日々の泡。

popholic diary

1999年9月上旬の話。

1999/9/1
さて9月。相変わらずの日々は続く。年重ねるごとに日々暮らしていくことが辛さや厳しさを増していくように感じる。そんな現実を今日ももがきながら過ごしてる。まぁ実際はハッピーなことも多いんだけどなんというか口内炎が出来てる時みたいになんかどっかいつもブルーなんだよね。今日も仕事。昼休み、同期のKと愚痴りつつ「女子高生のアダモステ化について」などどうでもいい話。
で帰りの音楽、真心ブラザーズ「GOOD TIME」。かっこいい!ロックの初期衝動を思い出させるこの躍動感。音のかたまりが俺に猛烈なパンチを浴びせる。素晴らしい音楽を聴くと本当に心が丸裸になる。何もかもから解き放たれその音の中で自由になる。だから音楽を聴きつづけてるのだ。そんなことを感じるアルバム。
帰って「BSマンガ夜話ドラえもん」見る。岡田斗志夫氏の「ドラえもん」と「こちら葛飾区亀有公園前派出所」が同じ構造を持っているという話がおもしろい。でも「ドラえもん」はもう批評とかいうものも越えちゃってるんだな。

1999/9/2
ざくっと仕事。いきなり帰りの音楽、「テクノ歌謡アルファ編~真空キッス」。アボジー&ペリジーのジャケットがいきなり懐かしい。でも僕はYMO、YENレーベルはリアルタイムではほとんど聞いてないのだ。ちょっと乗り遅れた世代。YMOチルドレン達の音楽にむしろ心奪われたくち。でも戸川純ってこれぞ「テクノニューウェーブ」って感じだなぁ。聞いててつくづく思った。戸川純=テクノニューウェーブって図式が俺にはある。彼女の歌声の今にも壊れてしまいそうな危うさ、ピュアさ、イノセンス、エロティシズム、etc・・・。そう、そこにはすべてがある。そしてそれは僕の「テクノ」観そのもの。僕はテクノポップが好きだ。テクノなポップが大好きだ。っていい年して何、言ってんだ。

1999/9/3
やっと金曜。今週は気持ち的にかなりきつかったなぁ。「転職」の2文字が頭をよぎる、そんな一週間だった。厳しいねぇ、ほんとに。でいつものように帰り梅田をうろうろ。中古盤屋によるももう閉ってた。本屋でみうらじゅん他「日本崖っぷち大賞完結編崖っぷちオヤジ」と「転職浪人」の特集がでてた「SPA」思わず買う。でぶらぶらとタワー覗く。別に買うものないがなんとなく帰りたくない日ってあるでしょ。視聴機はしごしたりしてため息つきながら出る。とそこでいきなり友人Mとばったり。行動パターン同じか。明日もいっしょにライブ行くんだがそのまま軽く飲みに。転職経験者のMにいろいろ聞く。結論から言うと「残るにしろ辞めるにしろ厳しいよ」とのこと。30目前の何の資格もない妻子持ちの営業マン、市場価値は限りなく0に近い。かといって今のまま「ドロ船に乗ったつもりで」ついていくのも厳しい。5年後に放り出されてもそれこそどうしようもないからなぁ。いやー、生きていくのも大変だ。とりあえず今できることは「飲む」ことだけみたいだ。で「仕事」「家庭」「家」「親の老後」など30男にはあまりにも辛い話題で盛り下がる。で帰りの音楽、佐野元春「stones and eggs」。「今すぐにGO!そう、Stand Up and Fight!」か。・・・キツイこと言うなぁ。で帰ると妻一人。娘はばあさんとこにお泊り。二人で「探偵ナイトスクープ」ほか深夜番組だらだら見つつ就寝。

