日々の泡。

popholic diary

F先生の机

すっかり隠遁生活を送っている間に、もう11月も終わり。
ちょっと振り返っておこう。

東京から帰宅。昨日は仕事だったが今日は代休にして念願の藤子F不二雄ミュージアムに行ってきた!おっさん一人はさすがに浮いていたけどね

F先生のカラー原画の美しさや仕事部屋の再現に感激。そして奥様からのメッセージに感涙。良かった!

ということで今月は珍しく東京出張があったので、翌日を代休にして川崎の藤子F不二雄ミュージアムに行ってきた。新宿から京急に乗って登戸まで。そこから専用シャトルバスに乗って念願の地へ。小ぶりなミュージアムながらもういちいちデザインが良くって嬉しくなる。おっさん一人はさすがに少々浮いていたが、平日の午前なのでそう混雑することもなくゆっくりと堪能できた。F先生の机。ここでいくつもの物語が描かれ、世界中の子供の心に希望を灯したんだなと思うと、胸に込み上げてくるものがある。やはりF先生の原画は美しい。ポップでキュートでキャッチー。自分のポップ好きの原点はF先生にある。まだ6歳とか7歳の頃、てんとう虫コミックス藤子不二雄作品は僕の宝物だった。一番好きだったのは「新・オバケのQ太郎」全4巻。今も僕の本棚にあって、数年前は娘も一生懸命読んでいた。「ドラえもん」に「パーマン」「21エモン」「ウメ星デンカ」「キテレツ大百科」。ことあるごとに親にねだって買ってもらったてんとう虫コミックス。やがて思春期になって、離れていた時期もあったけど、再びF先生の様々な短編作品に出会って、ずっともっと好きになった。挫折、後悔、諦め、悲観…やるせなく果てしないビターな物語の数々。F先生は悲しみを知っている大人。だからこそ夢を描けたのではないか。ドラえもんなんていない。それを一番理解していたのはF先生その人だ。だから描き続けた。

藤子F不二雄ミュージアムで壁一面に引き延ばされた「みどりの守り神」のジャングル化した東京を描いた1コマを観ながら、F先生がもしご存命なら311以後どんな作品を描いたろうかと考える。

空がまた暗くなる。ドラえもんはいない。だから、僕達でなんとかしなきゃならない。ボロボロになりながらジャイアンに立ち向かっていったのび太のように。