日々の泡。

popholic diary

億光年の岩で転げてる

月曜。スナックパンとオレンジジュースの朝食。
会議、来客と続いて3時になって昼食。松屋豚めし。客は僕一人だったが、食べ終わる頃には6人に増えていた。もしかして俺って福の神か?など思いつつ。
帰りの音楽はあがた森魚佐藤敬子先生はザンコクな人ですけど」。なんなんだろうこの透明感は。物凄く個人的なことしか歌ってないのに、まるで嫌らしい自己顕示欲が感じられない。この感触ってどこかで感じたことがあるな・・と考えて思い当たったのが横尾忠則「コブナ少年」の読後感。個を語ってるのに、結果としてエンターティメントになってる。個人の記憶なんてのは氷山の一角に過ぎない。人間はその脳の中に太古からの記憶を持っている。個をつきつめることで、その人間がもつ深い記憶の領域、アカシックレコードに触れる。そこで生まれた音楽は、聴く人の深い記憶を揺さぶる。あがた森魚の音楽を、僕は生まれるずっと前から知っていたのだ。