1999/9/4
休み。なかなか起きられない。妻はバイトでさっさと出ていった。ゴロゴロしててもしょうがないのでたまってた日記なんか書く。と電話。娘じきじきに「迎えに来て」とのことですぐ車飛ばす。妻はまだバイトなので娘と二人家に帰る。オムライス作ってやるがほとんど食べてくれず。イタリア娘のように気まぐれなんだから。ねんど遊びに始まり、ままごと、庭で水遊び、ダンボのビデオとフルコースで遊ぶ。で妻を再度迎えに行きそのまま京都の実家へ。娘は車乗るとこてっと寝てしまう。「槙原敬之の今後」など話つつ京都着。で娘をじいさん、ばあさんに預け大阪まで。今日は佐野元春のライブなのだ。フェスティバルホールで友人Mと落ち合う。今回チケット取り担当のMはよりいい席を取る為ファンクラブに入会したにもかかわらず先行予約の案内DMを見落とし結局取れた席はMM列。妻と二人、Mのバカぶりをちくちく突っ込む。Mは自分が案内DMを見落としていたにもかかわらずファンクラブに「案内が届いてない」と抗議の電話までいれていたのだ。雑誌の間に挟まれた案内DMを発見したときはすでに予約期間は終了していたという。チケットとってもらってこういう言い方はどうかと思うが・・アホである。次回、20周年ライブのときは頼むよ。
でライブは数分の遅れでスタート。ツアー二日目、今回のアルバムがかなりクラブよりのサウンドだったこともありまだこなれてない感があるのも事実。定番曲と新曲の間のギャップに少し戸惑いが。でも佐野元春はこういうはみだしちゃうとこが魅力でもあるんだなぁ。「コンプリケーションシェイクダウン」「GO4」のラディカルな流れに決してベテランに成り下がらない佐野元春のロックな気骨を感じる。しかしホーボーキングバンドはめちゃくちゃうまい。リズム隊が完璧だからほっといても腰にくる。アンコールでやったアコーステックバージョンの「ヤングフォーエバー」も良かったなぁ。しかしちょっと残念なのが客席に若い子が少ないってこと。今の高校生とか佐野元春聞かないのかねぇ。寂しい限りだよ。高校時代とかにこういうライブ体験するとほんとに人生観変わるよ。で帰りに妻とMと「もしヅラのロッカーがいたら」という話で盛り上がる。ライブ中づれたらボーヤが飛び出してきてさっと直すとか、ギター取り替えるように曲によってヅラ替えたりしてとか、そういうどうでもいいバカ話。でもヅラのロッカーて考えたらあんまりいないなぁ。ムッシュかまやつぐらいかな。でもあれはヅラというより衣装というか帽子というかそういうもんだしな。一種の記号、キダタローと同じ感じ。でMと別れ帰りの電車で妻と「槙原敬之の今後その2」「欽ちゃんの笑い」「タモリの在り方」「大阪芸人の東京進出」などについて話。子供できてなかなか夫婦の会話ってのもないからなぁ。しかしせっかくの会話、こんな内容でいいのか。

1999/9/5
実家の朝食はホテルなみに豪華であった。遅い朝食をとり新聞など読みくつろぐ。普段絶対できないことだ。で地域の運動会があるとかで娘はじいさん、ばあさんに連れて行かれた。妻と二人で留守番。だらーっと「いいとも増刊号」など見る。娘はタモリのことをなぜかミッキーやプーさんと同じ扱いにしており、テレビでタモリが出てくると「あっ、タモさんや!」と喜ぶのである。「タモさん、みたいよぅ」なんてことまで言う。しかしサングラスしてる人はみんな「タモさん」というキャラクターだと思ってるふしもあり。井上陽水見て「タモさんや」って言ってたからなぁ。まぁそんなことはどうでもいいのだが・・。で娘が帰ってくる。帰ってくるや否や、タモリ見て「タモさんや!」と言ってテレビにかぶりついた。でそうめんの昼食とってると近所の女の子が娘と遊びに来た。京都にお泊まりするたび遊んでもらってるようでおおはしゃぎ。まだ帰れそうにないので妻と駅前のサティまで買い物。100円ショップや電機店覗いたりぶらぶら。本屋で妻をそそのかし「佐野元春語録」買わせる。でそろそろ大津に帰りたいのだが娘は「かえらへんの!おとまりするの」と言ってきかない。ばあさんもいっしょにドライブしようと車に乗せる。家の回りぐるっとまわると案の定、即寝てしまった。ばあさんを降ろしそのまま大津まで。

1999/9/6
仕事。ちゃっちゃと終わらせる。帰りの音楽、鈴木祥子「あたしの旅路」。ライブ、未発表曲含むベスト盤。心地よすぎて寝てしまった。帰ると娘はもう寝ていた。さてまた明日から出張か。たいがいいやになるな。

1999/9/7
8時過ぎ京都発の新幹線で新横浜まで。ざくっと働きますか。しかし残暑厳しいな。横浜付近回る。今日も昼食とれず。会社の課長から電話。「明日、群馬に飛んでくれ」とのこと。とまどいつつも「わかりました」と答え、スケジュール調整。ちょうど明日行くはずの店が都合悪いといてきたのでまぁいいか。新横浜駅前のホテルにチェックイン。駅前のとんかつ屋で夕食とり本屋で時間つぶす。いつも思うが出張きちゃうとほんと時間もったいない。結局24時間拘束されてるようなもんだからな。

