日々の泡。

popholic diary

1999年8月下旬の話。

1999/8/16
仕事。しかし世間はまだ休み多く暇。珍しく6時台に退社。
帰りに大槻ケンヂグミ・チョコレート・パイン」読了。ボンクラな青春時代を過ごした男としては泣けてくるなぁ。わかりすぎるぐらいわかるよ。
帰りの音楽、テイ・トウワ「Last Century Modern」。ほんとセンスいいんだから。でもこの人の音楽は適度のユーモアがあって嫌みにならないからいいんだよね。
帰ると今日も娘が「ダンボ」見てる。ここんとこ一日3回体制らしい。しかしこれまたよく出来てるんだよねぇ。ダンボがお酒の入った水を飲んでラリっちゃうシーンがあるんだけどこれがほんと凄いんだ。ディズニーは薬物中毒だったみたいな話もあるけど絶対やってるよな。このシーンの狂い方は尋常じゃない。手塚治虫が何百回も見たってのもうなずける素晴らしさ。ちなみに娘もこのシーンが大好きで「ぴんくのぞうさんいっぱいやなぁ」とおおはしゃぎなのである。

1999/8/17
仕事。昨日とは一転、やたら忙しい。あっと言う間に8時前。
帰りの音楽、真心ブラザーズ「I will Survive」。去年出たとき買おうか買わまいかで随分悩んだのだが結局買わなかった。そのうち中古で出たら買おうなんておもってしまったのだ。いや、反省。素晴らしい作品。次作は発売日にちゃんと買いますよ。
で今日は妻の実家の方で花火大会。そのため妻と娘は帰り遅いのでご飯一人で食べといてとのこと。帰って一人また「ザめしや」行く。なんか学食みたいで結構楽しいのだ。
トレーにおかずをガンガン乗せていく。冷や奴にほうれん草のおひたし、いわし煮にちくわの天ぷら、コロッケも。味噌汁にごはんでトレーはいっぱいだ。贅沢な夕食だ。学生の頃は金がなくて学食では120円のきつねうどんとか100円のししゃものフライをメインディッシュにごはんと味噌汁だけとかそんな食べ方していた。そうそう夏場は冷凍みかんがあってそれがやたら好きだった。カレーライスに冷凍みかん2個とかいう大人げない食事をしたもんだ。でさすがにそれだけ食べたら腹いっぱい。
帰ってシャワー浴びてると妻が帰ってきた。娘は姪といっしょにばあさんとこにお泊まりだそうで。「これがキャイーンだろ」見る。ゲストは西城秀樹。しかし郷ひろみ野口五郎、秀樹と新御三家(古いか)はコメディーの基礎がきっちりできてていい。さすがカックラキン堺正章、井上順らに鍛えられただけある。この3人のコメディーセンスに比べたらスマップなんて見てられない。中居、草薙、香取でコントライブなんて勘違いも甚だしいよ。テレビバラエティーの質の低下なんて言いたくないけど秀樹ぐらいの世代から上の人たちのコメディーセンス、動きの決まり具合、見てるとレベル落ってんだなぁと思わざるえない。

1999/8/18
清志郎のアルバムが発売中止とのこと。パンクアレンジの「君が代」がダメなんだと。
まったく。ポリドールのレコードはもう買わない。いろんな圧力あるんだろうけどロックを理解してないレコード会社なんてダメだ。自由ってなんなんだ。見せかけの自由でごまかそうとしても結局この国はこの程度のもんなのか。戦争をしたがってる奴らがいる。戦争をしたがってる国がある。空がまた暗くなる。俺は新聞もテレビ欄と4コママンガと雑誌の広告ぐらいしか読まない大バカ野郎だがここんとこのいやな雰囲気ぐらいは察知できるぜ。子供たちの子供たちの子供たちに大人たちができること。考えたらわかりそうなものなのに。世界中の偉い人達よ、自分の愛する人が傷つき、涙流す姿すら想像できないのかい。まったく、最低だよ。音楽がこんなかたちで潰されるなんて狂気の沙汰だ。

