日々の泡。

popholic diary

ホンコン・ナイト・サイト

机の上に無造作に置かれた書類の山。一気に日常に引き戻される。実質1日、それも代休とっただけなのにここまで容赦ないと逆に痺れる。でもさすがに今日は踏ん張りが効かない。思考が停止してしまったので、仕事は明日じゃ、ボケッ!と残業もそこそこに帰宅。
で香港話をちょこちょこ書いていこうか。題して「香港と私」。まずはその1。
不思議と縁のある街、香港。まずは父の話からになる。僕が小さい頃、父はしょっちゅう中国に行っていた。繊維会社に勤めていた父は、1960年代半ばから1980年頃まで年に1、2度1ヶ月ぐらいの長期出張で中国に行っていた。まだ中国との国交が回復する前で、香港で下宿して中国に出向いていたんだと聞いた。父にとっては思い出深い場所。そして兄が香港へ転勤したのが3年程前。ちょうどそれもあって、父は母と二人で香港旅行に出かけ懐かしい街を見て回った。それが結果最後の海外旅行になった。「次はさおり(僕の娘)を連れて行く」と何度となく父は言っていて、去年手術した後、その想いは大きくなっていったようだった。元気になって正月にはみんなで香港へ。それが父の大きな目標だった。父の死後見つけた日記。「定年日記」と題された日記は最後に入院する去年の12月まで休み休みではあるが綴られていて、そこにも「さおりを連れて香港に行きたい」と何度も書かれてあった。で、まぁ、僕はと言うと、兄が住んでる間に一度は行こうと思いながら、会社休めないだのなんだの言いつつ機会を逃し続けていた。でもその日記を読んで、お通夜の日になにがなんでも行こうと決めたのだ。予定では兄が夏に香港生活を終え、日本に帰ってくることになっていたから、6月頃に行くつもりだったのだが、兄の帰国が早まり急いで日程を決めパスポートをとったという訳。実は14年前に一度香港旅行はしている。大学の卒業旅行。なぜに香港?と当時も言われていたが、なんか行きたかったんだよね。ディック・リーがプロデュースしたサンディ・ラムのアルバムをよく聴いていたし、香港映画にはまっていたからってのもある。ジャッキー・チェン以降、ウォン・カーウァイ以前という中途半端な時期ではあったがサリー・イップやジョイ・ウォンなんて美人女優がいてね。香港のあの洗練と猥雑が同居した感じに妙に惹かれたんだな。そんな訳で、僕の海外初体験は香港。現地人に道聞かれるぐらい香港に溶け込んだ。
で今回の旅の目的はもう一つ。兄が香港人の彼女と正式に結婚することになった。彼女は何度か兄が連れて帰ってきていたし、なんとか最後の最後に兄は結婚することを父に報告していた。それは兄が結婚を決意した一つの要因でもあったんだろう。父の葬儀の時にもいっしょに来てくれて、なれない日本で実によく動いてくれた。兄について故郷を離れ、日本に来てくれるってんだから、それはもうこちらが挨拶に出向かなきゃいかんでしょうよ!ということで。ここは一つ、弟としても先方のご家族に仁義切っとかないとね。
うーまだ初日に辿り着かないが、続きはまた明日。