日々の泡。

popholic diary

1999年3月上旬の話。

1999/3/1

「もんでもんで下さい、お母さん~」香田晋の歌声が耳について離れない。エバラ唐あげの素のCM、4バージョンも作る必要あるのか?であっという間に3月。
この日記もいつまで続くのか。最近、日記が本来の意味を失いつつある。負担になりつつあるのでちょっとやばい。仕事もやたら忙しくいらつき気味。立ち止まる勇気も必要だ。
で「見仏記2」読了。旅にでたくなっちゃったなぁ。
帰りの音楽、吉岡忍「PINUPS」。斉藤誠氏のギターがかっこいい。ピチカートの「スーパースター」のアーシーなカバーも秀逸。それにしても「素晴らしいアイデア」なんてタイトルの曲は小西氏しか作れない。

1999/3/2

5時おきで出張。妻が持たせてくれた昨晩の残りのちらしずしを新幹線で食べ東京まで。レンタカーで北茨城まで激走。昼から1件目の客と商談スタート。田舎の気のいい社長夫婦はやたら話が長い。店出たらもう5時。2件目はここから2時間かかる。電話するともうこなくていいよとの返事。しょうがないのでホテルを目指す。途中、吉野屋で牛鮭定食。で常宿、日立多賀ホテルにチェックイン。部屋入るとやることなんて何もない。ぼんやりテレビ見て時間を無駄に過ごす。

1999/3/3

それにしても一日ラジオで「だんご3兄弟」。いくら同じサンケイグループからの発売とは言えニッポン放送の異常なヘビーローテーションぶりはすさまじいものがある。天気予報、交通情報のバックには常にインストバージョンが流れ各番組でも必ず一回フルコーラス。「ビバリー昼ズ」では早速の「3兄弟コーナー」。奥さん恐い長男、いまだにこぶ平次男、海老名3兄弟、だの米助、三木助、パンチョでかつら3兄弟(「パンチョはかつら違いだろ」の突っ込みあり)だの単なる3段落ちの大喜利なんだがおもろい。また「噂のゴールデンアワー」鶴光師匠は早速「ちんこ3兄弟」「男根3兄弟」などセクハラ発言をしていた。「兄弟の少ない最近の子供達には3兄弟というのが魅力なのでは」とかなんとかでたらめなこといってるばか野郎がいるが単に子供はハッピーでチャームなものが好きなんだろう。
で今日は茨城から東京に戻り、電車で新横浜まで。インターネットで予約しといた新横浜国際ホテルにチェックイン。良かった、ちゃんと予約できてて。駅構内のレストランで生姜焼き定食。部屋戻ってもすることないので、なんとなく本屋に入り雑誌をぱらぱらと立ち読み。おもしろくない。コンビニでシュークリームと牛乳を買って部屋に戻る。

1999/3/4

で今日はやたら暑い。19度とかいってるもんなぁ。横浜から鎌倉、湘南あたりを走りぬけ商談に駆け回る。あぁこんないい天気の日、仕事なんかやってらんない。鎌倉なんか一回ゆっくり観光したいもんだ。が実際は商談と激走の繰り返し。
ラジオはからは今日も「だんご3兄弟」。「ビバリー~」ではどこで探してきたのか、吉幾三「お父さんのタンゴ」まで流してる。今日もラジオの合間に商談して一日が終わる。中華レストラン、バーミヤンでチャーハンと水餃子の夕食。コンビニでカゴメ野菜ジュース買って、平塚サンルートホテルへ。高いだけあって部屋のトイレがシャワートイレ。だからどうってことはないのだが。

1999/3/5

やっと最終日。平塚からスタートし秦野市まで。昼はマクドナルドのカレーバーガー。予想通りの味。
ビバリー~」吉幾三「おとうさんのタンゴ」今日はフルコーラス。「すすきののまりちゃん」に想いを馳せ、ネオン街に繰り出したいと切実に訴える煩悩丸出しのおやじの姿をタンゴにのせて歌いきった84年作の迷曲。「かあさん、ちょっとだけいいでねーの。こづかいちょーだい」の台詞も泣けるまさに「おとうさんのタンゴ」。それにしても吉幾三、音楽と笑いという意味でははずせない人物。
で仕事さっさと終わらし、新横浜まで車飛ばす。崎陽軒のシューマイをおみやげに買い、4時半の新幹線に乗り込む。車中で松本人志「松本坊主」読了。ビジュアルバム後の氏の動向からはやっぱり眼が離せない。8時前、帰宅。妻と娘は実家にお泊まり。一人スーパーで野菜ジュースとうどん買ってわびしい夕食をすませる。明日も仕事なのでさっさと寝る。

