日々の泡。

popholic diary

愛し愛されて生きるのさ

9時起床。妻と娘はご近所さんと遊びに行くとかで、一人朝から滋賀会館シネマホールへ。黒木和雄監督の遺作「紙屋悦子の青春」観る。時は昭和20年春。鹿児島の田舎町で悦子(原田知世)は兄夫婦(小林薫本上まなみ)といっしょに暮らしている。戦時中ながら平穏な暮らし。そこに悦子の縁談話が持ち上がる。兄の後輩、明石少尉(松岡俊介)に密かに思いを寄せる悦子だが、相手は明石の親友・永与少尉(永瀬正敏)だった-。ごく自然なふるまいとして、誰もが互いを思いやり、いたわりあう。彼らは懸命に日常を暮らす。小さな喜びや、小さな悲しみを積み上げながら。「戦争」はそんな彼らの「小さな生活」を奪おうとする。映画は淡々と彼女らの生活を映す。爆弾が落ちてくるわけではない、でもじわじわと戦争はその影を広げていく。前作「父と暮らせば」もそうだったが、黒木監督は声高に戦争反対を叫ぶわけではない。そこに懸命に生きた人々の小さな暮らしを丁寧に描く。そのことで「戦争」の不毛さを浮かび上がらせる。社会的な難しい映画じゃない。永瀬正敏演じる実直な永与と悦子のやり取りは微笑ましくもある。だからこそ、もう二度とそこに影を落としてはいけないと思う。楽天的な考え方かもしれないけど、僕らはもっと自然にお互いを思いあい、いたわりあえるはずだ。時代なんて多分関係ないし、難しいことじゃない。家族や友人を大切に思う気持ちって特別なもんじゃないだろう。なんてそんなことを感じさせてくれる映画だった。でココで特筆しときたいのは本上まなみ。彼女がなんだかやけに良かったんだなぁ。ま、めちゃタイプではあるのだが。女優としては?というのが彼女の評価だったんだが、一気に女優・本上まなみ株が上がった。上品なかわいさがあって目が離せなくなった。もちろん我が永遠のアイドル、原田知世さんの笑顔の求心力たるや衰え知らずだけど。でも原田知世、いい女優さんになったなぁ。
帰って「横丁」見ながら一人うどんすする。徳井の「ヨギータ」相変わらずおもろ。続いて「マルコポロリ」。東野幸治の羽根を伸ばした司会っぷりが癖になって毎週見てる。その後も「吉本陸上」や「そこまで言って委員会」見たり、ギター弾いたり、本読んだり、とインドア生活。
「松茸ごはんの素」があったので夕飯は松茸ごはん。ま、ホンモノじゃないけど。昨日買ってきたサンマを焼いて、大根と豚肉の煮物に、揚げ出し豆腐作る。妻と娘帰ってくると同時に全て完成。もうね、出来たら俺、俺の妻になりたい。食後にはゼリーが冷え固まってるという(ゼリエースだけど)出来すぎぶり。しかし怖いのはこれが当たり前になってるという事実。娘はこれが一般家庭の姿だと思ってる。父=休日ご飯作る人になってしまっているのだ。娘の「未来の恋人達」に同情する。