日々の泡。

popholic diary

この星につっぷしながら

9時起床。朝一で滋賀会館シネマホールへ。
市川準監督「あおげば尊し」観る。小学校教師・光一(テリー伊藤。ちょっと驚くぐらい名演)は、同じく長年教師を務めていた父を看取る為、在宅介護をはじめる。そんな中、光一のクラスで「死体」写真をネットで熱心に見る少年がいた。死の意味がわからないまま、「死」に向かい始める子供達。「どうして死体の写真を見ちゃいけないの」「どうして死に興味を持っちゃいけないの」そんな問いかけに、光一は上手く答えられない。死にゆく父に、光一は「死ぬってどういうことなんだろう」と問い掛ける-。ちょっと思い出したんだけど、この前テレビで太田光が「『どうして人を殺しちゃいけないのか』-それは『生』が価値のあるものだってこと。僕らはそれをわかっているから人を殺さない。でも今はそれがわからなくなってきてるんだ」というような話をしていた。新聞を広げれば今日も「死」がそこにある。なのに日に日に「死」の感覚が希薄になっているような気がする。「生」の意味、「死」の意味。僕らは子供達に上手く伝えることができるだろうか?この映画の主人公は、苦悩しながら丁寧にそれを伝えようとする。簡単にはいかない。子供達にいたずらに拡がっていく「死」の希薄な感覚。映画だけじゃない。現実を見てもそれは同じだ。「死」の本質に蓋をして、表層的な「死」だけを子供達に与えてきたツケが現れはじめている。でも、だから僕たち大人は考えなきゃいけない。答えなんて簡単には出ない。それでもその努力を惜しんではいけない。市川準監督もまた、表層的な答えを用意しない。苦悩しながら、ゆっくり静かに「死」の意味を伝えていこうとする。その姿勢こそが「生」の価値なんじゃないかと思った。死の淵にいる父の手を、少年に握らせる光一。そのまだ温かい手のぬくもり。かけがえのない「生」。人は生まれた瞬間から「死」の準備をはじめる。苦しみ、悩み、「死」を感じながら「生」をまっとうする。うん、やっぱり上手くは言えないんだけど、いろんなことを感じながら観た映画だった。それと市川監督が87年に撮った「ノーライフキング」をふと思い出した。あれから19年たって、子供だった僕は親になった。「死ぬってどういうことなんだろう?」
しかし初主演を勤めたテリー伊藤が良かった。演じてるように見えない。光一という教師がそこにいる-まさにそんな感じ。これには驚いた。そして妻役を控えめに演じた薬師丸ひろ子、死にゆく夫を見守る光一の母役、麻生美代子サザエさんのフネ役の声優さん)もまた演技を感じさせない演技でテリーを支えていた。
で昼は「ぶっかけ冷やしうどん」。冷凍ものながら美味い!冷やしうどん季節がやってくるなぁ。それからタダ券を貰ったので、家族でボーリングに行く。娘は昨日から楽しみにしてたのに、思うようにならずふくれっ面。2ゲーム目でやっと満足できたようで、良かった良かった。僕は154/173と結構調子良く、父親の威厳を保ててホッとする。
で買い物行ったりしてるとあっという間に夕方。日が長くなったので6時でも外は明るい。