1999/3/6

仕事、適当に。帰りの音楽、福間美紗「ダークネス&スノウ」。アコースティックギターアコーディオンウッドベースなどの編成でスタジオライブ録音された作品。ほどよい緊張感の上に生み出される音世界がなぜかとても切なく聞こえる。彼女の歌声は僕の心の奧のほうに響いてくるのだ。傑作。
帰って妻と娘を迎えに車を走らせる。久々に娘と対面。娘がかけよって抱きついてくる。この瞬間、いつも泣きそうになる。途中、レコード屋で「だんご3兄弟」購入。
妻がしっかり予約していたのだ。まだ1才半の娘でも「だんご!」とか「ちょーなん、ちょーなん」とか歌えるから凄い。
妻が風呂入っている時、部屋がなんとなく臭い。娘のお尻を嗅ぐと臭いの発信元がわかった。おむつをとると一気に液体状の便があふれだした。昨日からちょっと下痢気味とはきいていたが・・。指と指の間から流れ落ちる黄金色の液体になすすべもなく、ほうけたように娘の顔を見る父親であった。必至に妻に助けを求めるが妻は風呂の中。セーターを汚しながらもなんとか処理完了。うんこまみれのおむつを便所で洗い流す。
さる世界ではうんこを「黄金」と呼び、女王様の「黄金」をタッパーにつめて持ち帰り冷蔵庫に保存。時々、レンジでチンして食したりする人がいるらしいが俺にはさすがにできないなぁ。

1999/3/7

8時起床。娘と「ロボコン」。しかし娘は体調悪く飲んだミルク全て吐いてしまう。しんどそうなのでまた一時間ほど二人で寝る。10時再度起床。ハムエッグ作って妻と朝食。娘が起き出してきたのでヨーグルトなど食べさせるがまた吐いてしまう。下痢もひどくほとんど水状態。水分補強にポカリスエットや野菜ジュースを飲ませるが結局ほとんど吐いてしまう。娘はぐったりしているかといえばそうじゃなく、割に元気に遊んでいるのだが。昼にうどんを柔らかく煮て食べさせるが結局同じ事の繰り返し。
3時、妻と娘が昼寝してる間に買い物。夕飯のおかずやら娘の為の果物やジュース、下痢止めの薬など買う。戻ると娘は起き出してきてしきりに飲み物を欲しがる。朝からポカリだけでも1リットル以上飲んでるが、結局また吐いてしまう。りんごジュースを作って飲ますが同じ。夕方になって少し震え出す。顔色も悪い。心配になったので救急病院に車走らす。やはり風邪がはやっているようで病院には小さい子供がやたら多い。看て貰うが風邪の症状でしょうとのことで、それはまぁわかってんだが。でもとりあえず看て貰うだけでも安心感はある。娘は相変わらずポカリを飲み続けてるが変に元気。病院でも一人はしゃいでいた。家帰るともう8時。妻が娘見てる間に夕食作る。今日、3食とも作ってるな。娘は逆にぐったりして寝ててくれたら楽なんだけど元気すぎて妻も俺も完全に振り回せれ疲労度は最高潮。しかしこれからこんなことが何回もあるんだろうな。大変だけど娘の顔見てたらなんだってしてしまうんだな。これが。

1999/3/8

娘が心配だが仕事。昼休み、家に電話。朝一回吐いたが昼ごはんはしっかり食べられたとのことでちょっと安心。で妻の叔母が亡くなったので今晩はお通夜。5時半、終業とともにすぐ帰らせてもらう。
帰りの音楽、青山陽一インディーズ時代のベスト「SONGS TO REMEMBER」。大学時代に出た氏のファーストソロアルバムはめちゃめちゃ良く聴いた。友達に「これ、かっこいいだろー」なんつって聴かせたものだ。こうして10年近く経ってメジャーからベストがでるなんてやっと時代が追いついたなぁと想う。昔から応援してた人がこうして陽の目をみることは喜ばしいことだ。
で7時帰って喪服に着替え通夜に参列。寒い。1時間ほどで家に帰り夕食。