で帰りの音楽、妻が買ってきた(それもなぜか生協で)坂本龍一「BTTB」。考えたら妻は吹奏楽部出身で大学でも僕と同じギター部。なにげにYMOのアルバム持ってたり学生の時、教授のライブ行ったりしてたんだから音楽嫌いではないのだ。あまりに僕がCD買いすぎるので、あきれてか音楽の話とかしても聞いてくれないんだが・・。で僕はポップ野郎なのでちと教授は敷居高いな。

1999/8/19
仕事は今日もたくさんあるねぇ。ちょっとずつこなしていく。
帰りの音楽、矢野顕子GO GIRL」。久々にはじけた感じでいいっすね。矢野顕子の「GIRL性」がうまく出た好盤。「ひとりぼっちはやめた」は素晴らしくいい曲。ポップミュージックの持つ悲しさがあってそれを越えていく強さもある。

1999/8/20
やっと金曜。今週はなんかあっと言う間だったな。会議こなして8時過ぎ退社。別に買うものないがなんとなくタワーレコード巡回。休み前はなんかレコード屋行きたくなるんだよね。
帰りの音楽、カーネーション「Parakeet&Ghost」。無性に直枝氏の歌を聞きたくなるときがある。ちょっと心が疲れてる時に聞くとはまるんだ、これが。ここんとこずっと頭の中で「Strange Days」って曲が流れてる。これは俺の歌だって感じだ。

1999/8/21
足がつって目が覚めた。強力な痛みを発するふくらはぎにどうすることもできず一人もんどりうってるとぐらぐらと床が揺れ始めた。地震だ。結構強い。まぁすぐにおさまったが悪いタイミングだ。
で朝から妻はバイトなので娘と二人、布団の上でごろごろだらだら。プールにでもと考えたが雨が降り出す。ねんど遊びしながらミッキーにダンボのビデオ。ちょうど雨がやんだので駅前のパン屋まで娘とパン買いに行く。途中、隣りの地区の地蔵盆で人形劇やってたので自転車止めて娘と見る。僕が子供の頃、近くに子供が多かったから地蔵盆なんて夏の一大イベントって感じだったが最近は子供も少ないからひどくこじんまりしてる。でイセムラベーカリーで卵トースト(何度も書くが激うま)にクリームパン、ドーナツなんか買って帰る。娘と二人して焼き立てパンを食べる土曜の午後。いい感じだ。
で妻の実家の方も地蔵盆なので娘連れていく。義母に娘預け、床屋へ。大津に暮らして4年。なかなかいい床屋に巡り会えなくていろいろさまよったが最後に行き着いたのが妻の実家近くの1000円の床屋。自転車で床屋探し回ったこともあった、出張先の東京で散髪したこともある。しかし結局どれもこれも満足できん。それならいっそ安く仕上げてしまえという結論に至ったのだ。しかし案外思ったようになってる。僕はいつもすかっと刈り上げて欲しいのだが、たいていの床屋は(いつも伸びきってから行くのも悪いんだろうけど)躊躇してどうも刈り上げが甘いんだなぁ。もっと切ってくれと言おうものなら「いやー(刈り上げ後が)白くなっちゃいますよ」とか「(髪が)立っちゃいますから」とかなんとか。人によってはあきらかに<俺のカットのどこが気にくわないんだ!>って顔する奴もいる。しかしこの1000円床屋は違う。鼻から仕上がりなんてどうなろうと知ったこっちゃないぜ!低価格、短時間でばっさりいきまっせ!という姿勢。
はさみなんてしち面倒くさいものはいらない、全部バリカンでという男らしさ。イスにつくなり「すそは刈り上げですね」と言うが早いがすでにすかっとバリカンで刈り上げられていた。理容師達はみな何故か「ちょっと訳アリ」みたいな顔つき、「志賀勝ピラニア軍団」の様と言ってしまっていいだろう。カリスマ美容師なんて知らない、俺たちゃはぐれ理容師。理髪界のアパッチ野球軍さ!という雰囲気。壁にかけてあるドライヤーはセットの為じゃない。切った髪を吹き飛ばすためにあるのだ。もちろんドライヤーはいつでも「強」にスイッチが入れられている。そんなわけで床屋に入って出るまでわずか10分。1000円札一枚ですべては終わりという潔さ。
で娘は近所の子供らに遊んでもらい大はしゃぎなのでそのまま義母に見ててもらい大津に戻る。
ちょうど滋賀会館で市川準監督「大阪物語」上映してるので見に行く。前、グルービジョンのミルクマン斉藤氏が廃棄処分にしていいとまでボロカスにけなしてたのでちょっと心配ではあったのだが結果的には全然OKである。むしろ良かった。一言で言えば池脇千鶴ちゃん演じる少女の大阪を舞台にした成長物語なんだが市川監督丸だしの映像詩集って感じ。少女の両親は売れない漫才師(沢田研二、田中裕子はやっぱうまい。二人が演じる漫才ネタは寒いが・・)という設定なんで吉本系芸人が大挙出演。一陽斉蝶一がつぼにはまった。売れない芸人の悲哀と何て言ったらいいのかな、自ら墜ちていってしまう男のやるせなさをじわっと自然に演じた沢田研二がなんともいいのだがやっぱこの映画はもう池脇千鶴ちゃんなんだろうな。監督の入れ込み具合がわかる。途中、千鶴ちゃんの魅力に迫りすぎてストーリー忘れちゃってる感じが凄い。この美少女の輝きまくってる瞬間を絶対逃さないぞ!という気合いが溢れてる。確かに池脇千鶴ちゃんは魅力的だ。太い眉に黒目がちな目、その「物憂げ」顔は俺にとっても直球、ストライクである。途中からショートカットになるのもかわいすぎ。それが大阪の町をゆっくり、静かに捉えるカメラの中にすっと入って来るんだからたまらない。市川監督、わかりますよ。はまっちゃったんでしょ。
でまた妻の実家に戻る。娘と妻と連れだってまた地蔵盆。ビンゴや花火する。娘はお姉ちゃん達に遊んで貰って大興奮状態。昼寝してないから眠いはずなのにあくびしながらも必至で遊んでいる。今日の娘の言葉「おねえちゃんと、わなげしたの」「せんこはなびもっとしたいよぅ」。で当然、大津に帰る車中で熟睡。

