日々の泡。

popholic diary

ニュー.ソウル

今日は叔父の告別式のため、休暇とる。朝は久しぶりに冷ご飯とアツアツの炒り玉子(醤油たっぷりかけ)の朝食。
喪服に着替え、葬儀場へ。
亡くなった叔父の話を少し。穏やかで朗らかで面白い人だった。僕がまだ生まれる前、叔父は身体を壊し会社を辞めざる得なくなったらしい。それから自宅に機械を入れ、細々と繊維加工の仕事をしていた。子供の頃、両親に連れられ叔父のところに行くと、糸を巻き上げる機械がガシャガシャと動いていて、それを見てるのが好きだった。今思えば、バリバリ働き盛りの頃に身体壊して、様々な悩みや葛藤があったんだろうけど、それを微塵も感じさせなかった。いつも飄々としてて、ちょっと“天然”なところがあって、周りをなんとも和やかな雰囲気にしてしまうような人だった。通っていた大学が、叔父の家に近くて、時々寄っては通学用のバイクを置いといてもらったりした。大学近くの天満宮で市がたつ日があって、たまに授業をさぼってブラブラ覗きに行ってたんだけど、何度となく叔父とすれ違った。ブラブラ町を歩くのが好きで、旅行が好きで、芸術を好んだ叔父には、なんとなく親近感を持ってた。そうそう、僕が高校生の時、叔父が九州に住んでいた親戚のところに行くといって出かけたはいいが、なぜか船を乗り間違えて四国に降り立ったということがあった。この呑気な面白エピソードは実に叔父らしくて、今でも相当好きなエピソードだ。
10年程前、再び叔父は倒れた。それからはほぼ寝たきりだった。娘が出来て連れて行った時には、叔父は既に言葉を失っていた。でもとても嬉しそうな目で僕の娘を見て、言葉にならない言葉で喜んでくれた。
告別式はつつがなく終り、三号車の札をつけて火葬場へ車は走らせる。子供の頃、葬式なんてずっと遠いもので、訳もわからず参加してるだけだった、それが今はこんな風に葬式をなにかと手伝うようになってる。いづれは葬式を取り仕切ることになるだろうし、最後には葬式の主役になるんだろう。あの遺影の中で僕は笑ってるかな。棺桶の中で、僕はどんな表情をしてるかな。
叔父の棺桶の中に、花といっしょにいつも被っていた帽子や大好物だった「赤福餅」を入れる。
そして娘に言う、僕の棺桶には「阿闍梨餅」を入れてねって。