日々の泡。

popholic diary

私が死んでも

あいにくの雨。今日は会社休んで大叔母の葬儀に参列する。仕事も忙しいしどうしようか迷ったが、手を合わせることの方が今の僕には重要だと思ったので。午前中の葬儀。朝から車走らせ京都まで。神式の葬儀は初めて。とまどいつつも見よう見まねで。葬儀の間は、やはり普段考えないようなことを考える。忘れていた風景、過去-未来、自分のこと、自分を取り巻く人たちのこと、歴史、血…。そういう年代になったのか。いや、考えろって言われてんだな。
葬儀終えて、両親を実家まで送る。父、なかなか良くならず。いまだほとんど食べられない状態。すっかり痩せてしまった。明後日には再検査。無理はするなとしか言えない。
車の中で、母に大叔母のことなどイロイロ聞く。明治〜大正〜昭和〜平成を生き抜いてきた人だ。人に歴史有り。一度、祖母にもロングインタビューしなければと思う。しかし僕の薄っぺらな35年の人生なんか200字詰め原稿用紙1枚も埋められないな。つくづく面白みの無い男だ。
自分の中にはいろんな血が流れ込んでる。当たり前のことをふと思う。
で帰宅。折角休みとったからゆっくりしようと思ったが、娘を体操教室へ送り迎えしたり、買い物に行かされたりとまぁいつもの調子で。