1999/8/22
朝から皆で自転車に乗ってオーパまで買い物。相変わらず空いてる。8月いっぱいで閉店する紳士服店でスーツ買う。2年も3年もスーツ買ってないもんだからさすがにボロがきてる。もともとアウトレット店で安いのだが閉店セールでさらに安くなってるのでこの機会に購入する。しかし2ヶ月CD買うのやめりゃもうちょっとおしゃれもできるってもんだが・・。で1階の食料品売り場でここしか売ってない「ごはんですよ」徳用サイズほか食品買う。お肉にしろ魚にしろ安くて種類も多いのになぁ、どうしてこんなに空いてるのか。別に俺が考えることないんだけどこのままじゃほんとにつぶれるぞ。DPE店も閉店らしいしテナントもどんどん減っていてる。大丈夫か、浜大津オーパ。まぁそんな心配はいいのだが、今日は暑い。そうめんの昼食とり家族でいつもの市民プールへ。これだけ暑いとさすがに混んでる。子どもでいっぱいだ。水はもはやお湯状態。さて今日の娘の一言、「また、ちー(おしっこ)でたの」(プールの中で)。なかなか娘が出たがらず2時間近く遊ぶ。で帰りの車中で娘はぐっすり。いい気なもんですなぁ。
家帰って娘が寝てる間に「ガキの使い~」「いろもん」ビデオで。起きてきた娘と「ちびまるこちゃん」見ながら夕食。娘はまるちゃんは大好きだがサザエさんは気にくわないらしい。

