日々の泡。

popholic diary

2024年6月1日~7日の話。

2024/6/1

8時起床。スクランブルエッグとトーストの朝食。で今日は朝から京阪電車に乗って京都まで。MOVIX京都で今泉力哉監督「からかい上手の高木さん」観る。西片はクラスメイトの高木さんにいつもからかわれてばかり。そんな中学生二人の初恋未満な関係を描いたドラマ版から10年後の話。地元、小豆島の体育教師としてかって通った中学校で働く西片。10年前に父の転勤でパリへ、今は東京の美術大学で絵を学んでいる高木さんが教育実習生として島に帰ってくる。10年ぶりに再会する二人。初恋未満のまま止まっていた二人は…。ってな話。初々しい爽やかさは中学生なら確かに成立するが、さすがに10年後となればそれはもうファンタジーの世界にならざるを得ない。25歳っつったらさすがの俺でも童貞じゃなかったもんね。でも、まぁそこは映画のマジック。小豆島の澄んだ空気とパステル画のような風景に高橋文哉、永野芽郁がとけ込む。正直、心に埃が溜まり切ったおじさんなもんで、胸キュンというよりアナル周辺がむずがゆくなるような「アナむず」といいたくなるようなところも多いのだが、彼らの教え子である中学生、絵が好きだが登校拒否中の町田君、彼に片思いする大関さんの登場で物語がグッと引き締まる。「好き」の感情の真っただ中であり、その想いに戸惑ったり、正直だったりしながらも向き合う二人が、西片、高木さんのメンターになり、初恋未満のまま止まっている二人を動かしていく。「うれしい楽しい大好き」とはならず、「好き」という感情を顕微鏡で覗くように描いて見せるのは今泉監督の真骨頂。心に溜まった埃をさっとふき取ってくれるクイックルワイパーのような作品だったな。

しかし、永野芽郁の爽やかな笑顔に悶絶する50男というのは我ながら実に不健全な気がする。客観的に観てキモイ。むしろ熟女ものAVを観てる方が健全なんじゃないか。

気持ちの良い天気の京都を歩いて移動。サイゼリヤがいっぱいだったので、結局また「なか卯」で親子丼。安定、安心の親子丼。親子丼は裏切らないと常々言っている大の親子丼好き、令和のヤマタク山拓、親子丼で検索を)とさえ言われる私。しかし今日の親子丼は…。運ばれてきた瞬間、パッと見てすぐに違和感が。ふわっとトロッと黄金色の親子丼のはずが、玉子がガチガチに固まっとる。なんなら一部焦げ付いとる。なのに色味がやけに薄い。一口食べると、出汁が明らかに薄い。心なしか鶏肉も少ないような気がする。いったいどうしちゃったんだよ。まぁ黙々と食べたけど、なんか悲しい。冗談だよと笑って欲しい。信じていた恋人に裏切られたような気分で京都シネマへ。

ジョナサン・グレイザー監督「関心領域」を観る。ある裕福な一家の日常を淡々と映し出す。きれいに整備された庭、広がる青空。だがその家は高い塀で囲まれている。常にグォーと焼却炉の低い音が響き、建物からは絶えず煙が吐き出されている。時に銃声や悲鳴が聞こえる。壁一枚むこうはアウシュビッツの収容所。その家に暮らすのはナチスの高官で収容所の所長とその家族。絵にかいたような豊かで幸せな暮らし。だが彼らの暮らしは醜悪さや傲慢さを塗り潰したキャンパスに描かれた「絵」に過ぎない。そしてその醜悪さや傲慢さ、悪が日常の綻びから顔をのぞかせる。誰かの命より、自分の贅沢な暮らしを優先し、彼らは「知らず知らずのうちに」ではなく自ら率先して悪に加担しているのだ。映画は説明を排除し、淡々と彼らを描きながら、凡庸じゃない悪の実態を浮き上がらせていく。積極的に見ないふりをし関心領域を狭め豊かさを享受する。そこに葛藤すらないのが恐ろしい。映画には一人「関心領域」を飛び越えてくる少女が登場する。飢えた人々の為にこっそりと食べ物を壁の境界線に隠すように置いていくその姿が、現在進行形で虐殺が行われる今、あなたはどうするのか?と問いかけてくる。

映画を引きずりつつ京都駅まで歩いてJRで帰宅。

夜はNHKのドラマ「パーセント」最終話をリアタイ。フレッシュな魅力あるドラマだった。

明日はイベント仕事なので夜更かしせずに寝る

2024/6/2

7時半起床。妻が買ってきたぶどうパンの朝食。子供の頃苦手だった干しぶどうだが、今はもう大好き。オールレーズンも大好物。で今日はイベント仕事。目まぐるしく変わる天気予報にやきもき。早朝には激しい雨が降ってたがなんとか曇り空に。会場は一応屋根があるが広々としたオープンスペースで横殴りの雨が降ると全部入ってくる。

