日々の泡。

popholic diary

ムーンライダーズの夜

今日はフルスピードで仕事片付けさっさと退社。京都みなみ会館まで映画観にいく。白井康彦監督「MOONRIDERS THE MOVIE PASSION MANIACS」。京都ではたった4回だけの上映。これ見逃しちゃうともう2度とスクリーンで見ることは出来ないだろうと急いで観にいく。サントラは去年から聞き込んでいたが、映画館で大音量で聞くムーンライダーズ、やっぱかっこいい!映画は野音での30周年ライブの模様、メンバーを始め、細野晴臣高橋幸宏PANTAといったミュージシャン仲間や歴代のレコード会社ディレクターのインタビューで構成されている。インサートされる羽田の風景。工場の煙突、電線の上に飛んでいく飛行機、それはまさにムーンライダーズのイメージだ。ライブはカーネーション直枝・太田両氏を迎えた「ボクハナク」やあがた森魚が熱唱する「大寒町」など現場に行けなかったものには涙モノのシーンが満載。また白井良明による「ギタギドラ」の演奏や岡田徹が語る「9月の海はクラゲの海」の「ドーン」という音の秘密などもおもしろい。ムーンライダーズの音の歴史を辿りながら、図らずも音楽ビジネス、音楽業界における、まさに「マニアの受難」が浮き彫りにされる。ムーンライダーズはいかにして「ヒット」を生み出さなかったのか?この逆説的な伝説が、ムーンライダーズという怪物の肝である。東芝時代のディレクターをして「最大のチャンスを逃しましたね」と言わしめる、ムーンライダーズの東京シャイネスな魂、譲れないマニアの一分。やっぱライダーズ好きだわ。
映画見終わって、京都駅まで一人歩く。「スカンピン」口ずさみながら。

でここからはpopholic版「お葬式」最終回。永らくお付き合い頂きありがとう。ご覧のように僕はもう大丈夫。っつーか、すでに遊びすぎだろっ!


バタバタとお通夜が終わり、控え室で残ってくれた親戚達と軽く食事。父方の親戚達も母方の親戚達も様々な面で父を頼りにしてきた部分があった。客観的に観てそう思う。父は家庭的という訳ではなかったし、特別情に厚い人情家でもなかったが、誠実に人と向き合うことができる人だった。それは母も同様で、お互い末っ子同士でありながら結局は親戚付き合いも含め、両家の面倒も主として見てきた。様々な要因があって、そうならざる得なかったとも言えるが、彼らはそれをごく当たり前のこととして受け止め、ごく自然な形で実行していた。僕は一度たりとも二人が文句を言っているのを聞いたことがない。それが簡単にできることではないことを、僕は社会に出て、自分の家庭を持って、はじめて知った。
親戚達が一人一人帰っていく。その夜は母と兄と3人で残る。いやーそれにしてもちゃんとお風呂までついてんだな、葬儀場。ちょっとした旅館並みの設備。父の前で家族3人で話。1時間、2時間、結局夜中まで。布団を並べてからも話。これまでのこと、これからのこと。当たり前のことだけど、あぁやっぱ家族なんだなと思う。通夜の後、翌日の打ち合わせを葬儀社の人を交えてやったのだが、打ち合わせ終わったときに、葬儀社の人が「いやぁチームワークいいですねぇ」と言った。変な話だけど、僕もそう思った。そしてこのチームの監督をずっと勤めていたのは間違いなく父だった。
目が覚めると母はもういない。父が好きだったおはぎを作りに帰ったのだ。僕も髭を剃りに一旦帰る。今日は日曜の朝だ。ちょうど一週間前の日曜の朝も、こうしてこの町を散歩した。シャツ一枚で大丈夫なぐらい暖かだったが、今日は随分寒い。強い風が吹いている。さぁ今日はお葬式だ。しっかりせねば。コンビニでアリナミンを買ってグイッと一息。
午後2時。葬儀が始まる。昨日に続き今日も多くの人が来てくれる。メロウないい声で、お経が唱えられる。そしてお別れの時間だ。
棺の中の父は、遺影から比べると随分やせている。この1年、苦しかっただろう。ゆっくりと身体が動かなくなっていく。病院のベッドの上で、哲学者のような目でカーテンの皺を見つめていた父。その先に、何を見ていたのだろうか。苦しかっただろう、痛かっただろう、しんどかっただろう。本当にお疲れ様でした。
花に囲まれた父の姿を、こんなに早く見ることになるとは思ってなかった。それでも、これで良かったんだと僕は思う。彼はきっとみんなにとって最良のタイミングで逝ったんだと思う。父はそういう人なのだ。わかってる。だから安心して欲しい。ほら、兄貴の堂々とした喪主の挨拶を聞いたろう。安心して欲しい。
棺が閉じられ、素早くエレベーターまで運ばれる。その後ろを位牌を持った兄、遺影を持った母、そしてお骨箱を持った僕が続く。多くの人が見送ってくれる中、父を乗せた霊柩車が走り出す。
火葬場でもう一度お別れをする。これが父の肉体を見る最後だ。兄が嗚咽をあげ、泣き崩れる。葬儀の間、喪主としての責任を果たし、決して涙を見せなった兄。
多少頑固ではあったが、父は口うるさくはなかった。学生の頃から僕は父に何か言われるようなことはほとんどなかった。僕もわりとなんでも自分で決めて、相談することもしなかったし、そんな僕に父もとやかく言うことはなかった。男の子は男親との確執とかイロイロあるもんなんだろうけど、その点僕は割りと早くから客観的に父を見ていた。結婚を決めて、家を出たのが24歳の時。その時から逆に父との距離がぐっと縮まったような気がする。改めて父の人間性を知り、素直に尊敬できるようになったのだ。で兄は僕よりやんちゃだったし、心配かけるようなことも僕よりずっとあった(いや、兄からするとお前の方がって言うかもしれないが)。でも僕にはない、父との強い結びつきが兄にはあったと思う。特にこの一年、遠くに離れているだけに心配も大きかったろう。毎日のように国際電話を母にかけていた兄の優しさを僕も知っている。
父の顔を見るのもこれで最後になる。僕はずっと小さかった頃、いつも父の耳たぶを触って寝ていたんだと何度となく母に聞かされていた。さようなら。そっと父の耳たぶに触れる。ありがとう。
僕はあまりツいてる方じゃない。いつも貧乏くじばっか引いちゃってるなんて思うこともある。でも最高に運が良かったことがある。それはあなたの息子として生まれてきたことだ。今、心からそう思う。ありがとう。いつかどこかで、また会えたら嬉しいな。
伊丹十三監督の「お葬式」のラストは、たしか火葬場の煙突から青空に煙が昇っていくカットだったっけ。残念ながらそんなシーンは用意されていないけど、これでpopholic版「お葬式」は終わり。もちろんこの後も人生は続く。むしろ葬式後にすべき様々な届出やら銀行での手続きのドタバタを書くほうがHOW TOモノとしても重宝するかもしれない。でも、まぁ、こうして父のことを書くことが僕にできる唯一のことのような気がして。実に全く、個人的な文章にお付き合い頂いてありがとうございます。変な言い方だけど、清々しい気持ちでいます。父の人生に関わってくれた全ての人に、僕の人生に関わってくれた全ての人に、今はありがとうと素直に言いたい。。
とかなんとか。明日になったら文句タラタラかもしれないけどね。ま、とにかくLIFE GOES ONです。