1999/8/23
夜中、目が覚めた。なんとなく枕元が濡れてる感じ。もしやと思い娘の股間に手をやるとやはりパンツはびしょびしょ。やられた。子供はよくそれだけ動けるなってぐらい寝返りをうつ。部屋の端から端まで縦横無尽である。しかしちょうど俺の頭のほうにお尻がきたとこでおねしょしなくてもいいじゃないか。パンツをとりかえてやり、シーツをとってタオルひいて再度寝る。
で今日から出張。8時過ぎの新幹線で新横浜まで。家族旅行のガキがうるさくて寝れない。親、しっかり躾ろよ。でも2時間以上こども黙らせるってのはまず不可能なんだな。できればJRも禁煙、喫煙だけじゃなくやかまし席、静か席分けてほしいもんだ。
で車借りて灼熱の太陽のもと仕事。めちゃめちゃ暑い。ラジオ聞くと東京は今年の最高気温だそうだ。今日も時間に追われる商談でドライブスルーの昼食。横浜から平塚まで5件もやっつける。中華レストラン・バーミヤンで鶏のピリ辛炒めの夕食。そのままホテル入るのもおもしろくないので道沿いに見つけたブックオフで中古CDを物色。
買おうと思っていたキリンジ「47′45″」が出てたので購入。それとCriola「HAPPY DAYS of HAPPY SUN」も購入。これは5年ほど前に出たアルバムなのだが小西康陽氏が書いた「アンチ・クリスマスソング」という曲が入ってる。この曲はシングルでは持ってるのだけどめちゃめちゃかわいい曲で小西氏が他人に提供した曲の中では1番好き。でホテルにチェックインするも何もする気しない。出張報告は明日でいいか。

1999/8/24
ファミレスでモーニング。ホテルで食べるより断然安いからなぁ。ラジオは「えのきどいちろう~」「ビバリー~」ともに80年代特集。80年代といえば10歳から20歳までの10年。当然思い入れあり。80年代初頭の歌謡ポップスはほんと懐かしい。原田知世ちゃんの「時をかける少女」とかたまらんもんがあるなぁ。スーパーの駐車場に車止めラジオ聞きながら弁当。YMOの「君に胸キュン」聞きながら空を見上げる。昔を懐かしむような年ではないが、あの頃の俺は今の俺を見たらどう思うだろう。そんなこと思うとちょっと胸が痛む。でも、まだ勝負ついたわけじゃないぜ。ってなにが?まぁそんなところだ。平塚、松田、相模原と車走らす。夕方、国道を走ってるとなにやらピカピカと光る。雷だ。何回も何回も空が光る。雨はまだ降ってないがラジオ聞くと東京は大雨らしい。でホテルに向けて車走らせてると「ザめしや」の看板が。関東唯一の「ザめしや」と遭遇、夕食はここで決まり。サバ煮中心にメニュー組み立てる。決してうまくはないのだが満足度は高い。ありがとう「ザめしや」。そんなことはどうでもいいのだがホテル着。さすがに出張報告書かないと後でこまるので書く。なんかダラダラしちゃって駄目だなぁ。テレビでロンブーの番組。藤井隆がゲスト。藤井隆はいい。ハイテンションで演じる自分と素の自分のギャップをうまく笑いにする術を身に付け、バラエティでの立ち振る舞いも問題ない。ほんとにクレバーな芸人さんだ。

