日々の泡。

popholic diary

LONG SEASON

多くのコメントありがとう。葬儀に参列してくれた友達、心配して電話やメールくれた友達、ありがとう。昨日、初七日も終え一段落です。ま、会社は火曜から行ってるし全然元気ですよ。変な言い方だけど、清々しい気持ちでさえある。父の最期は立派で、見事なものだった。父が死んでから葬儀に至るまでの間、それを実感することが多々あった。その辺りのことも追々書いていきます。

そんな訳でpopholic版「お葬式」。シーン1です。


3月9日午前9時50分。父の横で泣き崩れる母。人一倍陽気でお喋りで元気な母。去年、父が胃癌だとわかった時、母は電話口で嗚咽していた。それからほんとによく尽くした。普段から世話焼きの母だが、それはもうよく父の世話をした。12月に再入院してからは毎日8時には病院に行き、最終のバスの時間まで。父に話し掛け、背中をさすり、お茶を飲ませ、先生から掃除のおばちゃんにまで頭を下げ、気を配りまくっていた。ちょっとは休めよって言っても一時も止まっていない。母もよく頑張った。2月25日が40回目の結婚記念日だった。いい夫婦だったんだ。息子の僕から見てもそう思う。19歳で結婚して40年、か。そりゃ泣いてもいいよね。いくら泣いても追いつかないよ。
看護婦さんたちがテキパキと点滴の管などを取り外す。僕も泣いてばかりはいられない。兄に電話。2月に香港に帰る時、もう会えないかもしれないと帰っていった。今からすぐ戻るからそれまで頼むぞと兄。
さてここからが大変なのだ。悲しんでいる暇はない。「お葬式」の準備だ。何から手を付けていいのかわからないが、まずは葬儀社にTEL。母、手帳にしっかり電話番号書いている。準備いいんだから、もう。病院名を告げ迎えの車を手配。それから親戚達に連絡。その間、母と看護婦さんたちが父をキレイに洗って着替えさせる。黄疸で黄色かった顔にもきれいに化粧がされる。穏やかな顔だ。今にも起きだしてきそう。妻、娘も手伝って病室の荷物を片付ける。伯母達が病院に駆けつけてくる。窓からは暖かな日差し。いい天気だな。この病院にもよく通ったけど、今日が最後だ。看護婦さんたちが次々と父の顔を見に来てくれる。父が最期まで懸命に戦っていたことを改めて知る。葬儀社の車が到着する。ストレッチャーに乗って病室を出る父。病院のみなが見送ってくれる。さぁ、家に帰ろう。あなたが建てた家だ。僕達家族が暮らした大好きな家だよ。