日々の泡。

popholic diary

テーブルにひとびんのワイン

夜中、暑いのと痒いので何度も目を覚ます。なんでこんなに蚊にくわれてるのか?
でもう夏の終りなのに今日はやけに暑いな。
いきなり夜の話。今日は京都で大好きな友達と飲む。日本酒とメガネの会だ。ここんとこちょこっと、へこんでたんだけど、おいしい料理と日本酒とオモロな会話で一気に吹っ飛ぶ。「ロマンチックすぎる、乙女度高すぎ!」と突っ込まれつつ、それもまた楽し。なんかもうぶっちゃけトーク全開で、全部見透かされてて、ちょこっと傷ついても、それを越えるオモロでなんか吹っ切れたな。ベロベロに酔っ払う。
プレイボーイ・プレイガールそう今日聴いてたのはピチカート・ファイヴ「プレイボーイ・プレイガール」。多分このアルバムって「ベリッシマ」や「女王陛下〜」や「月面軟着陸」や「女性上位時代」に比べると、衝撃は少ないしあまり語られることもないだろう。ある種、倦怠期的な作品ではあるのだが、ここに収められた楽曲の素晴らしさは特筆に価する。作家・小西康陽の本質が伺える作品ばかり。窪田晴男のホーンアレンジが効いた「新しい歌」、ブレッド&バターが美しいハーモニーを聞かせる「不思議なふたつのキャンドル」、ソフトロック直系の「大都会交響曲」も、とにかくもう生理的に好きとしか言えない楽曲ばかりなんだ。その中でも特に、特に好きなのが「きみみたいにきれいな女の子」。このロマンティックに過ぎるタイトル、女性に対する幻想に近い崇拝は、女子からすれば「アホか」と呆れられるかもしれないが、もうどうしようもない。これは青春時代丸っきりモテなかった男の宿命なのだ。こんな曲は決して福山雅治には作れないだろう。作れっこないや。「きみみたいにきれいな女の子が/どうして泣いてるの/きみみたいにきれいな女の子は/他にいないのに」だなんて!このフレーズを聴く度に思い出す女の子が一人。彼女はいつもちょっと悩んでいて、僕は人のいいおじさんとしてありふれた慰めの言葉を少しと、この歌をこっそり捧げた。いつものようにただの片想いなのだけど、それでも僕はこのフレーズを捧げずにはいれなかったのだ。彼女は今ごろ、何をしてるのかな?多分僕のことなんか、もう丸っきり忘れてるだろうけど。ん?この歌が発表されたのは98年。僕が結婚したのが95年だから・・あれっ?この話はオフレコで・・。
こんなことばっかり言ってるから「乙女でドM」とか言われんだな。ごめん、今日はベロベロに酔ってる。