日々の泡。

popholic diary

リチャードの帰宅

休日。朝から会社。って…。得意先の都合で2時間ばかりお仕事。で昼前には帰宅。娘はソファーでゲーム中。どっか行こう!と誘ってもインドア派の娘はつれない返事。ではとDVD鑑賞。「夕凪の街 桜の国」観る。僕は映画館で観てるけど、漫画を熱心に読んでいた娘が以前からぜひ観たいと言っていたので。麻生久美子名演に泣かされる。
夕方、京都へ出てライブ。鈴木博文ソロツアー「月の切れ端をチケットに」@京都・陰陽。ゲストは西村哲也さん。というわけで西村会も全員集合。飲んで食べつつ開演を待つ。陰陽はちょうど程よいサイズ。お客さんの数も少なすぎず立ち見になるほどでもなく。
で博文さん飄々と登場。まずはピアノ弾き語り。あーこのピアノの音。湾岸の音だ。ロックシンガーが弾くピアノ。たどたどしくて荒っぽくて独自の陰影がある音。これだよ。ロックなピアノ。「どん底天国」「どん底人生」「どん底天使」の3連発に泣きそうになる。メトロトロンから出た7インチシングル。冬の匂いが立ち込める湾岸サウンドに博文さんの乾いた歌声。そりゃもうめちゃめちゃ聴いたもん。それが今、目の前から聞こえてくる。ちょっと堪んないな。そして西村さんのソロコーナー(さくっとアコースティックで。西村さん、シンガーとしてますます良い。堂々とした歌いっぷり)を挟み、博文さん再び登場。西村さんはエレキに持ち替え。で二人の息のあったステージ。博文さんとグランドファーザーズでのライブを心斎橋クアトロで観たのは15年ほど前か。博文さんのギターは独特の緊張感がある。僕にとって博文さんの音楽はルーツミュージックである。聴きながらつくづく思った。10代の後半。ゆらゆらと揺れながらもいつも何かを感じていた頃。その頃、いつも傍にあったのがこの音だ。「ロック」なんて曖昧なもの。定義なんてないけど、博文さんが「ロック」だった。今でもそれが全ての基準だ。西村さんのエレキギター、見事な好サポートぶり。エッジを効かせて切り込んでくるかと思えば、伸びやかな音で世界を増幅させる。長年培った二人の音の関係。そりゃ相性いいでしょ。久々に湾岸の音世界にどっぷり。やっぱりこれが全ての基準だ。