにある「煩悩会議室」。このDr.HKこそが先輩で、これ読んでもらえば僕たちの関係がわかってもらえると思う)。こういう言い方は恥ずかしいが、やっぱり僕には「兄貴」みたいな存在だった。営業で腐っていた時に、先にシステム部に異動されていた先輩が口利きして同じシステム部に引っ張ってくれた。とにかく仕事できる人だったから、僕なんか先輩からしたら頼りない後輩だったろう。でも何かにつけて気にしてくれて、様々なプロジェクトに誘ってくれた。僕は先輩の横でサブとして仕事するのが好きだった。仕事だけじゃない。先にも書いたようにいつもみんなの中心にいてガンガン笑わせていく先輩は、会社の宴会やなんかの時は常に司会担当だった。全国のお客さんを集めたパーティーではプロの芸人さんといっしょに司会を務めたぐらい。先輩はそんな時の打ち合わせなんかにも必ず僕に声かけてくれた。進行の構成やゲームのネタ出し。僕はなんだか先輩の座付き作家みたいな気分で喜々としてアイデアをひねり出した。ホントにセンスが良くって頭の回転が速い、芸達者な人でね。カラオケなんか行くと独壇場。ものまねオンパレードなんか傑作だった。僕はフレーズの隙間で「郷ひろみ〜」とか「桑田佳佑〜」なんてネタ振りする役で。昨日のことのように思い出す。僕が会社辞める時、最後の送別会を仕切ってくれたのも先輩だった。会社辞めてからも滋賀に来た時に声かけてくれたり飲み会に誘ってくれたり。でもやっぱり徐々に疎遠にはなってしまっていた。去年、久しぶりにメールを出したら、「脳に腫瘍が見つかって大手術したんだ。でも今は職場復帰してるから」という返事をもらった。ホントはその時、すぐにでも会いに行くべきだった。今年の頭に電話があった。「先輩、再入院して意識不明」なんだと。すぐに病院に行ったが、そこにいる先輩は僕が知ってる、あの明るくてカッコ良くってガンガン笑わせてくれる先輩じゃなかった。体中にチューブが取り付けられ、視線は空を彷徨ったまま。言葉が出なかった。信じられなかった。帰りの電車で僕は少し泣いた。
祭壇に飾られた先輩の遺影。奥さんが気丈に挨拶をされる。まだ幼い娘さんが涙を拭ってる。家族を残していってしまうこと、無念だったろう。
辛い葬儀だった。いい人ほど早く死んじゃう。いくらなんでも、ひどいよ神様。
棺の中に花を入れ、目を閉じた先輩の顔を見る。闘病生活、辛かったでしょう。今はただ安らかに眠ってください。
あなたと過ごした時間は僕の中にしっかり刻まれてます。大切な時間ありがとうございました。