1999/9/8
6時起き。午前中に群馬にいかなきゃならないので7時前にはホテル出る。眠いよ。首都高の渋滞につかまったりして実に4時間かかって到着。早速商談というかなんというか小言聞く。まぁいろいろあるんですよ。自分は全く関係なくても会社人である以上こういうこともしなきゃならないのだ。4時間かけて行き1時間あやまりまた4時間かけて帰るのだ。辛いねぇ。まぁいいんだけどね。ミニストップモンブランソフト食べ自分を慰める。あとはひたすらラジオとともに激走。「テリーとうえちゃんのってけラジオ」。テリー氏、夏休みでピンチヒッターDJの谷口キヨコさん。京都のFM・αステーションの番組よく聞いてるのでなんか東京、それもAMで聞くのが不思議な感じ。でもこの人おもしろいから東京進出しても大丈夫だろう。でも基本的に一人喋りの人だからなぁ。でも上柳氏の懐の深さもすごい。ハイテンションに繰り広げられるトークに最初こそは戸惑っていたものの最後にはうまく操縦してたもんなぁ。電車乗り継ぎ三軒茶屋へ。駅前のホテルにチェックイン。不二家のレストランで牡蠣フライ。失敗だった。胸悪くなる。駅前のCD屋意味なく覗くもむなしいだけ。部屋に戻ってもやることなし。しかしおもしろくない日記だなぁ、これ。

1999/9/9
8時おきでホテル出る。駒沢大学まで出て駅前の喫茶店でポケットラジオ聞きながらモーニング。商談すまし次は池袋まで。一日ずれていたら俺も刺されてたかもしれないなぁとか思いつつ駅に降り立つ。時間があったので駅前のタワーレコード覗く。しかしショボショボでがっかり。視聴機でカーネーションの「REAL MAN」聞く。染みる。ポケットラジオで「ビバリー~」聞きながら公園で時間潰す。それにしても暑い。背中に汗がじっとり。大都会・東京で一人俺は何してんだ?高層ビルの間を抜け商談へ。で次ぎは五反田へ。駅前のファーストフードでコーヒー飲みぼんやり商談時間まで時間潰す。で商談こなし今夜の宿泊地・羽村市に向かう。東京横断だな。羽村市は東京といえどもなんと言うか一言で言えば寂しい町だ。駅前で兄ちゃんがギター弾き語りでわからん演歌を歌っている。チェックインしてレストラン探し付近歩く。和食レストラン藍屋で照焼き鶏の夕食。食べ終わり窓の外みると大雨。まったく、天気予報通りとはいえまいったな。止みそうもないのでホテルまで走る。ますます俺は何をやってるんだ。

1999/9/10
最終日。青梅まで出て商談。今日は東京都下を電車でぐるっと回る。内ポケットにラジオいれて重いカバンを手にひたすら歩く。今日もいやになるほど暑く、まったくいつになったら涼しくなるのだろう。夏の終わりのこの蒸し暑さがある限り俺は夏という季節を好きにはなれないだろう。青梅から立川に出て商談しカレーの昼食。電車乗り継ぎ西武柳沢駅まで。駅前の茶店でアイスコーヒー飲み時間調整。でもたまにはこうして電車で回るってのもいいなぁ。車から見る東京と電車から見る東京は確実に違う。で商談すまし山手線半周して東京駅に。山手線乗ってるとふと思い出すのが「キザ漫談」の「でんでん」のこんなネタだ。「俺は電車はグリーンしか乗らないんだ。いつでも山手線よ」。新幹線に乗るまで少し時間あったので、八重洲ブックセンターに寄る。新幹線で読もうと太田光「カラス」を購入。久しぶりに大丸の地下でおにぎり買う。コロッケも一緒に買って新幹線に。夕陽に照らされた東京見ながら鮭のおにぎりをほうばる。で大津に着く。娘とひさしぶりに再会。早速お風呂に入る。「さおちゃんがふいたげるわなぁ」とタオルで体を拭いてくれる娘であった。

1999/9/11
仕事である。今日は車で会社に行く。土曜の朝だけに高速も空いてる。1時間ほどで会社着。電車での通勤とはだいぶ気分が違う。でもちろんそんな気分で仕事もなんというかいい意味で適当に。会社の人もこの日記たまに読んでるみたいなのでこのあたり微妙な表現にしてみました。で3時終業でさっさと帰る。昔作った編集テープ聴きながら高速を飛ばす。で今日は京都で飲み会。久々の京都。うれしい。集合場所のヴァージンメガストアに集合時間の30分前に乗り込みCD探索。だいたいレコード屋で待ち合わせってのもどうだろう。案の定、友人Kも同じようにCD探索してやがる。買う気はなかったのだがやはり何か見つけると買わなければいけない。カーネーションの直枝氏主宰のインディーレーベル・バンブルビーレコードのコンピ盤「墨提夜景」購入。で待ち合わせ時間の6時。もう一人のメンバーKさんも待ち合わせを忘れ視聴機で何やら聞き込んでる。そんなわけで久々の京都サミット。3人で祇園を抜けちょっとした店に。まずはビールで乾杯し一気に喋る。共通言語で会話できるのはそれだけで楽しい。まぁ内容はどうでもいい話と言えばそうなのだが。残りわずかの人生、会いたい人と会い、飲みたい人と飲む。大人なんだからもっとわがままに生きる覚悟持たなきゃな。そうそうKさんから真心ブラザーズ「あさっての方向」とジャン・ラム「ハード・ビート」借りる。
で「真心ブラザーズの新作がいかにいいか」とか「赤瀬川原平のおもしろさ」や「田中麗奈ちゃんの売り出し方はあれでいいのか」とか「薬と表現者」とか場所を沖縄料理屋に移しミミガーとかつまみつつクゥーバーサーチューハイ飲んで話は止まることなく続く。僕も含め3人ともどっちかというと何というか社会になじめないタイプであるのは間違いない。いや、変になじんだふりが出来てしまう器用さがあるから溜まっちゃうんだな。でもこうしてこの二人と飲んでるとなんか勇気づけられる。パワー貰ってる感じだ。あっという間に、ほんとにあっという間に5時間が過ぎ11時。名残惜しいがここでお開き。楽しいばかりの飲み会だった。夜の三条大橋をぼんやりと歩く。こういう夜があるから生きていける。

