日々の泡。

popholic diary

1999年5月下旬の話。

1999/5/16

7時半に娘に起こされる。眠いよ。でロボコン見ながら朝飯食って家族で京都の実家へ。ここんとこ日曜の度に行ってるな。

娘預けて妻と大阪まで、シティーボーイズライブ「夏への無意識」見に行く。ドラマシティーは久々。で早速信藤三雄デザイン、押切伸一編集の分厚いパンフ買って開演を待つ。そうそうロビーでたれレンジャーことバッファロー吾郎の二人見かける。開演予定の1時から数分遅れてライブスタート。あいかわらずオープニングタイトルめちゃめちゃかっこいい。小西氏の音楽も素晴らしいジャズ。で内容はいちいち書かないが今回は客演なしで3人だけのステージ。じっくりと繰り広げられる笑いの空間。大竹氏はいつもながらうますぎる。きたろう氏は天才ですな。それにしても斎木氏の天狗には笑った。味わいのあるナンセンス。なにからなにまでプロの仕事。今回も十分笑わせて頂きました。帰りにHEP FIVEに寄ってワーナーの店で娘へのおみやげ買う。そのまま京都に帰るがもう5時。結局今日も夕飯ご馳走になる。

1999/5/17

調子悪い。のどが痛くてせきがやたら出やがる。仕事もなんかイヤな感じ。最近売り上げ悪いくせにやたら忙しくてみんななんかイライラしてる。こんなじゃだめだと思いつつもなんか目が座っていくんだよね。眉間にしわ寄せて一日過ごす。全くなんかいいことないかなぁ。

で帰りの音楽、ハースマルティネス。最近はまっている。味わい深いボーカルにギターがたまらない。こういう音楽がしっくりくる歳になったのかな。

1999/5/18

朝から芸能ニュース。「なぎら、車爆発」には笑った。

帰りの音楽、ポールウィリアムス「Someday man」。今週の帰りの音楽は「特集・シンガーソングライター」ってことで。しかしこの人の声もいいんだよねぇ。実にセンチメンタルな歌声。

1999/5/19

朝、会社に行こうとすると娘が泣き出す。「とうちゃん、行かないで」という訳。うー、父親冥利につきるって感じだ。

でいきなりですが帰りの音楽、ジョンセバスチャンのファースト。「You're A Big Boy Now」が好き。

1999/5/20

今週の日記はあっさりです。家と会社の往復だけの生活にはなんにも起こらないんだよ。一日追い立てられるように仕事して、昼休み弁当食いつつ愚痴って疲れ切って家路を急ぐ。あー、どっか行きたい。

で帰りにタワー寄って高野寛「tide」購入。帰りの音楽はジェームス・テイラー「sweet baby james」。僕はシンガーにもソングライターにもなれなかったからこういう音楽きくとこんな風にギター弾けて歌えたら素敵だろうなぁなんて思ってしまう。「もしもギターが弾けたなら、想いの全てを歌にして、君に聞かせることだろう」なんつって。

帰って妻と「恋の奇跡」。管野美穂がいい。「ダウンタウンDX」見てさぁ寝るかと思ったところで夕方から寝ていた娘が起き出す。結局1時前まで振り回される。

1999/5/21

やっと金曜。ざくっと仕事。8時過ぎまで働いて帰宅。今日は寄り道せずに早く帰ろうと思ったら事故かなんかで電車遅れてやがんの。ホームで30分近く待たされ驚異的な満員電車に乗り込む。一生満員電車に乗らず人生を過ごせる人は幸せだと思う。

帰りの音楽、高野寛「tide」。名盤の予感。後、数回聞き込むことにしよう。飯食って風呂入って久々にネットサーフィン。なんだかつまんない毎日送ってるなぁ、俺。

1999/5/22

8時起き。昨日寝たの3時過ぎなのに・・。朝から娘に誘われ散歩。30分ばかり二人で近所を遊びながらうろうろ。帰ってからも「あさパラ」見ながら娘と遊ぶ。昼食にパスタ食べて家族でオーパまで自転車で買い物。天気がよくて気持ちいい。雑貨屋とかビレッジヴァンガードやら覗くが途中で娘は午前中遊び疲れたのか寝てしまう。妻と交代で抱っこするがこれがまた重いんだ。帰り間際になって娘は目を覚ました。ワッフルのおやつ買って家へ。でビデオでNHK教育の「まちかどドレミ」。気になっていたアフロにヒゲ面の親父をチェックすべく妻に録画を頼んでいたのだ。男の役名は「ビーボさん」。パパイヤ鈴木なる人物であることが判明。とりあえず番組で歌われる「チェッチェッコリ」という歌と踊りの楽しさったらない。家族揃って爆笑。気がつくとついつい「チェッチェッコリ~チェッコリッサ~」と口ずさんでいる。で「ガキの使い~」引き続き見る。