1999/3/9

葬儀参列のため会社休むことに。ハッチポッチステーションのグッチの熱唱で目覚める。娘はすっかり元気だが、私も妻もちょっと調子悪い。早めの昼食済まし、葬儀に向かう。あいにくの雨で昨晩よりさらに寒い。で末席の親戚としてはとりあえず外で供養品のセットなんかの手伝いをする。しかしこの寒さで身体芯から冷え切り、体調絶不調。葬儀終了後も義姉のおとうさんを駅まで送ったりなんかしてやっと家に戻るが寒気が全身を襲う。ひとしきり吐いて、そく寝る。夕方起きても寒気がひかず、近所の病院へ。熱はかってみると38.6度もある。ここ10年ぐらいの最高値を記録。吐き気止めの注射打ってもらい、薬を処方してもらい家に。そのまま寝る。夜中になって下痢の症状でる。思わずちびってしまう。30を前にひとり真夜中にパンツをはきかえる男。ダメだ、こりゃ。

1999/3/10

朝になっても熱下がらず。ひたすら寝る。妻と娘はバイトのため実家に。30分おきにトイレにかけこむ。まったく最低の気分。それにしても、下痢時の放屁ほど危険なことはない。空砲か実弾入りか危険な賭けだ。ある意味、ロシアンルーレット。昨日のようなミスを犯さないためにも今日は堅実にトイレにいちいちかけこむ。パンツをおろし、しゃがんだはいいが、それが空砲に終わったら終わったでなんか損したような気分になるのは何故?吐いた唾は飲み込めねぇ、おろしたパンツはあげられねぇ、そんな感じだ。
放屁ロシアンルーレットで男の対決ってのはどうか。下痢気味の男が二人、順に放屁し、ちびったほうが負けという熱い戦い。上半身は黒いスーツで下は白いブリーフ。
もちろん、靴下着用。「ポスッ」とか「パフッ」なんて音が夜の波止場に響き、最後は「ビチッ」「あっ(情けなくも切ない声)」。でそんなばかなことを考えつつ、熱計ってみるとまだ37.8度。夜、娘を実家に預けて妻が帰ってくる。うどんを作って貰う。しかし熱はまだ37.5度ぐらいから落ちず。結局また寝るだけ。

1999/3/11

朝になってようやく熱は37度まで下がる。大事をとって今日も会社休むことに。これだけ休んだのは入社以来初めてだがこれもなにかの思し召しかも知れない。バイトの妻を見送りまた寝る。おじや作って食べる。大分、食欲もでてきたし調子も戻りつつある。相変わらず下痢の症状は続いてるが。昼からふとんに入って、後輩から借りてた憂歌団のライブとARBのドキュメントをビデオで。高校生の時、テレビで憂歌団のライブを見てすぐにカルピスの瓶でボトルネックを作った。しかし俺が弾くスライドギターは渋いブルースではなく、どう聴いても陽気なハワイアンだった。人間の幅ってのがこういう風に出るのだなぁとつくづく思った17才の俺。
ARBといえば「ONE and ONRY Dreams」ってアルバムはほんとよく聴いた。白浜久のファンだったから彼が加入してからのARBが特に好きだった。「灰色の水曜日」とか「プライベートガール」なんて良かったなぁ。だからARB解散を聞いた時は「なんで?」と疑問だった。その後、石橋凌は役者として地位を固めていくのだが、なんかの時代劇で彼が織田信長を演じた時、台詞に全部「巻き舌」入ってるのを聞いて「この人はロックだなぁ」と感じたものだ。しかし石橋凌いちいち格好良すぎるんじゃねぇかと僕みたいなさえないひねくれ者をつい思っちゃうんだけどやっぱ、本当にかっこいいんだよね。俺がこんなだったらもうウハウハなんだろうな、きっと。とついつい斜めに見てしまうのが悪い癖だな。
で布団の中でごろごろしてるうちに妻と娘が帰ってくる。まだ食事はあまり食べられないのでおじや作ってもらう。さぁ、さすがに明日からは仕事に行かなければ。社会復帰できるだろうか。

1999/3/12

久々に6時半におきて仕事。熱はもうすっかり下がったがまだ下痢は続いている。久々の通勤はきつい。でなんとか仕事して、昼はうどん屋で鍋焼き。胃袋が小さくなってしまったようでなかなか食べられない。下痢は相変わらずで薬のせいかうんこが白い。
しかし、さすがに職場で放屁するわけにもいかず、かといってトイレに何回も入るのも恥ずかしい。下痢の肉体的、精神的な苦痛を実感。そうか、それでSMには浣腸プレイなるものが存在するんだなと実感。しかし仕事しながらなにを考えているのか、俺は。
で仕事終え、帰宅、帰りの音楽、XTCAPPLE VENUS」。久々にXTC聞いたけどまさにブリティッシュ、まさにひねくれポップ。僕は洋楽弱いんだけど、最初に聞いた洋楽がXTCなんだよね。帰ると娘がやたら元気。「ペッパー」バッファロー吾郎、木村氏演じる「たれレンジャー」のまねが最近の新ネタ。3日ぶりにちゃんとした白いご飯食べる。