1999/8/25
今日もファミレスで朝食。なぜかブームだ。家でも毎朝トーストなんだがおいしいと感じたことがない。余裕ない状態で食べてるというか詰め込んでるだけだからしょうがないのだが。しかしこうして外で食べるトーストはうまい。特に厚切りトースト。なんでかな?
今日もラジオからは80年代の唄の数々。大沢誉志幸「そして僕は途方に暮れる」2回も聞く。これも懐かしいなぁ。ムーンライダーズとかポップミュージックにはまり込む寸前、大沢誉志幸に熱狂していた。「まずいリズムでベルが鳴る」「SCOOP」「CONFUSION」この3枚は愛聴したもんだ。中学1年の時、テレビで氏を見てすごい衝撃だったんだなぁ。かっこよかったんだよ。当時のバックバンドがPINKと矢口博康でその流れでリアルフィッシュに出会ったのだ。PINKも素晴らしいバンドだった。ファンクなんて聞いたこともなかった中学男子にあのぶっとい音は効いたなぁ。当時はヘビメタがブームになり始めた頃でたいがいの中学男子は「ギュオーン」ってなギターに衝撃受けヘビメタ~ハードロックにはまっていったものだ。ラウドネスとか聴いちゃうんだ。ここらが分岐点で私はPINKやリアルフィッシュとの出会いでヘビメタの洗礼を回避できたわけだ。いまだにあのヘビメタの様式美ってやつは理解できん。なんかあったらドクロとかね。とりあえず舌出しとけ、みたいなね。あと妙にメタリックだったりおどろおどろしいフォントでバンド名が書かれた黒いTシャツとかね。大学の友達でヘビメタ好きな奴がいていつもそんなTシャツ着てた。「一体、どこで仕入れてくんねん?」なんどとなくそんな突っ込みをいれたものである。
でさっさと仕事終わらせ川崎の武蔵新城駅前のホテルにチェックイン。何食べようかなぁなんて考えつつ駅前をぶらぶら。回転寿司屋に入って110円の皿を中心に1000円以内でまとめあげる。神奈川はホテル代高いから出張費浮かせるの大変なんだよ。しかしなんとなくデザートが欲しくなり押さえきれず駅前のコージーコーナーでシュークリームとプリン買ってしまう。ケーキ屋の小箱片手にホテル戻るのはちょっと恥ずかしかった。しかし大人になったらカスタードクリームなんて食べないんだろうなぁと思ってたがそんなことはないのである。むしろ大人だからこそ食べたいのである。

1999/8/26
今日も80'sポップス聞きながら。「えのきどいちろう~」では86、7年の特集。でましたBoφwy。実は生まれて初めて行ったライブはBoφwyだった。JUST A HEROツアー、京都会館第二ホールだ。Boφwy聞き始めたのはたぶん83年か84年。セカンドアルバム「INSTANT LOVE」からだ。当時はブレイクとはほど遠く無名に近い存在だった。
かっこいい!中学男子だった僕はすっかり魅了されてしまった。再デビュー盤と言っていいと思うがEMIに移籍してのサード「Boφwy」は予約して買った。布袋寅泰のエッジの効いたギターがめちゃくちゃ格好良かった。フォークギターでむりやりコピーしようとして挫折したもんだ。このアルバムの時はまだ京都教育文化センターとかでライブしてたぐらいだからそんなに売れてはなかったのかな。次の「JUST A HERO」あたりがブレイクの最初か。「わがままジュリエット」で「夜のヒットスタジオ」に出た時、録画したビデオがまだ残ってる。氷室京介が初恋の人登場で浮かれる姿なんてのは今では絶対見れないでしょうね。でもこのアルバムを最後に僕の中ではBoφwyは終わってしまった。ムーンライダーズなんかにはまりもう完全にこういうビートロックってやつに興味なくなっちゃったんだなぁ。ブレイクして急に回りがBoφwy最高!とか言い出して、逆にファンであることが恥ずかしかったりしたのも原因か。でも今のグレイとかラルクとかルナシー(この3バンドの区別つかないんだよ)なんかほとんどBoφwyのコピーバンドだもんなぁ。しかしこの手のバンドいっぱいあるけど、どれもBoφwy越えてないんだよね。音も何も全てスケールダウンって感じで。少なくとも僕には「・・よく恥ずかしくないなぁ」とは思っても「かっこいいぜ」とはとうてい思えないんだな、この手のバンドは。

