日々の泡。

popholic diary

おー、阿呆船よ、何処へ

ヘイト船長とラヴ航海士~鈴木慶一 Produced by 曽我部恵一~さて、今日聴いてたのは、いや、ここんとこずっと聴き続けてるのは鈴木慶一「ヘイト船長とラヴ航海士」。音楽を聴いた時、何かを感じたとする。その感じた何かを言葉に置き換えようとする癖がついてしまった。これはHPなんかを始めて音楽のことを書くようになってからだ。うーん、あまりいい癖ではないかもしれない。上手く言葉にできたなって時もあれば、そうじゃない時もあるし(圧倒的にこっちのほうが多いが)、なかには言葉が過ぎてしまうこともある。なんか自分でも決着ついてないんだけど。
でね。凄くいい音楽と出会うと、とてもじゃないけど(僕の言葉なんかじゃ)追っつかないなーと思う反面、なんとか言葉にして、言葉にすることでその音楽に近づきたいなーなんてことも思うんだ。表現に圧倒され、表現を刺激される。まぁ長い前フリですが、そういうことです。なかなか書き出せない。とにかく凄い深みを持ったアルバム。
21世紀に入ってからのムーンライダーズのアルバムは、もちろんそれ以前もそうだったんだけど、もうワンステージ上の、なんつーかな、ちょっと怖いぐらいの「凄味」がある。闇を恐れない強さというか。で、それは鈴木慶一作品が特にそこを受け持っていたように思う。闇の中で、さらにその奥をジッと静かに見てるようなある種の狂気。でそんな狂気を持った「ヘイト船長」が、闇の中から船を漕ぎだすんだ。一曲目の「宜候」で船はゆっくり動き出す。ラヴ航海士の「all right 船長」のコーラスに導かれてその姿があらわになる。ラヴ航海士=曽我部恵一の若い肉体の力。これが効いてる。難解だけど重くない。軽いってことでもない。熟成された知性と闇を恐れない狂気が、身軽で風通しの良い肉体を持ってる。もう最強じゃないか。ムーンライダーズが辿った30年の深みと凄みの延長にありながら、まるで鈴木慶一あがた森魚が76年に作ったレコードのような感触-それはロマンと言ってもいい-がある。
鈴木慶一のソロアルバムが出る」と聞いて、多くのファンは様々な思いを巡らし、期待と不安を持ってその音を待っただろう。こんな感じであって欲しいと期待したり、その期待を裏切って欲しいと思ったり、もういろいろ。でこのアルバムを聴いて、全員納得できたと思う。「これだ!」って声上げられた思う。「ヘイト船長とラヴ航海士」なんてタイトルとか、アートワークとか、一つ一つの言葉とか、メロディとか、音像とか、センチメンタルとかロマンティックとか、アバンギャルドとかパンクとか、鈴木慶一のソロと聞いて持った期待のすべてを満たして、さらにその上を行って、さらに凄みを見せつけて、船が行くんだ。
鈴木慶一すげーカッコイイ!って思ったよね、実際。みんなもそうでしょ?08年最新型のロックミュージックとして勝負してるしさ。今も聴いてるんだけど、つい興奮してしまう。あーやっぱりうまくまとまらないや。