日々の泡。

popholic diary

How About You?

木曜。ここんとこ、木曜が金曜に思えてしょうがない。…なんだ、それ。
会社でなぜか「ラムネ」談義。おやつに食べたラムネがあまりにもまずいと真剣に語る同僚に、なんとフォローしてよいものやら。ラムネに対するハードル高すぎるやろっ!と突っ込むが、いや、本当においしいラムネはこんなもんじゃない、ラムネの実力はこんなもんじゃ…とあくまでも熱く語っていて、それがなんだか妙に可笑しい。本日の笑いの天使だ。
今日はなんだかやけに疲れて8時退社。閉店間際のパルコによって、紀伊国屋で鋭気を養う。「ほぼ日」で気になってた、大橋歩さんの雑誌「Arne」がバックナンバー含めて揃ってたので、佐藤雅彦が出てる号を一冊購入。それと落武者みたいな(失礼)山下達郎が表紙のクイックジャパン誌も購入。だって、あだち充12000字ロングインタビューは読みたくなるだろう。思春期の頃、「みゆき」「タッチ」はコミック出るのどれだけ楽しみにして、読みふけったか。絵そのものの心地よさと、語り口の上手さ。「基準は切なさ」その切なさの原点だったかも。もちろん、みゆきみたいな妹も、南ちゃんみたいな隣人もいなかった訳だが、だからこその想像力と感受性が、基準であるとこの切なさを形成していったのだ。
帰りの音楽はフランク・シナトラ。この前買った10枚組みジャズヴォーカルアルバムの中の1枚。オールドスタイルの心地よいホーンの響きに包まれ、夜道を歩いてると、ウッディ・アレンの映画の主人公、いや、主人公は言いすぎか、端役になったみたいな気分になる。大津の街並みは、映画で見たマンハッタンの街並みとは随分違うけど、それでもちょっと背中を丸めて歩くと、なんか“気分”だな。
で帰宅。テーブルの上に娘の遠足の写真。パラパラと眺める。友達たちとピースサインをして映る娘の顔は、僕の知らない顔だ。そうなんだね、彼女は彼女で自分の世界を作り始めてる。僕もそうだったみたいに。僕の目に映るもの、僕の心に響くもの、彼女の目に映るもの、彼女の心に響くものは、やっぱり違うよね。でいつかそれが、共感しあったり、反発しあったり、影響したり、されたり出来ればいいね。想像力と感受性が大切だよ。それからユーモアも忘れちゃいけない。不肖の父親が、このコドモな親父が伝えたいことは、それだけだよ。うまく伝えられるかな。