2024/12/28
7時起床。年内最後の休日出勤。ショッピング番組の生放送特番。裏方として試食用のカニと格闘し終了。これで仕事納め。帰宅し遅めの昼食はサッポロ一番塩ラーメン。卵と餅をトッピング。
夕方から妻、義母、義兄といっしょにお通夜へ。義姉の義母のお通夜。96歳、大往生。小さな曾孫が7人もいて親族控え室も賑やか。甥っ子、姪っ子の子供たちがかわいい。生と死、生まれて育っていくサークルを感じる。
24/12/29
朝から妻、娘夫婦と義母宅へ。年末恒例の餅つき。年季の入った餅つき機がフル稼働。つきたての餅を皆で丸める。出来たての餅、これがもう美味いのなんの。
帰宅し、妻と京都まで。ロームシアターにて「清⽔ミチコ万博 〜ひとりPARADE〜」京都公演を観る。元祖“才能が渋滞している”天才芸人。歌にピアノにモノマネ、すべての芸が一流。全方位的にあらゆるものをおちょくり、笑い飛ばす。弟である一郎氏と矢野顕子&細野晴臣のマネで「風をあつめて」なんて絶品。そして今回の目玉はスペシャルゲスト、木村充揮(ex憂歌団)とのセッション。隙あらばダジャレを挟み込みつつ、激渋かつかっこいい歌とギターを聴かせる木村氏。痺れたなー。2時間40分ノンストップの楽しすぎるショーで大満足。
24/12/30
妻は今日も仕事。ということで一人京都まで出て映画。烏丸御池のすき家でほろほろチキンカレーで腹ごしらえ。
アップリンク京都にてまずはクリストファー・ザラ監督「型破りな教室」を観る。アメリカとの国境近くにある町、メキシコのマタモロス。麻薬、暴力が蔓延し貧困にあえぐこの町の学校に新任教師ファレスが赴任。マニュアルからはみ出し、自分で考え導き出すことを教えるファレス。子供たちは型破りなファレスから様々なことを学んでいく。だが彼らの日常は優しくない。暴力や貧困が彼らの未来に暗雲をもたらすのだ…。学ぶことの喜びを知り、未来に光を見出す子供たち。だが残酷な現実が彼らを襲う。生徒の一人・パラマは数学にずば抜けた才能を見せる天才。だが貧困の中にいる父親はファレスに言う。娘に期待を持たすなと。哲学に興味を持つルペはヤングケアラー。幼い弟たちの面倒を見るために学ぶことができない。学ぶことの楽しさを知り未来を夢見るニコだが暴力の世界から抜け出すことを許されない。本来人には学びたいという欲があると思う。知らないことを知りたいと思う知識欲。教育とは違う、学び。「私の学びを妨げる唯一のものは、私が受けた学校教育である」というアインシュタインの言葉が映画の最後に飾られる。大人は子供たちが持つ学びたいという気持ちを止めてはいけない。それが大人の役割だと思う。この型破りな教室にはちゃんとした学びがある。未来を生きる子供たちの為に自分は何ができるのかと映画を観ながら考えさせられた。良き映画であった。NHKのドラマ「宙わたる教室」のことも思い浮かんだな。
で一旦マクドでマックシェイクのチョコ飲んで休憩。それからもう一本。
チャンドラー・レヴァック監督「アイ・ライク・ムービーズ」を観る。舞台は2003年のカナダ。ローレンスは映画大好きな高校生。自己中心的で他者を見下し社交性はゼロ。そんなローレンスがレンタルビデオ店で働き、店長のアラナはじめ様々な人たちと接することでちょっとずつ変わっていく。主人公ローレンスのイタさ、根拠のない優越感、自分だけは特別だという思い込みと妙な自信。だがそれと背中合わせに常に不安と自信の無さ、劣等感がある。どこか既視感があるこの感覚。そうまるで昔の自分を見るようだ。いや、今もまだどこかに残っている。若さとバカさがひたすら空回って、手を差し伸べてくれる人すら傷つけてしまう。そしてその傷が全て自分に跳ね返ってきて初めて気づくのだ。映画は自分以外の他者の世界を覗き見ることができる装置だ。未知の世界、未知の体験を覗き見し自分の無知を知る。時に共感したり、時に反発しながら、他者の中にも自分と同じように事情があり感情があることを知る。幼いローレンスは自分だけを見ている。映画を観ながらも映画を観ている自分だけを見ていて内側に高い壁を作ってしまう。他者との関係が壊れ、一人になった時にやっとその壁を壊し外に出ることができたのだ。そしてローレンスはやっと少し大人になる。これまた良き映画だったなー。
やっぱり映画館で過ごす休日は最高だな。そしてそんな今日12/30は誕生日なのであった。
