日々の泡。

popholic diary

popholic2006-12-02

8時半起床。バイトの妻を送り出し、社会科の宿題でクラスメイトといっしょに商店街でいろいろ取材するのだという娘を送り出し、一人朝食。ほどなくしてリハビリがてら父と母が来宅。スキャナーで取り込んでデータで保存してほしいからと古いアルバムを持参。それは父の父、すなわち僕にとっては祖父の写真だった。祖父は1894年生、1943年没。父がまだ10歳の時に亡くなっていて、僕も随分前に数度写真を見たことがある程度。180cm近くの長身でなかなかの男前だったそうな。現存する数枚の写真をスキャナーで取り込む。大正8年と記された写真、着物姿に山高帽を持って立ってる男が若かりし頃の祖父。確かになかなかの男前だ。残念ながら僕はまるっきり似ていない。アルバム見ながら父に我が家のルーツを聞く。出は福井の薬商で京都で旅籠を起すのが祖父の祖父のそのまた先の人物。京都の柳馬場に今も現存する老舗旅館・綿善が本家になる。祖父の母親は絶世の美女で「柳馬場小町」と言われていたそうな。でこの人が奔放な女性だったらしく、ここからまたややこしくなってくる。本家筋のその「小町」が養子を迎えて出来た子が3人。次男が僕の祖父。でその祖父の父、「小町」の旦那がダメな男だったらしくて家から追い出される。で「小町」は「小町」で再婚して山口の方に嫁いでいく。この辺りからもうよくわからない。なんしか次男坊だった祖父は東京に出てなにやら商売を始める。「選挙権を持ってる」ことが自慢だったらしいから、そこそこの暮らしだったのだろう。だが、父が生まれた頃(昭和12年)には病気でずっと寝たきりだったとか。で戦争。東京は空襲に見舞われ、家族は一文無しで京都に戻ってくることになる。今となっては僕が高校生の時に亡くなった祖母にいろいろ話聞いとけば良かったと思うなぁ。祖母の弟という人物は映画「戦場にかける橋」(名前こそ知ってるが観た事ない)のモデルになった史実に関わった人物で、英語ペラペラの凄い人だったらしいとか。もはやその辺の話もかなりあやふや。あと祖母の妹いやその娘だったかなは、俳優・佐野周二の後妻におさまった人。つまりは関口宏の義母にあたるとか。その話はなんか昔、聞いたことある。とりあえず簡単な家系図を書いてもらったので、この先まとめていくことにしよう。そんなことしようとするの親戚中で僕ぐらいだろうから。
で帰ってきた娘と両親を駅まで送る。午後から娘、次はマンションの友達のお誕生日会。スケジュールつまってんなぁ。で妻と買い物。TSUTAYAで会員カードの更新。一本タダなのでイロイロ物色。結局、娘が見たがってたとかいう「にゃんこムービー」を妻に手渡され借りることに。…「にゃんこムービー」って。AV借りるより恥ずかしい。それからオープンしたての電器屋で小型掃除機買ったり、商店街をぶらぶらしたり。
ここに書いてるような、なんともつまらないありふれた日常。この文章を残しておいて100年ぐらい後、僕の子孫が発見してくれたらおもしろいかもね。