で若干降った瞬間はあったがなんとかもって夕方イベント終了。と同時に激しい雨が降り出す。急いで後片付けして無事お仕事も終了。朝から何も食べてなかったので同じ敷地にあるバーガーキングに直行してワッパーJr。バーガーキング美味しいなー。

ということでカーネーションのライブには行けず。

2024/6/3

鈴木博文古希記念 ライブ 「Wan-Gan King 70th Anniversary」を配信にて。先日本人にもサプライズで発表されたトリビュートアルバム「16 SINGS OF HIROBUMI SUZUKI」のプロデューサーでもある猪爪東風をバンマスとしたバンド&鈴木博文あがた森魚から3776までという様々なゲストが入るBright Young&Old Wan-Gan Workersなスタイルで。

ムーンライダーズで最初に買ったレコードは1985年10月21日リリースの「ANIMAL INDEX」だった。中3の時だ。84年から85年にかけてリアルフィッシュ、PSY・S、ZELDAの音楽に出会った。そしてリアルフィッシュのプロデューサーが鈴木慶一という人でPSY・Sのプロデューサーが岡田徹という人で、ZELDAのプロデューサーが白井良明という人で、さらに彼らは同じムーンライダーズというバンドの人だと知った。ムーンライダーズという名前こそ知っていたもののそのメンバーまでは詳しく知らなかったが好きになるバンドやミュージシャンのレコードに記載されたクレジットを見ると、時にプロデューサーとして時に作詞家や作曲家、アレンジャー、はたまたプレイヤーとしてそこかしこにムーンライダーズのメンバーが関わっていることがわかってきた。でそのタイミングで高橋幸宏とともに立ち上げたテントレーベルからリリースされたのが「ANIMAL INDEX」。バンドでありながら6人のメンバーが2曲ずつそれぞれに制作というスタイル。ま、中学生の僕にはそんなスタイルもまたとてつもなくカッコよく思えたな。メンバーそれぞれの個性や芸風がよくわかってムーンライダーズ初心者にはうってつけのアルバムだったように思う。6人のメンバーをこれでしっかり認識できた。でその中でひと際、僕の心を捉えたのは「鈴木博文」その人だった。「ウルフはウルフ」「駅は今、朝の中」。文学的で詩的、情景が浮かぶ歌詞、琴線に触れるメロディ、乾いたロックサウンド…それはもう夢中になって聴いた。そして86年。片面がカーネーション、もう片面が鈴木博文カーネーションの直枝政太郎のユニット「政風会」というアルバム「DUCK BOAT」、ムーンライダーズの12インチシングル「夏の日のオーガズム」、そして2枚組のライブアルバム「ザ・ワースト・オブ・ムーンライダーズ」と続き僕はすっかりムーンライダーズのとりこになっていた。特にライブ盤で「大寒町」「くれない埠頭」を初めて聴いてソングライター鈴木博文に心酔していった。で86年11月21日にリリースされた「DON'T TRUST OVER 30」。鈴木博文作詞・作曲でボーカルを務める「ボクハナク」、そして鈴木博文作詞による「DON’T TRUST ANYONE OVER THIRTY」この2曲が決定打となり、40年近く経った今でもムーンライダーズを、鈴木博文を聴き続けている。長らく音楽を聴き続けているけど「DON’T TRUST ANYONE OVER THIRTY」これ以上にロックな詞を知らない。日本ロック史上、最高峰の詞だと今でも思っている。

その後ムーンライダーズは5年に渡る活動休止に入るのだが、いち早くソロとして動き出したのが鈴木博文。兄、鈴木慶一と立ちあげたメトロトロンレコードの第一弾として87年10月5日にリリースされたのが初ソロアルバム「Wan-Gan King」。ちょうど高校通学の乗換駅・烏丸にあって当時インディーズ盤を取り扱っていた十字屋で買った。買ったばかりのレコードを抱え、すぐに聞きたいと烏丸駅阪急電車の到着を待った景色を今もはっきり覚えている。歌詞カードは封筒に入っていて、僕の買ったのには「304」のナンバリングがされている。聴いた。めちゃくちゃ聴いたよ、そりゃもう。翌88年のEP「どん底天使」リリース、そして初の著書になる「僕は走って灰になる」出版。この本はもう何度も何度も読み返した。一時期はずっとカバンに入れて通学の電車で繰り返し読んだ。自分がこうして日記を書く上で絶大な影響を受けた人が3人いる。その最初の一人は博文さんだ。時に過剰に詩情に走る文章の癖は博文さんからの影響が強い。とにかく14歳から20歳ぐらいの多感な頃、僕が最も憧れた人は間違いなく鈴木博文だ。

