日々の泡。

popholic diary

戦争は終わった

休日。8時起床。妻と娘は今日、明日と近所の奥さん&チビッコ軍団でログハウスでキャンプ。つーことで真の休日だ。二人を送り出し、朝から別宅・滋賀会館シネマホールへ。ずっと観たかったテリー・ジョージ監督「ホテル・ルワンダ」観る。
1994年、ルワンダ。民族抗争が激化し、わずか100日の間に100万人もの罪なき人々が虐殺される。そのさなか、一人のホテルマンが、ホテルマンとして培われた叡智と機転で、1200人の命を救うことになる実話がベースになっている。もうずっと胸を揺さぶられ続けた。もうずっと涙が止まらなかった。「全米が泣いた」的なやわな感動話なんかじゃない、この涙はそんなもんじゃない。ずっと人間という存在について考えた。正義の名のもとに、ナタを振りかざし、いとも簡単に人を殺すのも人。昨日までの隣人に何の罪も無いのに殺されるのも人、その命をなんとか守ろうと苦悩し戦うのも人、その事実を他人事として見て見ぬふりをするのも人、そんな事実すら知らないのも人。みんな同じ人間なのだ。わずか12年前の出来事。僕は去年、町山智浩氏の日記でこの映画が紹介されているのを読んで、初めてこの虐殺の事実を知った。同じ星に暮らしながら、100万人もの人が虐殺されていたことすら知らなかったのだ。全く恥ずかしい話だ。主人公、ポール(ドン・チードル)は決して特別な人間じゃない。スーパーマンでもなければ正義のヒーローでもない。ただ、愛する人が虫けらみたいに殺されることを望んでいないだけのこと。その気持ちを守りぬくことが結果1200人もの命を救うことになる。愛する人が目の前で頭をぶち抜かれたら、どんな気がする?ちょっとした想像力があれば、とても普通な気持ちじゃいられないだろう。誰もそんなこと望むわけないじゃないか。でもね、悲しいことに、現実はそうじゃなかった。人間の歴史を見てみるとそれがよくわかる。だって戦争はいつまでたってもなくならない。僕たちはいつでも隣人の頭をぶち抜く可能性があるし、ぶち抜かれる可能性がある。これは他人事じゃない。12年前、ルワンダでは隣人を守る人より、隣人の頭をぶち抜く人の方が圧倒的に多数派だった。日本だって、数年前まで隣人の頭をぶち抜くことが正義とされ圧倒的に多数派だったし、もしかしたら今その状況になれば、悲しいかなそうかもしれない。アメリカは隣人の頭をぶち抜くことこそが正義だと言ってるように僕には聞こえる。愛する人を守る為に、殺しあうなんてナンセンスな話じゃないか。でも、戦争はどうしてなくならないのかな。ずっと考えてた。なんて悲しいんだろう。お前はどっちなんだ-自分に聞いてみる。どんな状況下にあっても、愛する人を守る、その気持ちの強さを持っていられるか。どんな状況下にあっても、隣人の頭をぶち抜く側じゃなくて、守る側にまわれるか。たとえ、自分の頭がぶち抜かれようとも。この映画は、はるか遠くの物語じゃない。ほんの数年前、同じ星で起こった現実なのだ。そしてそれは自分にも繋がっている。その現実は今もすぐそばに在るものなのだ。もし、この映画を観ることが出来るのなら、是非観て欲しい。そして考えてみて欲しい。自分自身の問題として。
午後、父が入院する病院へ。玄関先の桜は満開ではないけれど、とてもキレイ。父、手術して二週間、一人で歩けるようになり、クッキーを1枚ゆっくりゆっくり食べられるようになった。後2週間ほどで退院できるかもとの話。人間の回復力って凄い。病室で父と母と3人で。夕方まで居て、母と一緒に帰る。帰り道で寿司を買って、二人で夕飯。
で帰宅。一人チューハイをちびちび。新番組「くるくるドカン」で掟ポルシェ氏に大爆笑。こういうくだらなさを、本気で守りたいって思ってる。頭ぶち抜かれるとしてもね。