日々の泡。

popholic diary

「Live Demagogue THE TOUR」の話。

既に伝説となった渋谷での「Live Demagogue」からわずか半年で実現した大阪公演。
その名も「Live Demagogue THE TOUR」に行って来た。仕事を無理矢理終わらせ、飛び込んだのは心斎橋のライブハウスBIG CAT。広めの会場にはテーブルが置かれ落ちついた雰囲気を醸し出している。

で会場の扉を開けると同時にトップバッター・龍之介が唄いだした。なんでも現在、PANTA氏のプロデュースでアルバム制作中の新人とのこと。なんだか名前だけ聞くとゲイバーのホステスみたいだが、実に男っぽいストレートな弾き語り。ぶっきらぼうなMCもいかにもという感じ。僕としては久々に聞くタイプの音楽。

続いて登場はこれまた新人・ママスタジヲ。若さはじけるという常套句を使いたくなるぐらいにはじけるステージ。ギターとシンセの絡みが気持ちいい。いや、でもマジでこのバンド、いい。ちょっとドキドキするぐらい。ベーシストが女の子ってのもポイント高し。やっぱコーラスは女声でなくちゃね。POPってのはこういう音楽のこと。このワクワク感が大切なのだ。

で今まさに絶好調という感じの青山陽一、登場。1曲毎にチューニングを変えながらの弾き語り。朴訥とした喋りとは裏腹に自信すら感じさせる堂々の唄いっぷり。しかしこの人の弾き語りスタイルは唯一無二のもの。ギターと歌声だけで、この拡がり。不思議な浮遊感を持った立体的な音が会場を包む。ラストの「電波組曲」なんて、青山陽一以外誰が弾き語れる?

グルーヴァーズ。一言で言うと「かっこいい!」これにつきる。このステージ見て何も感じない奴はロック不感症、ロックまぐろだ。これでもかという、ぶっといリズムの上にソリッドなギターが絡む。このギターの音がいい。実に知性を感じさせる。元来、知性とはとても野蛮なもので、藤井氏のギターはまさにそれを思い出させる。それと最も感心したのはわずか30分ほどのステージではあったが、その構成の見事さ。出のSEからラストナンバーまで、まさにエンターティメントなロックンロールショー。いや、はや、ロッカーってもてんだろうな・・なんつって。

であの完璧なステージの後はやりにくいだろうなぁなんて思ってたとこに登場はソウルフラワーユニオン中川敬、河村博司のご両人。イスに座って、くつろいだ雰囲気で。大阪に古くから伝わる伝統的なMCスタイルに乗っ取り、軽妙な掛け合いと観客巻き込んでの微苦笑トークで一気に場をなごませる。そして1曲目に持ってきたのが先日、急逝した「どんと」のカバー曲。この1曲で彼らの音楽家としての誠実さがわかる。この人達は信用できる。そう思った。そして唄は続く。1曲、1曲が胸に響く。「愛」と「ユーモア」。彼らの姿勢は間違いなく、正しい。白状してしまおう。今回のライブで最も感動したのは彼らのステージだ。唄に対する深い愛情と尊敬の念。ラストナンバーの三線の音色に涙が出そうになった。音楽はメッセージなのだ。

そしてトリに登場はやはりこの人・PANTAだ。グルーヴァーズをバックに従え、貫禄のステージ。うちのお母んと同世代とは思えん。数曲の後、あの男が呼び出される。そう鈴木慶一だ。場違いなアウトドアファッションに身を包んだ慶一氏。この違和感こそが鈴木慶一の凄みなのだ。氏の抱えた赤いテレキャスから、いつになく歪んだでかい音が鳴り出す。PKOのステージが始まる。熱い。轟音、爆音。ベテランなのに新鮮。日本のロックの歴史なんて軽々飛び越える二人の身軽さとタフネスさが音の節々から感じられる。あぁもうライブレポートなんてやめだ。とても冷静になんて聞いてられない。ただそこにロックがある。それだけで十分だろう。そこにロックがある限り、生きていける。そんな夜だ。

「希望」が見えにくい世の中になってきた。新聞やテレビからは今日も、希望を見つけられない子供達と希望を失った大人達の醜い事件が溢れている。もしかしたら僕も醜い事件の中にいたかもしれない。でも僕は音楽と出会った。本物の音楽とだ。僕はその本物の音楽から「希望」というメッセージを受け取った。だから僕は今、こうして生きている。「Demagogue」の名のもとに集まった本物の音楽達。一人でも多くの人に、このメッセージが伝わればいい。