で妻子を置いて京都まで飲みに出かける。京都で飲むのは実に久々でそれだけでも嬉しくなる。待ち合わせ場所は京都駅の横尾さんの巨大な絵の下ってのもいい。考えたら京都駅ビルが出来て以来中央口から改札抜けるの初めて。駅ビル完成前はしょっちゅう通ってたのに。で今日はこの前飲んで異常に盛り上がった友人 Kとの「二人に誰かゲスト呼んで飲もう」シリーズの第一回。ゲストに自主制作雑誌「OFF!」の数少ない読者で当時一度飲んで「OFF!」を絶賛してくれたK氏を招く。友人K(同じでややこしいが)の知人で僕とは実に3年以上ぶり。駅前の定食屋みたいな飲み屋でまずは乾杯。雑誌「OFF!」がHPという形で復活したことをずっと知らせたいと思ってたのだが、既にK経由で一報入っており覗いてくれてるとのこと。HPの感想を面と向かって聞くのはなんだか照れくさいのだがやっぱりこうして読んでくれてる人がいるのは嬉しい。この人もK同様、共通言語で話せるから3年ぶり2回目の対話だが旧知の友人と話してるような気になる(こっちがそう思ってるだけかもしれないが)。聞いてる音楽や見てる映画、興味ある対象が近い人となかなか話する機会ないのでこういう話できるだけでもほんとうれしいのだ。Kさんは実にさっぱりした人でそのうえ同じ京都人なので「わかる、その感じ」って部分も多く話は続く。途中Kさん持参のたばこ吸う猿のおもちゃに感心したりしつつ結局4時間以上飲む。額に痛々しい傷をおいつつ明るく笑いとばすKさんと京都駅で別れ友人Kと第二回の開催を誓いつつ大津へ。京都からだと近くていいや。

1999/5/23

8時半起床。昨晩も寝たのは3時過ぎ。もう体がもたん。前日新聞に出てたいちご園にいちご刈りにでも行こうということになって、園に問い合わせの電話いれるが連日盛況で熟したいちごがほとんどなくなっているとのこと。しょうがないので今日は一日だらだらすることに。

で夏が近づき庭の木の枝がとんでもなく伸びてきたので切ることに。高枝切り鋏を駆使してなんとか処理するも腕が・・・。すっかり体力を消耗してしまう。で家族で歩いて駅前のパン屋「イセムラベーカリー」へ昼食を買いに。ここの玉子トーストは絶品。クリームパンもうまい。娘にだんごパン(あん、クリーム、チョコの各パンが串刺しされてる。全国1万件のパン屋が類似品を販売していると推測する。だんごパン兄弟なんて名前で)それにしてもパン屋ってのはピースな空間だ。トレーとトング持ってパン選んでる時ってなんかハッピーだし。で帰ってみんなでかぶりつく。食い終わったところで一気に睡魔に襲われる。いかん、いかんと思いつつも耐え切れず惰眠をむさぼってしまう。・・・起きたら「笑点」がすでに始まっていた。妻と娘は私が倒れ込んでる間に散歩に行っていたらしい。ここ数日疲れ気味だったんでこんなこともあるってわけだ。焼き肉の夕飯食べ、娘と風呂。テレビ「ハッピーバースディ」ゲスト爆笑問題なんでチェック。爆笑問題の次ぎの一手を待っている。太田さん、天下取ってくれよ。

