日々の泡。

popholic diary

ロックンロール・ハート

昨日は夜中まで佐野元春聴いて、今朝は8時起き。朝から娘のリクエストで「考えるヒトコマ」ビデオで。ケンコバがオモロ。
それから娘と駅前のスーパーへ。娘がはまっている「プチさんぷる」が箱から出した状態で売ってるフィギュア屋に連れて行って「買ってあげる」というと大喜び。床に座り込んで「やきそばセットも欲しい・・ドラッグストアセットにしようか、給食天国は持ってるし・・」と実に30分迷いに迷う娘。それ見てるのがオモロ。
昼は今日もおにぎり。娘の好きなおにぎりは「塩のみ」。中には何も入れないでというのである。食べながら吉本新喜劇観る。内場&小薮オモロ。
外は雨。娘は居間にプチさんぷる広げて一人ままごと。時々、娘にちゃちゃ入れながらビデオチェック。NHK教育の「金曜かきこみテレビ」。みうらじゅんのコーナーで「高見沢(The ALFEE)のギターを(勝手に)デザインする」ってのがスタート。高見沢氏のセンスのカケラも感じさせないデザインギターに関してはちょっと「半笑い」ってのが正しい見方で、そこをこういう形でNHK教育でやってしまうとこが、みうらじゅんだなぁ。「じょうろ」とか「マグロ(すし)」とかにデザインされたギターがオモロ。それにしてもみうらをはじめ、ローリー、ますだおかだ山本晋也って金曜7時NHKとは思えない出演者。「けんかと仲直り」についての子供たちの書き込みを基に彼等が討論するってのがあったのだが、誰一人いかにも「大人」なこと喋ってないのが素晴らしい。こういう大人たちがいるってことを、子供たちに知らせるのはいいことだ。
あとこれもNHK太田光向田邦子について語る「こだわり人物伝」観る。人間ってのは様々な感情を胸に秘めてる。決して一面的な存在ではなく限りなく多面的な存在だ。物凄く清潔な部分があると思えば、ドロドロに汚いものも持ってる。悲しいニュースに胸を痛めたかと思えば「あの野郎、死んじまえばいいのに」なんて思ってしまう瞬間もある。美しいラブストーリーに感動した数時間後に、グラビアアイドルの肢体に鼻の下を伸ばしてる。矛盾した感情の間をピンボールみたいに行ったりきたり。なんで突然こんな話してるかというと、向田邦子の妹・和子さんが向田邦子を決して正しくて清潔なだけの人ではない、意地悪で嫉妬深くて、そういう嫌な部分をも胸に秘めてて、そして人間のそういう面も認めた上で、彼女はとても温かな人だった・・と言ってたのが印象的だったから。うん、なんかもっと上手く言えればいいんだけど。だから何?って話になっちゃったな。
北村薫「スキップ」読了。氏の本を読むのは初めてで、なんで読もうと思ったかは藤子F不二雄先生の娘さんのインタビュー記事。F先生は3人の娘が子供の頃、毎週本を贈っていたそうで「〜最後にもらった本は北村薫の『スキップ』。読み終えたとき、父の気持ちに沿った内容だと胸が熱くなりました。後でわかったのですが2人の妹も父からこの本を贈られていました〜」というのを読んで興味持ったから。内容は17歳の少女がある日突然42歳の自分に一足飛びにスキップしてしまう・・そんな状況にとまどいながら「今」を前向きに生きていこうとする主人公の姿を、日常という舞台の中で描いた作品。誠実で清潔、丁寧で凛とした作品で心が清々しくなる。それが嫌味なくすっと胸に入ってくる。「時」の中、人は生きてる。昨日があり、今日があり、明日がある。当たり前過ぎて気にも留めないけど、そういうことだ。
考えてみたら僕は「時」に対して人一倍執着心が強いんじゃないかと思う。こうしてもう6年も日記を書いてるのは「時」への執着なんじゃないか。その時々の自分自身の想いを時に記号化して、時に暗号化して、書き綴ってる。大体、日記の中でも過去の話が多いしね。時々、ふと自分の言葉を読み返してみる。例えば2001年7月の日記を読むと、そこには2001年7月があって、2001年7月の自分が居る。それはちょっとおもしろい体験で、もしかしたらこの日記を一番楽しみにしてるのは未来の自分なんじゃないかとさえ思う。
なんだか今日はとりとめのない話ばかり書いてるな。しかし北村薫氏の言葉、表現は美しくって清潔でかなり好き。なんだろう魂の深いとこにそっと触れてくる感じがある。比べて悪いんだけど例えば石田衣良氏の書く言葉なんか物凄く上手いし、物語もおもしろくて感動的だったりするんだけど、どこか魂レベルで共感しきれないんだよね。目線の高さが違うというか。
で土曜の晩御飯は俺にまかせろ(っつーか必要に迫られてやってんだけど)。水菜とあぶらげ煮びたし、茄子と豚肉の味噌炒めを作る。冷凍庫に塩ジャケがあったのでそれも焼く。