日々の泡。

popholic diary

セヴンティーン

さて、昼は吉野家で豚生姜焼定食。なんだかなぁ・・いや、おいしいんだけどね。舌がとろけるほどの美味いもんが喰いたいなぁ・・と。
夜は映画でも観にいくかと思ってたが結局なかなか仕事終わらず。なんだかなぁ・・いや、別にいいんだけどね。閉店間際のパルコにでも駆け込もうかと思ったが、今日は休みでやんの。
ベリッシマで今日の通勤音楽は、ピチカート・ファイヴベリッシマ」。ピチカート・ファイヴからヴォーカルの佐々木麻美子嬢と鴨宮諒氏が脱退したってニュースを知ったのは87年の終りだったか。名盤「カップルズ」に痺れに痺れていた僕は、「どぉなっちゃうんだよぉ」とうろたえた。ピチカートと言えば、あのウィスパーヴォイス。ヴォーカリストが脱退って!とピチカートの行く末が全く見えなかった。「カップルズ」は本当に素晴らしい盤だっただけに、なんて勿体無い、このまま幻のバンドになっちゃうのかと残念にすら思っていた。でそこにまた入ってきたニュースが、新ヴォーカリストは男というニュース。いや、ピチは趣味のいいポップバンド、テクノでありA&Mでありバカラックであり、そんなバンドに男性ヴォーカル?その男性ヴォーカリスト田島貴男、「天才少年」と紹介されていた。
そして88年9月に発表されたアルバムがこの「ベリッシマ」。僕は17歳で、まだ童貞だった。
いつものように発売日の前日にCDを買って、すぐに部屋で聴く。これが「ソウルミュージック」との出会いでもあった。頭の3曲「惑星」「誘惑について」「聖三角形」を聴いて、田島貴男は単にヴォーカリストというだけでなく、小西・高浪という素晴らしい作家を凌ぐほどの才能に満ちた音楽家であることがわかった。いや、驚いた。ほんとに「天才少年」だと思った。「聖三角形」を繰り返し繰り返し聴く。ベルベットのように柔らかでエロティックなストリングスの響き、絡みつくハーモニカの音色、ゴスペル風のコーラスが浮かび上がるエンディング。痺れたねぇ、痺れた。スティールパンの涼しげな響き、まさに「黒いバカラック」な高浪作「ワールド・スタンダード」、そして小西作の名曲「これは恋ではない」。この曲の持つ、達観したような目線、無常観はその後の小西作品の基調となっていく。「これは恋ではなくて/ただの痛み〜きみは天使じゃなくて/ただの娘」と唄われるこの曲、デートの後に何度となくこの曲が頭を巡ったことがある。ま、童貞じゃなくなってからの話だ。もちろん、その後これまた小西作の「日曜日の印象」まんまの日々を送ってみたりして。
夜道を「神の御業」を聴きながら歩く。「どうにもならないこと/それは神の御業」思わず口ずさむ。どうにもならないことばかりに翻弄されているが、それも神の御業・・・と思うことにしよう。
それともう一つ。このアルバム、なんといってもアートワークが素晴らしい。信藤三雄率いるコンテンポラリープロダクションの名前をハッキリ意識した最初のアルバムでもあるのだ。
で全然関係ないけど「ウ〜コンのチ〜カ〜ラ〜」ってメロディが頭から離れないんだけど、どうしてくれるのか、山川豊木の実ナナ黒谷友香