1999/5/24

5時起き出張。新幹線内ではひたすら熟睡。気づいたら東京だった。いつものごとく東京駅でマーチを借り、今日は群馬へ向かう。朝食兼昼食にサービスエリアでおにぎりとコロッケ。男の仕事は今日もハードだ。でまぁなんとか仕事こなし最終商談7時過ぎ終了。高崎に入り前回訪問時見つけたとんかつ屋で夕食。食後にシャーベットがつくのが嬉しい。でホテル着9時。やることないので即寝ようと思ったがなんだか眠れない。持参した快楽亭ブラック「日本映画に愛の鞭とロウソクを」読む。芸術映画からポルノ、ホモ映画まで年間4~500本の日本映画を見まくる氏の狂いぶりに感動。結局1時過ぎ就寝。

1999/5/25

8時起床。一件目がホテルのすぐそばなので十分間に合うのだ。高崎からスタートして富岡へ。午前中2件つぶしてやっと食事。とはいえコンビニでおにぎり。いかんいかんと思いつつまた豆大福買ってしまう。高速を走りながら、はったい粉でズボンを白くしつつかぶりつく大福は・・・うまい。でさくさくっと仕事して最後の店にたどり着いたのが5時半。新規契約したばかりの店で社長と名刺交換し商談スタート。やたら話好きの社長でがんがん話聞かされる。話ぶりはやたら陽気だがなぜか内容がやたらダークな方向へ。裏の専門用語続出、女はチャイニーズに限るなど下ネタにまで話は及ぶ。ふと社長の顔見ると真ん中縦に思いっきり傷が・・。結局8時まで付き合わされるが、話の内容を総合的に分析してみると、どう考えても・・・「その筋」の人。まぁいいかと桐生のホテルへ。前回宿泊時同様ホテル下の蕎麦屋で夕飯。穴子丼とせいろ。うまし。部屋戻って、出張報告書きながらぼんやりテレビ。寝付けずに結局一時過ぎまで本読んだり、リモコン片手に深夜テレビ見たり。

1999/5/26

今日も8時起き。コンビニでクリームパンと野菜ジュースの朝食買い、一件目に向かう。昼は「ビバリー」聞きながらスーパーの駐車場で助六寿司の昼食。体にいいわけないな。

ですこっと仕事終わらせそのままホテル直行するのもなんだし本屋で立ち読み。「新潮」の小林信彦爆笑問題の対談。「二人がしていることは漫才じゃないでしょ」という小林氏に「漫才ではないです」と答える太田氏。鋭すぎる。その他、森繁、渥美清を例に芸人の勝負どころについて語る小林氏、ビートたけしへの憧れと嫉妬を告白する太田氏などなどおもしろい。あとキネ旬北野武菊次郎の夏」特集に目を通す。で雑誌「サイゾー」購入。確か元「Waired Japan」編集長が立ち上げた新雑誌。「宝島30」「Waired」と渡り歩いた爆笑問題「日本原論」の連載やお気に入りの乾貴美子ちゃんの連載、などなどいい感じ。誌面に溢れる毒気もいい。まぁすぐ廃刊になっちゃいそうな気もするが毎月買うことにしよう。

で熊谷のホテルへ。中華レストラン、バーミヤンで焼き飯と麻婆豆腐の夕飯。コンビニ探してぶらっと駅前を散策。なんだか品のない町でちょっと疲れる。まぁ町というか人の問題なのかな。東京周辺の地方都市ってどうも好きになれない。やたらピリピリしててピースな波動が感じられないのだ。コンビニで朝取り卵プリンと野菜ジュース買って部屋へ。

やることないのテレビつけると大沢逸美と三原じゅんこが旅してる番組。女30越えてテレビで生きていくのも大変だ。男も辛いが女も辛い。二人がはしゃげばはしゃぐほど悲しい気分になるのは何故?昔々、ホリプロスカウトキャラバンで大沢逸美が優勝したときのことはよく覚えてる。テレビ見てて絶対この子が優勝すると思ってた通り彼女が優勝したから。そういえばその次の年だったか同じように絶対この子だろうと予想しながら見てたが結局優勝したのは「こいつはないやろ」と思ってた山瀬まみ。ちなみに僕が絶対優勝と思ってた子は後の鈴木保奈美。まぁどうでもいい記憶である。「ウンナンのホントのトコロ」。柳沢慎吾の警備員体験、激おもろ。前から言ってるんだけどどうして柳沢氏主演のドラマ作らないのか。前、テレビブロス誌の石立鉄男特集で氏の名作「パパと呼ばないで」を柳沢慎吾主演でリメイクしてという意見が出てたが大賛成である。快楽亭ブラック「日本映画に愛の鞭とロウソクを」読了。