でそんなことはおいといて仕事。4日目ともなると集中力なくなる。新百合が丘駅前のビブレの駐車場に車とめて「ビバリー~」聞きながら焼き立てパンの昼食。こちらはザ・ベストテン特集。懐かしすぎる。僕はこういうしょうもない記憶力だけはやたらあるのだ。だからテレビの思い出話とかさせたらやたら細かい上にきりがなくなるので、やめておきましょう。でもこのころの松田聖子の歌声だけは何回聴いても素晴らしい。なんだかんだ言っても松田聖子は僕らの世代にとっての美空ひばりなんだと思う。でざくっと仕事こなして終了。誰かのコンサートでもあるのか、横浜アリーナ~新横浜駅前は若い女の子とダフ屋でいっぱい。出張用のねずみ色のスーツを着て大きな荷物抱え、女の子たちと逆行し駅に向かうのはやたら恥ずかしい。新幹線に乗る前に本屋で雑誌「サイゾー」買う。それと駅構内のトンカツ屋で弁当を。500系のぞみに乗り込み京都へ。弁当食べ、サイゾー読む。佐野元春江口寿史の対談が載ってるがわずか2ページ。その上、佐野氏の発言部分が「オレは~」「~だぜ」「~だろ」なんて絶対そんな口調じゃないだろってふうになっており最悪。対談内容もかなり改悪、ねつ造されてると見た。いくら音楽誌じゃないからってこれはダメだろ。期待してた雑誌だけどもういいよってとこだな。で大津着。久々に娘と対面。早速いっしょに風呂入って寝るまでべたべた。

1999/8/27
仕事。出張明けはいそがしい。ざくっとこなす。
帰りにタワーレコード真心ブラザーズ「GOOD TIMES」、鈴木祥子「あたしの旅路」購入。そうそう佐野元春「stones and eggs」は妻が購入済み。こづかいも厳しい状態なのでなるべく妻にも協力願おう。で帰りの音楽、キリンジ「47′45″」。これまた心地よい音だね、どうも。これからちょっと聞き込んでみよう。帰ると娘はすでに寝ていた。眠る娘の横でぼけーっとしてると娘が何やら寝言。よく聞いてみると「う~ん、ぽこぽこへっど~」。おい、どんな夢見てんだよ!

1999/8/28
休日。しかし8時前に娘に起こされる。午前中みんなでまたいつもの市民プールへ。1時間ほど遊びバイトの妻を送り娘と帰宅。娘にオムライスを作ってやる。少食の娘がぱくぱく食べてくれた。娘の為に毎日お弁当を作っていたという梅宮辰夫の気持ちがわかるよ。でも梅宮アンナみたいな娘にはならないでねと密かに祈る。ねんど遊びして「ダンボ」のビデオ。その後、自転車でオーパまで裾上げしてもらっていたスーツ取りに行く。そのまま娘を自転車に乗せて大津港の辺りをうろうろ。二人で「お船に乗ってどこかにいきたいねぇ」なんて話しながら。湖岸の噴水公園で自転車止める。娘はあっと言う間に全裸になり噴水に飛び込んでいった。水遊びが大好きなのだ。「とうちゃんもおいで!」だから俺は全裸にはなれないんだよ。で次はアーカスロッテリアでポテトのおやつ。また自転車に乗せて家までゆっくりと帰る。娘はほんとよく喋る。時々意味不明だが意志の疎通はほぼ完璧。こっちの言ってることはよくわかってるみたいだ。帰ってねんど遊びしながら佐野元春「stones and eggs」聞く。娘が踊り出す。しかしどこで憶えたのか踊りの最後にぺろっとパンツめくり尻を出すのはどういうことか。・・・確かに何度となく娘を笑わそうと尻出しした記憶はあるが。いらんことばっかりまねするんだから。娘よ、尻を出してまでうけたいなんて気持ちは別にもたなくてもいいんだよ。

