日々の泡。

popholic diary

青春狂走曲

いきなりですが、今日聴いてたのは曽我部恵一「東京コンサート」。10年前のアルバム「東京」を再演したライブ盤。実にいい。収録された「下高井戸シネマ」の空気感までも伝わってくる。大切に、愛されてきた「歌」がここにはある。曽我部恵一本人はもとより、多くの人の心の中で育ってきたんだな。歌とギターだけ。派手さもなけりゃ、マーケティングもされてない。もちろんただ懐かしむだけのものじゃない。でも、いいんだよ。10年前より、少し太くなった声で歌われる「歌」。この前オリジナルの「東京」を聴いて「狙いすぎなとこが、今聴けば微笑ましい」と書いたが、そんな青臭い部分が凄く慈しむように歌われてて、グッときたな。こんな風に言葉や音が発せられ、受け止められる。これは音楽にとっても幸福なことだと思うな。10年の時間が何を与えたのだろう。例えば「青春狂走曲」の「そっちはどうだい/うまくやってるかい/こっちはこうさ/どうにもならんよ/今んとこはまあ/そんな感じなんだ」なんてフレーズ。10年前はいかにも「それっぽい」言葉で、薄っぺらな言葉遊びにも聴こえた。でも10年経って歌われるこのフレーズは言葉遊びなんかじゃない。「実」を伴った言葉。心地よい風を受けて、いつもの帰り道を歩く。ポケットに手を突っ込んで、信号に足を止められる。ふと耳元でこのフレーズが歌われる。ちょっと苦笑しつつ思う。全くだ。「今んとこはまぁ、そんな感じなんだ」って。
ちょっと顔を上げてみる。道の向こうには夜に浮かび上がるマンション。小さな窓から小さな灯りが漏れる。その小さな部屋には小さな家族が住んでて、小さな喜びや小さな悲しみを積み上げているんだな。