1999/5/27

最終日。今日は全国的に嵐らしいが埼玉県熊谷市あたりはまだましだった。ラジオからは首都高が閉鎖だとか電車が運行を見合わせてるだとかいうニュースが。「ビバリー~」でも清水ミチコ30分の遅刻で登場だった。相変わらずこっちは商談、激走の繰り返し。昼は昨晩に続いてバーミヤン。一回ラーメンいっとこうと思いエビニラ餃子とともに注文。・・・結果、失敗だった。

ラジオ「テリーとうえちゃんのってけラジオ」テリー伊藤氏やたらハイテンションでおもろ。でラスト一件終わらせて高速に。パーキングエリアで今回もがんばったと自分にソフトクリームのご褒美を与える。それにしても大人になってから食べるソフトクリームもまたうまい。大宮で車返して新幹線で東京へ。東京駅のみどりの窓口でいきなりレッツゴー長作師匠と遭遇。師匠は設置された発券機で番号札を取り、呼び出しに従って窓口に行くというシステムに戸惑っている様子で私の目の前で一人「ほんまに、ややこしなぁ」などとぶつくさ言っておられた。しかし東京で長作師匠とはレア。

で少し時間あったので八重洲のブックセンターへ。集英社から出たたけし本「masters of TAKESHI」購入。地下街のそば屋で夕飯食って新幹線に。車中でさっそく読む。たけしロングインタビューはじめ、チャー、江口寿史との対談(そういえばジャンプコミックス版「すすめ!パイレーツ」1巻のあとがきの寄稿分はツービートだった)、山本耀司から中原昌也まで様々な人たちが語る「たけし」などなど読みごたえあり。ざっと読んだだけだがインタビューにおけるたけしの「テレビバラエティー」に対する鋭い視点にはこの人やっぱり全部わかっちゃってんだなぁと感じた。あと夢枕獏大竹まことの文章がいい。特に大竹氏のにはちょっとぐっときちゃった。しかしこの本、デザインに懲りすぎのあまり読みにくい事このうえない。もうちょっとなんとかならなかったのか。やりすぎだよ。で帰宅。久々に娘と対面し抱き合う。

1999/5/28

仕事。出張明けは毎度のことながらこたえる。出張の後片付けやら、会議やらこなして8時前終了。

地下鉄で小林信彦「<超>読書術」読了。梅田の本屋で大槻ケンヂオーケンののほほん日記」購入。帰りの音楽、高野寛「tide」。2曲目「フルーツみたいな月の夜に」は高野寛の最高傑作かもしれん。あと「黒こげ」「オレンジ・ジュース・ブルース」も素晴らしい。切なくて、力強くて、誠実で。聞きながらふと星空を見上げると自分の内面と宇宙がつながり拡がっていくような感覚になった。

1999/5/29

土曜、仕事。だらだら仕事やっつける。6月はかなりハードになりそうでなんだか気が重い。帰り道で後輩の子とたまたまいっしょになり少し話するもやたらストレスたまってるみたいでなんかこっちまで悲しくなる。幸せってなんなんだろうね。でも俺は死ぬまで生きていこうと思ってる。とりあえず。

帰り梅田で寄り道ってもいつものごとくタワーレコード行くだけだけど。Tokyo No.1 Soul Set「9 9/9」、クラムボン「くじらむぼん」、小西康陽プロデュースの新曲含む弘田三枝子のリミックス盤「東京27時」購入。タワーの本コーナーで雑誌「ストレンジディズ」第3号、「ロック・クロニクル・ジャパン」購入。帰りの音楽、インスタントシトロン「Change This World」。3年以上前に出た盤で当時ほとんど評価されてないんだけど音楽の魔法に満ちた傑作。今の時代にこういう音楽作るのって相当の覚悟と勇気がいると思う。ここんとこしばらく音沙汰ないインスタントシトロンだけど俺は支持するぞ。

