日々の泡。

popholic diary

タイムマシーン・ラブ

さて、金曜である。長い一週間だったな。結局、葬儀の後1日休んだだけでがっつり働かさせてもらってますよ。…あーシンド。
ここ何週か、咳が全然止まらない。線香の煙でやられちゃったのかなと思いつつ、いつまでも止まらないのでさすがに咳止め薬を買って飲む。
でここ数日、聴き倒してるのが(はい、久々の音楽話っす)、流線型「TOKYO SNIPER」。もう既に10回以上リピートしています。素晴らしいアルバム。全くノーマークだったんだけど、今読んでる文化デリック(川勝正幸+下井草秀)の「ポップカルチャー年鑑2007」で06年ベストアルバムに選ばれてて、聴いてみたらこれが見事にビンゴ!さすが信頼する目利き(耳利き)が絶賛してるだけある。70年代後半〜80年代のシティポップを見事に再現したサウンドと言葉。帯びには「都会派に贈るアーバンでクリスタルなメロウ・グルーヴ」。まさに都会派、まさにアーバン。シティポップの愛あるパステーシュ。とにかくこれ、まだまだ絶賛しちゃいます。続きは後日。

でしばしパラレル進行、popholic版「お葬式」。シーン2。(伊丹十三に捧ぐ)


荷物を車に積み込んで、僕も家に帰る。長く緩やかな坂道。なかなか青に変わらない信号をぬけて真っ直ぐに車を走らせる。この一年、何往復したかな。時には泣きながら、時には母と話ながら、通り抜けた道もこれで最後だな。
家に着くと、既に父は布団の上に寝かされていた。葬儀社の人が手際よく白木の祭壇を組む。ろうそくに灯がともり、線香をあげる。1週間前はこの部屋で二人でテレビ見てた。
それから早速葬儀の打ち合わせ。お寺さんの都合も聞きつつ、会場の空き具合を確認。明日3月10日18時から通夜、翌11日14時葬儀で決定。祭壇や会葬品をバタバタと一気に決めていく。その間にも親戚達が続々駆けつけてくれる。電話もひっきりなしだ。とりあえず急ぐものは一通り決めて、次は会社関係に連絡。
父は高校卒業後、京都の繊維会社に就職。真面目で誠実だった父は、それゆえに仕事人間でもあった。確かに小さい頃、父に遊びに連れて行ってもらった思い出は少ない。家での父はテレビ見てゴロ寝してるイメージ。あの世代のお父さんはどこともにそうだったんじゃないかな。父は仕事は出来たのだろう、同族会社の中で、唯一の外部役員にまで登りつめ65歳で定年になった後も相談役として会社に籍を置き給料を貰っていた。それがいかに凄いことかは、僕もサラリーマンやってるからよくわかる。なにせこっちは万年ヒラのボンクラ社員だから。でも確かに会社でも頼りにされてきたんだろうな。会社に電話して1時間も経たないうちに、社長さん筆頭に数名の方が父の顔を見に来てくれる。さすがに驚いたな。それからもかって父の部下だった方や同僚だった方が来てくれる。
その後も親戚、ご近所さんと続々。母と二人で対応に追われバタバタ。夕方、お寺さんがきてくれて枕教をあげてもらう。それにしてもこんなに忙しいもんだとは思わなかった。考えたら朝起きてすっ飛んできたから喪服も何も用意できてない。落ち着いたところで一旦大津に戻る。妻と娘には明日改めて来るように言い、僕は喪服に数珠に着替えをもってすぐにトンボ帰り。
夜遅く父のPCを調べてみる。定年になってから日記をつけてるのは知ってたので探してみる。マイドキュメントの中に数個のファイル。本人はこうなることをわかってたんだろうな。一つには自分自身の略歴がまとめられ、別の一つには預金や所有する株などが詳細にまとめられている。その上、葬式の時に連絡すべきところや香典は辞退するようになどと葬式の段取りまで書かれている。そして机の中には一冊のノート。
…なんだよ、こんなことまで書いてたのか。そこには母、兄、僕、僕の妻、そして娘に宛てられたメッセージが記されていた。感謝の言葉と家族仲良く暮らすようにとの言葉。まったく。僕には「お前は頑固で偏屈」だって。その通りだけど。「でも責任感とやさしさがある」。それはあなたから僕が受け継いだものなんだ。妻へは「頑固で偏屈な息子に仕えてくれてありがとう」だって。「頑固で偏屈」ってそう何回も書かないでいいよ。そして娘への言葉。
僕はほんとに親孝行なんて何もできなかったけど、たった一つ出来た親孝行がある。父に孫をみせてやれたことだ。娘と遊んでる時の父の顔、あんな嬉しそうな顔は見たことがなかった。父は意識が薄らいでいた時でも娘の名前を聞くぱっと目を開いたんだと母が言う。最愛の孫娘。1月に高山に旅行に行った時のお土産。娘が選んだ緑色の「さるぼぼ」ストラップは、今も父の指につけられている。娘への言葉、最後はこう記されている。
「おじいちゃんが一番大好きなサオリちゃん」