日々の泡。

popholic diary

休日日記。20181006

土曜日。朝食はキャベツと卵とハムを焼いてトーストに乗せて。休日にはトーストを食べる。どう食べようか、何がおいしいのか、日々考えている。正解のトーストはどこに。

電車に乗って実家へ。「東京ポッド許可局」「ビバリー昼ズ」「蛤御門のヘン」ポッドキャストで聴きながら。

雨が降ったり止んだり。10月だと言うのにやたら暑い。母と二人、歩いて父の墓参り。考えたら母と二人でこうして歩くのは何十年ぶりだろうか。

父の墓前に手を合わせ、家族のことを見守っていて欲しいと願う。墓参りするとちょっと心が軽くなる。なんてことを思うのは歳をとったからなのだろうか。

帰り道、パン屋に寄って焼きたてのパンを買う。焼きたてのパン屋ほど平和な空間はないと思う。

実家で母の作ったカレーの昼食。いや、昨日もカレーだったのに…。でも久々の母のカレーはちょっと甘めで懐かしく美味しかった。コロッケや昨日の残りだというエビチリ、さっき買ったパン。梨に柿にブドウ。次から次に出てくる料理に腹もパンパン。息子に美味しいものを食べさせたいという思いは有難いけど、もう息子も結構な中年、なんなら初老だから。

少し実家でのんびりして、阪急電車に乗って烏丸まで。高校時代の通学コース。毎朝一緒になるきれいなお姉さんがいたなぁなんて思いだす。

京都シネマで映画を一本。三宅唱監督「きみの鳥はうたえる」を観る。夜が白々と明けていく。けだるくやるせなく、どこか物悲しい。ページをめくる度に終わりが近づいていく。明けない夜はない。というけれど、時には明けて欲しくない夜もある。石の眼をした「僕」は、夜に立ち止まっている。ページをめくることを放棄したかのように。とてもいい映画だった。柄本祐、染谷将太、そして石橋静河。3人それぞれが素晴らしい。真夜中のクラブで踊る石橋静河の動き、表情、そこに漂う空気。何十年、何百年経ってもこの映画を見た人全てを魅了するだろう。それぐらい素敵なシーンだった。