大津に帰って妻と娘を迎えに行き、話題の京本政樹主演「新・部長刑事」見ながら夕飯作って皆で食べる。娘は最初は「ぼん」だったが今じゃすっかり女の子らしくなってどうしたものかと思うほどにめちゃめちゃかわいい。いや、ほんと。

1999/5/30

7時、娘に起こされる。結局今日も睡眠時間は5時間弱。で今日は父方の祖母の13回忌法要。家族で五条坂にあるお寺に向かう。結婚するまでは盆、正月には必ず参ってたが結婚後はなかなか来られないでいた。妻も娘も小野家の墓参りは初めて。で駐車場で両親、兄と会い法要が行われるお寺へ。奧の部屋で親戚たちの到着をしばし待つ。娘はじいさん、ばあさんと堂内をうろうろ。祖母は1900年生まれで僕が高校生の時、88歳で亡くなった。大往生である。死ぬ前の1年ぐらいは入退院を繰り返してたけどいたって元気な人で、死ぬまで京都の真ん中で一人暮らししていた。月に1週間ずつ、長男である叔父のところと次男である親父のところで過ごし、後は一人自由きままに暮らしていた。杖をついてバスに乗っていろんなとこに出歩いてたようだ。祖母は我が家に来るとき、決まって僕と兄にポッキーを買ってきた。幼稚園の頃ならいざ知らず、僕が高校生になるまでそれは続いた。今思えばもっといろんなことを聞いておきたかった。祖父は親父が小さい時に死んでおり親父にもほとんど記憶がない。当時としては170ぐらいと背が高く、遊び人風の粋な人だったらしい。元々、小野の本家は京都で旅館してるんだけど祖父達一家は東京に出て、東京大空襲までむこうで暮らしてたらしい。その祖父のことや戦前の東京の様子、小野家のルーツなんか詳しく聞いときたかった。もちろん、祖母が生きてた時にはそんなこと思いもしなかったが。そうそう、祖母が死ぬ前、最後に家に泊まりにきた時だったか、祖母が昔ピクニックにいった時の話をなつかしそうに話ていたのを憶えている。またその時、祖母は僕の顔を見て「あんさん、幸四郎に似といやすなぁ」と言った。今の幸四郎なのか先代の幸四郎なのかよくわからんが確かにそう言われた。それが最後の思い出だ。そうそう僕の甘い物好きは祖母、親父から完全に引き継いでる物で甘いおはぎを食べながら至福の時を向かえてる時、「あぁ俺は小野の血を引いているなぁ」とつくづく感じる。

で法事開始。本堂で1時間以上に渡るお経(ロングバージョン)を聞きながらぼんやりといろんなことを考える。しかし日々生活してるとこうして何もせず1時間座ってるだけの時間なんてないなぁ。たまにはこういう時間も必要だ。娘は焼香が気に入ったらしくじいちゃんから俺、いとこにまで付いていって計4回も焼香していた。そのまま墓前に移り、坊さんのお経(ラジオエディット)聞きつつ手を会わす。でとりあえず終了。そのままいとこの知人がやってるという祇園の会席料理屋で食事会。こんなとこ自分の金で来ることはまずないだろう。で親戚一同席につき食事スタート。繰り出される料理は激うまに次ぐ激うまでひたすら舌鼓を打ちまくる。親戚一同いろんな会話が交わされてるのだが私はすっかり料理に魅了されてしまい全く聞いてなかった。ただ食うべし、食うべし、食うべし。腹いっぱいになったところでお開き。大津に帰る。妻と娘はいい気なもんで車中でグースカピースカ昼寝。疲れ切って家にたどり着きビデオで「いろもん」「純情学園男組」「ガキの使い~」なんか見てそのまま寝てしまう。

1999/5/31

さぁ月曜。今日も仕事に燃えるぞ!ってのは全くのうそでだらだら過ごす。夜、営業会議。詳しくは書かない。会社の人もたまに読んでるみたいなので日記と言えど本音書けない部分もあるのだ。まぁ一言で言えば「売ってこい」ってだけなんだけどね。9時終了。

帰りの音楽、トーキョーナンバーワンソウルセット「9 9/9」。やはり去年シングルでも出た「Sunday」がすばらしい。前作「Jr.」は評価の高いアルバムだったが僕としてはどうかな?ってとこだったんだが今作はかなりいい。ほんと、今年豊作だ。