夜、2024年の映画ベスト10を誰に頼まれた訳でもないのにUP。アイ・ライク・ムービーズということで。今年観たのは配信含め119本。その内劇場で観たおよそ100本から10作品を。良ければお読みくださいね。
24/12/31
大晦日。朝から郵便局まで年賀状出しに行って(遅すぎるよ)、しばし湖岸を散歩。昼は家でパスタ。それからNETFLIXで映画を一本。藤井道人監督「青春18×2 君へと続く道」を観る。ベタっちゃベタなお話なんだけど、台湾という舞台設定と清原果耶の清原果耶力でぐっと抑えた沁みる青春映画に。奇しくも中山美穂追悼にもなっていた。
夜はそばを食べて紅白。郷ひろみがやすきよの漫才に入り込んだのには笑った。そしてその画像をすぐにXにポストしていたエムカクさん(明石家さんま研究家)最高。星野源の鬼気迫る「ばらばら」も聴き応えあった。ありとあらゆる考察がSNSに上がっているけど、本当のところは彼にしかわからない。それこそ「ばらばら」だ。だが「大いなる力には、大いなる責任が伴う」。本人の望む望まないにかかわらず、彼は年末の国民的番組で歌う影響力を持つスターでありヒーローなのだ。誰かを切り捨てるのではなく誰もとりこぼさないのがヒーローだ。それを背負ったものの痛みと孤独が染み入った。そして「虎に翼」パート。「虎に翼」はまさに誰もとりこぼさない、いなかったことにしないという強い意志を持ったドラマで、このパートでもしっかりとその意志を示して見せた。素晴らしかったな。
で2024年も終わり。まぁ色々大変な年ではあった。いいこともあり、悪いこともあり、楽しいこともあり、辛いこともあり、日記に書いてない、書けないことも、そりゃあるよ。まぁこれが人生。That's Life。
2025/1/1
明けましておめでとうございます。年明けて2025年。妻と2人、お雑煮とお節。貰い物のお節が超豪華で朝から豪勢。
昼前に娘夫婦もいっしょに実家まで。昼は母手製のお節。慣れ親しんだ味。美味しい。墓参りにも行って父に新年のあいさつ。父が亡くなってもう17年も経つのだな。イオンモールのユニクロで買い物。兄は娘夫婦にとてもよくしてくれる。何でも好きなもの買ってやると大盤振る舞い。小遣い制のせせこましい父(俺のことである)とは大違い。夜は皆でしゃぶしゃぶ。母はいつまでも兄や僕が高校生の頃の感覚でいて肉や野菜を大量に用意してくれている。ありがたいが当然半分も食べられない。もう50過ぎてんだから。
2025/1/2
今朝も妻と2人、お雑煮とお節の朝食。で今日は娘夫婦もいっしょに妻の実家へ。昼から夜まで食べて飲んでお喋りしてテレビ見てダラダラと過ごす。カニ鍋に鴨鍋、最後の雑炊がもう美味いのなんの。
二日続けて付き合ってくれた娘婿に感謝。
radikoで角田龍平の「蛤御門のヘン」聴く。毎年恒例、蛤御門アワード。スタン・ハンセン、金平会長をはじめとする濃厚すぎるゲスト陣の中にあって、最薄味ゲストとして不肖、私も出演させて頂いた「蛤御門のヘン」。リスナーさんでアワード候補に私の名前を挙げてくれた方がいてびっくり。番組出演後、ブログを読んでくれた人も多く、なんといいますか感謝しかない。
2025/1/3
今朝も妻と2人、お雑煮とお節の朝食。やっとお節食べ終わった。初詣に多賀大社まで行こうということになって義母も一緒に出掛ける。高速飛ばして片道1時間ちょっと。さすが人も多い。しっかりお参りして多賀屋で糸切り餅買って帰宅。義母宅で遅めの昼食というか早めの夕食というか昨晩食べきれなかったオードブルとかお節をつまむ。
夜はTVerやNHK+で年末年始の番組などをチェック。話題の爆笑ヒットパレードでの爆笑問題のネタなど。でもまぁ太田さんがいじらないわけないだろうという感じ。というか、テレビ以外はネットも雑誌も一般人でさえ話題にしてるんだからむしろ触れない方が無理がある。そんなことよりあれだけのキャリアでもうネタやらなくていい立場の爆笑問題がずっとネタを作り、やり続けてることが凄い。ラジオを聴いてると日々ネタ作りし、ネタ合わせを繰り返してることがわかるし、ネタ後の反省をいまだに口にしている。いつまでたっても(漫才が)上手くならないと嘆く太田さん。年末年始だけでも多くのネタ番組に出てトリを務め、新ネタでしっかり笑いを取る。テレビだけじゃなく自分たちで場を作りクオリティを保ちながら常にネタを作り続けている。これ、ちょっと凄くないか。