日々の泡。

popholic diary

「日々の泡。」の始まり の話

昨年末にUPしたエムカクさんの「明石家さんまヒストリー」の書評が、思わぬことで水道橋博士さんに取り上げていただき、ほぼ休眠状態だったこのブログも多くの人に訪れていただいた。

せっかく読んでいただいたのに開店休業状態というのもアレなのでちょっとこのブログの始まりについて書いてみようと思う。

自分がネットに文章を初めてUPしたころのことを少し振り返ってみる。

昔々1995年のこと。大学を卒業し、大阪の問屋で働き始めて2年目。大学時代の友人たちと自費で雑誌を作った。まぁ遊びなんだけど、自分の結婚式の2次会で友人たちに配ろうという目論見で10数名の友人たちに声をかけ、好きな音楽アルバムについて原稿を書いてもらった。「OFF!」というタイトルをつけて100部ほど作ったかな。

以前から文章を書くには嫌いじゃなかったし、子供のころから本や雑誌が好きだったので編集者ごっこがなんとも楽しく、なんとかもう一回作れないものかと友人たちから原稿集めたりもしたものの、仕事に追われるままなんとなくずるずると時間ばかりが過ぎていった。ちょうどその頃インターネットが普及し始め、当時勤めていた会社に数台ネットができるPCが導入された。お昼休みにそのPCに陣取りネットサーフィン(懐かしい言葉だな)する中で出会ったのが水道橋博士さんのHPだった。すっかりはまって浅草キッドの漫才台本や博士さんの日記をむさぼるように読んだ。ほんと文字通り更新を心待ちにして端から端までむさぼるように読んだ。

そこでふと思った「そうだ僕もHPを作ろう。雑誌ごっこが一人でできるじゃないか。」そして98年、見よう見まねで作った個人HPが「OFF!!音楽と笑いの日々」

で、そこにUPすべく日記を書き始めた。それが「日々の泡」と題した日記の始まり。

正直、仕事は面白くなかった。どう考えても不向きな営業仕事でストレスたまりまくってたこともあり、ストレス発散とばかりに、仕事の愚痴から好きな音楽やお笑いについてを書いてはUPした。まぁ今読んだら、お前何様なんだよという感じで書いていて恥ずかしいことこの上ないのだが…。

で一番古い1998年1月の日記を読んでみた。

1998.1.1
朝から
爆笑ヒットパレード」をチェック。
爆笑問題は見れなかったが浅草キッドの漫才と何年かぶりに遭遇。

という一文から始まる。面白いことに「浅草キッド」の話から日記が始まっているのだ。

日記を書き始めたこと、HPを作ったことは浅草キッド水道橋博士さんの影響であることは間違いないし、そのモノの見方や行動にこの先もずっと影響を受け続けることになる。

で紆余曲折あって2003年、僕は地元滋賀のラジオ局に転職し新たな生活が始まる。時代はHPからブログの時代へ。ここはてなブログの前身、はてなダイアリーに日記を移行したのが2004年10月31日のこと。つまりはこのブログ「日々の泡」である。それから2010年ごろまではほぼ毎日日記を書いてUPしている。自分でもよくまぁあんなに書いてたなと思う。文章とは面白いもので書けば書くほど調子が出てきて、もう何でも書けちゃうなんて気分になってくる。まぁ面白いぐらいに書くことができた。

で2010年半ばから日記は途絶えだす。この頃、僕は営業から念願の制作に異動になり、自分自身がディレクターとして番組を制作することになる。ブログ以外に表現する場ができたのと同時に作る立場になって急にブログで文章を発表することが怖くなってしまったのだ。それと2009年10月から始めたTwitterも大きい。短い言葉に慣れてしまってすっかり長文を書くことができなくなってしまった。

であっという間に10年。仕事は紆余曲折あり制作~営業の異動を繰り返し今はさえない営業マンとして相変わらず音楽を聴き、映画を観、本を読んだりラジオを聴いたりして暮らしている。

そして2020年12月13日、読み終えたエムカクさん「明石家さんまヒストリー」の書評を久しぶりにブログにUPした。

その4日後、2020年12月17日10時29分。Twitterに一通のDMが届く。

明石家さんまヒストリー」の書評を引用したいという内容、そしてそのDMの送り主の名前に僕は腰を抜かすことになる。

その送り主の名前は、僕がこうして文章を書くきっかけとなった「水道橋博士(小野正芳)」さんだったのだ!