1999/8/29
今日も暑い。でまたプールだ。今日は皇子山の市民プールまで出かける。初めてきたが結構広い。幼児用プールには滑り台もついてるし25M、50Mそれぞれプールがあって十分遊べる。娘は水に顔をつけるのがちょっと怖いようだ。「ほら、お鼻つまんで顔つけてごらん」といっても「・・できないの・・。」の返事。すべり台も一人じゃなかなか滑ろうとしない。ふと横を見ると1才ぐらいの子供がきゃーきゃーいいながらがんがん飛び込みを繰り返してる。逆にこれぐらいの子の方が怖くないのだな。娘とひたすら浅いプールでばしゃばしゃと遊ぶ。遊び終わって娘に聞く「泳げた?」。「・・およげなかったの・・」そうつぶやく娘の寂しげな表情がこれまたかわいいんだ。
で帰って娘が昼寝してるあいだにビデオ。「いろもん」「ガキの使い~」といつものパターン。そのままこっちも昼寝。プールの後は眠くなるのだ。で夕飯後、花火しようと思い立ち娘とコンビニまで花火買いに行く。がさすがに8月終わりで売り切れ。しょうがないので駅前の平和堂まで散歩がてら行く。わずかに残ってた花火買うがレジでお金払ってる間に娘がお漏らし。「でちゃったの・・」と娘。店の人に謝りそそくさと帰る。で庭先でみんなで花火。昔はよく家の前で近所の子供集まってやったなぁ。でも今じゃ車も多くてなかなかする場所がないんだよねぇ。
夜、BSでオリジナルラブのライブ見る。初めて田島貴男の存在を知ったのは彼がピチカートの2代目ボーカリストになったとき。「天才少年」なんて呼ばれていたっけ。ピチカートと言えば佐々木麻美子のウィスパーボイスってイメージが強かったので彼女が脱退したってニュース聞いた時には一体どうなるかと思ったが田島氏の強力な才能と魅力で僕はさらにピチカートのファンになったのだ。それからもう10年以上。オリジナルラブもデビュー時からスタイルは様々に変化した。しかし田島氏の変わらぬ「音楽バカ」(もちろん誉め言葉。それも最大級の)ぶりは凄い。
で「大阪ほんわかテレビ」見る。仁鶴、寛平、笑瓶、大竹らおっさんたちが繰り広げるゆるーいコントは・・おもしろい。どうも最近のコント番組は若手芸人を使ってみたいなのが多いがあえておっさん達のコントが見たい。パワーのあるおっさん芸人達がナンセンスなコントする番組とかあったら絶対見たいけどなぁ。

1999/8/30
今日は振替休日。いやー、まだ暑いね。でプール。草津にいいプールがあると聞きつけ早速車走らす。着いてみると駐車場がらがら。こりゃいい穴場だと家族揃って車降りるもどうも様子がおかしい。看板みて愕然。そこには「月曜定休」の文字。泣く泣く大津に戻る。「プールはぁ?」と聞く娘に「・・・ごめん」と謝る父であった。
で昼食後、水着をすでに着用した娘の為にも再度プール目指す。石山にある市民プールに行こうと車とばすが、またしても月曜休み。「プールはぁ?」そんな娘に「・・・いつものとこ行こなぁ」と結局いつもの市民プールへ向かう。今年最後のプールを満喫する。

1999/8/31
仕事。朝から課長に呼ばれ今後の方針など聞かされる。まぁ不景気はまだまだ続いてるのだ。中小企業は生き残りかけて大変なんですよ。いい仕事あったら紹介して下さい。マジで。そんなわけで売り上げに反して今日も忙しい。バブル崩壊後入社した者はほんといい目あってないよなぁ。毎年、落ち込み、落ち込みで不満も不安も増すばかり。まぁ愚痴はやめとこう。
で帰りタワーに寄ってカーネーション「REAL MAN」購入。先着特典のソノシートもゲット。あと「テクノ歌謡アルファ編~真空キッス」も購入。車中で早速カーネーション「REAL MAN」ディスクマンに装着し聴く。直枝氏は今作から本名の「直枝政広」に改名。気合いのほどがうかがえる。あぁ、沁みるぜ。どうしてこんなに直枝氏の書く曲は、直枝氏の歌声は心に響くのだろう。一体、俺の中の「REAL MAN」はいつ目を覚ますのかな。いや、もう目覚めてるのに俺が逃げてるんだ。辛いけど、わかってるんだ。帰ってNHKで「メールマガジン」の特集番組。インターネットをやり始めて1年、HP開設して10ヶ月。少なくとも僕にとってインターネットはハッピーな装置である。もちろん様々な危険と背中合わせであること、それもいろんな意味でってことは理解してるつもりだ。こうして日々の思いをネットにのせることの意味、それが自分にとって正しいことなのか整理できていないのも事実だ。でもネットを始めることで僕はより僕になれたと思う。そしてそのことによって出会えた人たちがいる。そのことは僕に大きな喜びを与えてくれた。それはうそじゃない。