日々の泡。

popholic diary

同じ道

8時起床。雨。今日は家でゆっくり…ともいかずになんだかちょこまかと動き回る。掃除して、DVD返しに行って、滋賀での用事ついでにやってきた母を駅まで送り迎えして、昼食のおにぎり作って、バイトの妻を迎えに行って…と中途半端にウロウロ。午後になって妻と娘は友達たちと遊びに出かけたので、一人トレーニングルーム行ってしばし運動。やっと筋肉痛治まったところであえて行ってみた。今日は大丈夫なんだが、明日間違いなく痛みがくるだろうな。それからHDDチェックは「アメトーーク」(松村のアベ前総理のものまね、最高)、「ニッポンの教養」。で夕飯は一人で残飯処理的にお好み焼き。「たけしの教育白書」見ながらチューハイ飲みつつ。うーん、たけしますます言葉が出てこなくなってるね。それでも太田光に対抗するかのように危険球を投げようとするとこが芸人の性なんだろうな。それにしてもオヅラさんのあの顔…。
で「政風会」だ。昨晩から、今日一日でひとしきり聴きこむ。これはやっぱり政風会の音。直枝さんも博文さんもどちらの曲も、ソロともバンドとも違う。中ジャケの二人のポートレート。21年前の「DACK BOAT」でのポートレートと比べ、実にいい顔になってる。それが過ぎていった時間の重みだ。しょっぱなから激しいバンドサウンドを響かせる直枝作「Bad Trip」。中原由貴(drums)、小里誠(bass)のリズム隊はザクッとしたワイルドな音。荒々しく砂埃が舞うイメージ。これが凄くいい。博文さんのハープが流れるとこで、あぁこれが2007年の政風会なんだと実感。21年前、湾岸で刻まれた音は静かにその景色を見つめているようだった。湾岸を出発点に旅に出た男。バンドを率い、幾多の困難を乗り越え、激しい荒波に揉まれながら生き抜いてきた男は、誰よりも強くタフになって湾岸に帰ってきた。そしてもう一人の男は、湾岸に居て、じっと自分を見つめ、より深くその音を磨いてきた。博文作「空とバケツと山百合と」。その深い音は鈍く光り強く輝いてる。直枝作、博文作が呼応しあうかのように交互に並べられる。湾岸に吹く風、空に浮かぶ月、星の名前、道の上。これはやっぱり政風会の音。この前、20年前のことをこんな風に書いた。「〜頭でっかちで、ひどくバランスの悪い、そんな時期。でもあの頃の感受性は、繊細で危うくて、今となってみればちょっと眩しいぐらいだ。」と。じゃあそれからの20年は何をしていたのか。居心地のいい部屋を出て、風雨にさらされ、凹んだり傷ついたりして生き抜いてきたんだ。自分の足で立って、少しは腕も太くなった。でっかくなった頭を支える、タフな肉体を手に入れる為の20年だったんだ。2007年の政風会を聴いて、実感した。彼らほどいい顔じゃないけど、20年経った俺の顔も悪くないだろ(と思いたい)。二人の声が、ギターが交じり合う「残月」の激しさと深み。でもここは到達点じゃない。彼らにとっても、僕にとってもここはまだ通過点に過ぎない。それはまた10年後、20年後はっきりするだろう。

政風会

政風会