日々の泡。

popholic diary

心ごころ

8時起床。食パンに昨日の残りのカレー、その上にチーズをたっぷりのせて焼く。なかなか、イケルね。
で娘と朝から実家へ。途中、父と最後に食べたロールケーキを買って。葬儀後1週間、兄が居てくれたので事後処理随分助かった。銀行の手続きやら何やらこれがなかなか一筋縄ではいかない。印鑑証明とったり戸籍とったりで大変。特に兄が香港在住なのでイチイチ面倒くさい。銀行ごとに必要な書類が違ったりで結局1週間ではほとんど片付かず。兄から引継ぎして書類に目を通す。うー、こういうの苦手なんだよなー。金の計算は全てCD換算で!というサブカル小僧ゆえに、お金の管理は自分のお小遣いで精一杯。大体、自分の家についても、今いくら貯金があるか、通帳がどこにあるかすら知らないのだ。ま、元銀行員の妻から一切教えてもらえないということでもあるのだが。
明日、兄、香港に帰るので皆でご飯。母、相変わらず動きまくっているが一人になった時がちょっと心配。とりあえず忌が明けたら、父がしきりに娘連れて行きたがってたこともあるし皆で香港旅行しようなどと話。

でまだ続く、個人的な記録。popholic版「お葬式」、シーン3です。


深夜12時、兄が婚約者を伴い帰宅。風呂に入って一段落した後、忙しい中駆けつけてくれた従兄弟や今日は泊り込んでくれる伯母と思い出話。父も聞いててくれてるかな。
その夜は父を挟んで母と3人布団を並べる。この家で過ごす最後の夜なんだな。ずっと小さかった頃、日曜の朝起きると決まって父と母の寝室に行った。いつもは朝早い両親も日曜は寝坊。二人の布団にもぐりこむ。父の布団は暖かくて独特の匂いがした。それは「お父さんの匂い」だった。今、娘が僕の布団に入って言う「父ちゃんの匂いがする」。単なる加齢臭かもね。でも嫌いじゃなかったな。
そして翌朝。新聞に父の死亡記事が出てる。もちろん地方紙だけど、思った以上に凄い人だったんだと改めて知る。父が勤めた会社の会長(先代社長)がお見えになる。父と母の仲人を勤めてくださった方で、父は生前、自分は会長についていくんだと母に語っていたそうだ。会長さん自身も胃を摘出されていて、術後の父に様々なアドバイスや参考文献なんかを毎月毎月送ってくれていた。国交回復前に中国に二人で何度も何度も出張したことなどを話して頂く。そうだった。父は昔、しょっちゅう中国に出張に行っていた。お土産に鉛筆とか持って帰ってきてくれたっけ。質の悪い鉛筆。今でも持ってる。
長年、父の部下を勤めてくれていた方がゴルフの手袋(よく二人で行っていたらしい)と父への手紙を持って来てくれる。手紙を読ませて頂く。僕の知らない会社での父。そこでの父も真面目で誠実で、みなに頼りにされていたことを知る。愛情に溢れた手紙、胸が熱くなる。
昼過ぎ、葬儀社の人が来る。手際よく父に着物を着せ草鞋を履かせる葬儀社の人。皆で棺に父を入れる。愛用していた帽子、数枚の写真、先週この場所でじっと眺めていた娘の絵の白黒コピー-今朝、娘は一生懸命色鉛筆で着色した-などを棺に納める。さぁ出発だ。毎朝あなたが通った道だ。駅前の葬儀会場に向かう。
会場に着いて早速、通夜の段取りを打ち合わせ。花やお供えが続々届く。外は寒く、雨が降り始めた。祭壇に飾られた遺影。いい写真だな。父らしい穏やかな微笑を浮かべた写真。が感慨にふけっている余裕はない。すでに多くの人たちが来てくれている。ありがたいことだ。事前に決めておいた親族席の席順に親戚達を座らせ、バタバタと通夜が始まる。兄とともに立礼。ほんとに多くの人。焼香の列がずっと連なっている。父の為に涙を流してくれている多くの人がいる。
父にとって父の人生はどんなものだったろう。満足いくものだったかい?僕にはわからないけど、こうしてあなたのことを想い、さよならを言いに来てくれた人がこんなにもいる。僕は息子として、あなたの人生を誇らしく思うよ。