で今回のライブでは博文さんプロデュースの下、メトロトロンから巣立っていった多くのミュージシャン、直枝さん、太田さん、鳥羽さん、青山さんに加藤さん、青木さんと続々登場で、メトロトロン子だった僕にとっては嬉しい限り。また鈴木博文湾岸スタジオで作り上げた独自の打ち込み-フォークギターやピアノを弾くようにどこか生々しく人肌の感触がある-サウンドを再現していて痺れた。続けて演奏された「Fence」「どん底人生」は特に素晴らしかったな。バンマス、猪爪東風いい仕事してますねぇ。あとトリビュート盤にも収録されたカーネーションによるカバー「ウルフはウルフ」、その選曲も解釈も最高。政風会の「裸足のリタ」が聴けたのも感慨深い。まだ30になるかどうかの時に、さらに若い直枝さんをフックアップし世に出るのを後押しした博文さん。若い才能を排出し続けたメトロトロンレコードはもっと評価されるべき。博文さんがいなければ僕のリスナー人生も味気なかったろう。

2024/6/4

「滅相も無い」中島朋子回面白かった。「北の国から」の蛍ちゃんなんて言うのはもはや50オーバーだけだろうけど、素敵ないい佇まいの俳優さんになられたな。同世代、嬉しくなる。

2024/6/5

NHK+で立川談志が語る手塚治虫を観る。カメラに向かって手塚治虫についてを語る談志。圧巻の一人喋り。スピード、強弱、表情、口調に構成、見事な話芸になっていて唸った。

2024/6/6

今日は代休を取る。いつもなら映画館へというところだけど、今日は朝から近くの日帰り温泉施設へ。ゆっくりと大浴場、サウナ、露天風呂に岩盤浴。休憩スペースでなぜか東山アキコ「かくかくしかじか」全5巻を読了し、また風呂浸かってと結局4時間ほどゆっくりした。最近はちょっといろんなものを詰め込み過ぎている。風呂に浸かってぼーっとする時間も必要だな。隣のモールで少し遅い昼食。たまの贅沢と思って1500円ほどのランチ。なか卯なら親子丼が3杯食えるぜ。

帰宅して庭の枇杷を収穫。今年も大量とまではいかないけどそこそこ実がなった。

夜、YouTubeで期間限定公開中の黒沢清監督98年作「蛇の道」を観る。娘を殺された男(香川照之)が謎の男(哀川翔)の協力で復讐を果たしていくのだが…ってな話。拉致してきた容疑者を執拗にいたぶっていくのだが、恐怖とシュールといかれたユーモアが絡まりなんとも不思議な雰囲気を醸し出す。そして終盤からラストに現れる本当の復讐劇。顔芸がオーバードーズする前の、若き香川の顔芸の絶妙な塩梅。ラスト表情は最高。そしてクールな哀川翔がやたらかっこいい。今作はフランスを舞台に黒沢清監督がセルフリメイク。もうすぐ公開ということで楽しみに待とう。

2024/6/7

昼休みに水道橋博士の日記を読む。能登で撮られた写真の数々。倒壊したままの家、ひび割れた道路…半年近く経ってまだこの惨状。改めて政府の無能さ、無情さに憤りを感じる。

note.com

定時で切り上げ退社。映画館に駆け込み瀬田なつき監督「違国日記」観る。両親を交通事故で無くした15歳の朝。朝の母親の妹で小説家の槙生は葬式の席で、衝動的に朝を引き取ると宣言。槙生と姉は不仲でほぼ初対面の二人。人見知りで人付き合いが苦手な槙生と、明るく人懐っこい朝。まるでタイプが違う二人が共に暮らすことになって…という物語。自分の感情は自分だけのもの、決して理解し合うことはできないと言う槙生。今まで出会ったことがないタイプの大人である槙生に戸惑う朝。槙生もまた天真爛漫な朝に戸惑う。ぎこちない二人だが共に暮らし会話を交わすことで、理解し合えなくとも寄り添えることを知る。これ、かなり好きな映画だなー。ちょっと「夜明けのすべて」を思い出した。姉である朝の亡くなった母親のことを許せないでいる槙生、そんな母親を大好きだった朝。人は多面的であり、同じ人であっても見る場所、関係性によってまるで違って見える。そして他人が何を想い、どんな感情を抱くかをコントロールすることも出来ない。それは当たり前のことだけど、時に人はそれを忘れてしまう。だが自分の感情は自分だけのものであるように、あなたの感情はあなただけのものであり、お互いがそれを理解し、尊重することで歩み寄り寄り添うことができる。映画は二人の関係を描きながら、例えば朝の同級生たちにもそれぞれの物語があり、事情があることをちゃんとすくい上げる。そこがとても良い。朝や槙生に事情があるように、誰もがみなそれぞれの事情がある。槙生を演じるのは新垣結衣。「正欲」に続いていい映画を選んだね。新垣結衣、そして友人役の夏帆。かっては少女を演じた二人が、ちょっとダメな大人になって少女を導く。そして朝を演じた早瀬憩が素晴らしい。眩しいばかりの生命力、子供のような天真爛漫さと揺れながら成長していく少女の繊細さ。映画は残っていく。一瞬に過ぎ去っていく青春の輝きをこうしてフィルムに残せたことは彼女にとっても大きな財産だろうな。とっても良い映画だった。