1999/3/13

8時半起床。朝食後、娘と散歩がてらパルコのチケットセゾンまでチケット買いにいく。5月のシティボーイズライブ。ここ数年は中村有志いとうせいこうが参加してたが今回は全く3人だけらしい。楽しみ。
で自転車に娘を乗せ湖岸を走る。実に気持ちがいい。出来ればずっと大津で暮らしていたい。会社は遠いが環境は素晴らしい。近くに水辺があるってのはそれだけで落ちつく。
で今日は弁当持って京都の植物園まで遊びに行くことに。みんなでおにぎり食べ、芝生で遊んだり梅を見たりして数時間過ごす。北大路、北山界隈は春先にはもってこいの場所だ。高校時代を過ごしたからってわけでもないがこのあたりが京都の中で一番好きな場所だ。大阪に毎日通ってるからたまにここに来るとやっぱ京都いいなぁとつくづく感じる。でちょうど遊び疲れたころ、雨が降り出したので大津へ帰る。
帰って「ダウンタウンDX」「ナイトインナイト八方の演芸もん」ビデオで。シャンプーハットおもしろい。彼らとハリガネロックは今すぐ東京に進出すべき。ボキャブラバブルで適当に受けてる芸人より確実に実力ある。まぁバラエティの中でそのおもしろさがいかせるかとなると問題は別だが、関西ではまだ下っ端の芸人でもここまで実力あるんだぞってのを知らしめてやってほしいのだ。ちょうどテレビで「シャンプーハットの爆走!実験バス」という番組の再放送してたがこれはちょっと違う。二人が全くいきてない。このあたりは今後の課題ではあるが。
でみんなで買い物行って、生姜焼きの夕食。最近、なぜか生姜焼きが俺の中できている。

1999/3/14

9時起床。午前中はテレビ見てだらだら。昼前、娘を妻の実家まで。昼から大津スカイプラザで桂小枝氏の講演を聞きに行くのですこしの間預かってもらうことに。で一旦妻と家で「ガキの~」ビデオ見ながらうどんの昼食。
その後自転車でスカイプラザまで。一応、文化セミナー「若者文化について」というタイトルがついてるが実際は桂小枝の小ネタトークショーナイトスクープ裏話からキダタローのヅラ話(家には長め、短め、白髪多めの3種あるとのこと)までかっちり笑いを取っていく。さすがプロ。あっという間の1時間。
ですぐ帰って娘を迎えにいく。でまた家でビデオ「2丁目ファイナル~ダウンタウンですよーだ」。さすがダウンタウン。王者の風格。岡けんた、ゆうたやハイヒールリンゴとの絡みが久々で逆に新鮮。保存版にしとこう。「4時ですよーだ」はちょうど高校時代。もちろんほぼ毎日見てた。当時の僕は学校帰りに四条の十字屋でレコード眺めるぐらいしかやることなかったから夕方にはほとんど家にいたのだ。学校から帰ってきてお茶入れてお菓子食べつつ「4時ですよーだ」見て、5時になると部屋にあがってレコード聞くという毎日だった。高校時代ははっきり言って暗黒時代だったが実はあの3年間で自分のコアの部分は作られたのだ。しかし高校時代一回でいいからデートしたかったなぁ。

1999/3/15

朝から雨。湿度高く不快指数120%って感じだ。ロジャーニコルスとポールウィリアムスが作った「RAINY DAYS AND MONDAYS」が頭の中で鳴る。でそんな憂鬱な気分で一日過ごす。帰り間際の7時になって会議。結局9時過ぎまで。興味のない話に2時間も付き合うのは正直たまらない。これが「99年お笑い展望」とか「思い出のオナペットベストテン」とか「シェイプアップガールズ、なんか年くってるが故にそそられるなぁ」なんて議題ならいくらでも真剣になれるのだが。
で帰りの音楽はグランドファザーズのベスト。セカンド「BBB」は名盤で一時期浴びるほど聞いていた。「二つの魚影」って曲が大好き。帰ると娘は当然寝てる。