1999/9/12
なんだか蒸し暑くて起きる気しない。とりあえず車の運転の練習させるべく妻の運転で買い物へ。しかし暑い。もうなんにもする気しない。ご飯食べてからも娘どっか遊びにつれてってやらなきゃなぁとは思うものの体動かず。足で娘の相手しながら「佐野元春語録」と太田光「カラス」読了。気がついたら寝ていた。それもたっぷり3時間も。すでに夕方だ。こんなぐーたらな父さんを許して欲しい、娘よ。「とうちゃん、おきたの」タフな娘は家中走り回ってる。秋の味覚・さんまの夕食。あぁあのもの悲しい秋が待ち遠しい。

1999/9/13
仕事。まぁがんばってますよ。帰りの電車で小林信彦「一少年の観た聖戦」読了。映画を通して小林少年が観た「聖戦」。新人・黒澤明に熱狂し国策映画を通じ円谷特撮の成長ぶりをチェックする少年の目は今と同じく独自のものだ。集団疎開という小さな強制収容所の中で得たものは人間不信であったという記述が重い。で帰りの音楽、「墨提夜景」。素人音楽家達のデモテープ集。こういうの好きだなぁ。なんか生々しくて。直枝氏の宅録ものもぐっとくる。それと2曲収録されてる空気公団というバンドの曲が素晴らしくいい。このバンド聴くためだけでもこのアルバムお薦め。大貫妙子を彷彿とさせる柔らかだが芯の強さを感じさせる歌声が最高に心地いい。気に入った。で帰ってドラマ「女医」の最終回を妻と。珍しくちゃんと最後まで見たぞ。中谷美紀いいなぁ。

1999/9/14
今日も仕事っすよ。8時半終業。家着くともう10時。NHK中島らも作の雀三郎師匠の落語見る。遊んでた娘も何やら一人喋ってるおっさんに興味しんしんである。で落語終わり中島氏と雀三郎氏の笑いに関する対談。娘は「むずかしくてわからへん」だって。そりゃそうだ。

1999/9/15
前日、夜更かししたのでやたら眠い。娘に起こされ9時起床。朝から西武百貨店にいく。敬老の日なので祖母になんか持っていこうかと思い、いろいろ見るがなかなか決まらない。結局、おいしそうな和菓子があったので買う。祖母のとこまで直接持っていくつもりだったが台風で大雨。宅急便で送ることにした。で昼からバイトの妻を送り今日は一日娘と遊ぼうと思ったがそういうときに限って娘は昼寝してしまう。しょうがないのでなんか書こうとコンピューターの前に向かうがさっぱり言葉が出てこない。「新・煩悩会議室」第7回分、既にHさんからは原稿届いてるのだが・・・。思うところあって「萩本欽一」絡みの資料、インタビューや対談など読む。うまくまとまらないんだなぁ。そんなことしてるうちに娘が起きだす。「あんぱんまん、みたい」という要望に答えビデオで見る。妻が6時間みっちり録画しておいた「アンパンマン」のビデオ。
娘はかなりしつこい性格なので一話終わる度に「もっと、あんぱんまん、みたいよぅ」と泣きそうになるのでひたすら見る。で妻を迎えにいき夕飯食べてからも「あんぱんまん、みたい」。今日一日で一話15分のアンパンマンを10本以上見る。それにしてもキャラが豊富だというかあまりに簡単にキャラ増やしすぎ。カレーパンマン、食パンマンぐらいはいいけど、ラーメン天使てなんや。たこ焼きマン=「大阪弁喋るたこ」って安易すぎるがな。それとジャムおじさんの声、マスオさんといっしょなんだな。全然どーでもいい話だけど・・。