日々の泡。

popholic diary

ラーメンたべたい

昨夜はなぜか、今更、「世界の中心で、愛をさけぶ」DVDで観る。「ホワァ〜イ、なぜにぃ〜」という感じだが、先輩が「一応観とけ」ということでDVD貸してくれたで。もちろん、原作もテレビも観てません。で映画ですが、ま、どうしても元の話がアレですからねぇ、しょうがないんでしょうが、むしろ「泣き」に逃げないように努力した行定監督を評価。そして若き二人の俳優が素晴らしかったですね。森山未来君はいい役者ですね。が、やはり長澤まさみちゃん祭りということで、ここは一つ。特に生き生きとした彼女が堪能できる前半が最高。長澤まさみちゃんに常に「ノースリーブ」を着せてるとこなんか、わかってらっしゃる。同級生だったら、間違いなく一言も話しできない(きっぱり)。とまぁこれ冗談半分ですが、長澤まさみにつきますよ、この映画は。彼女の「声」がまたいいんだ。全編に渡って「彼女の声」が重要な位置を占めるんだけど、あの声、もれる吐息、グッきたね。これは凄いポイントで、これがあるから観れたって感じで。が映画は後半「泣き」に向かった途端、失速。柴崎コウでドッチラケという残念な結果に(はっきり言って、彼女は蛇足)。しかし86年とは僕もまさに青春期。カセットテープが「HF-S」だったり、ダブルデッキのラジカセとか、漫画「みゆき」がなにげに見切れてたりとかポイントは数箇所あったけど、なんか勿体ない状態だったなぁ。真性・ロマンティストの僕に言わせると、これはロマンティックでもセンチメンタルでもない、ある意味真逆な世界なんだよね。だから受けたんだろうけど。泣きのツボをとことん外された感じで、やっぱりあそこまで分かりやすくなっちゃうと、しらけざる得ないんだよ。
で今朝は9時起床。朝から選挙に行く。ま、難しいことはわかんねぇー、けど政治なんてのはもう生活そのものなんだから難しく見せちゃいけません。つーか、ややこしく見せちゃいけない。そんなの芸がセコですよ。
でホームセンターまで猫の餌買いにつき合わされる。しかしいろいろあるねぇ。生タイプのツナとか美味そうだもの。
で昼は、おにぎりと幸麺(安売りスーパー「ジャパン」のインスタントラーメン、これが結構癖になる)。
午後、妻と娘は同じマンションの友達のとこに遊びに。で早速、滋賀会館シネマホールへ。こういう時、徒歩2分の場所に映画館があるのは嬉しいなぁ。思い立ったら即って感じで。
キム・ギドク監督「サマリア」観る。まいった。痛みに満ち溢れた凄い映画。観終わってしばし呆然。恐るべしキム・ギドク監督。映画は二人の少女の姿から始まる。援助交際をする親友・チェヨンのために嫌々ながら見張り役として行動をともにするヨジン。母のような、子供のような笑顔を浮かべるチェヨン。強い意志をもった瞳が印象的なヨジン。十代の女の子だけが持つ、友情とも愛情ともつかない濃密な関係はチェヨンの死で終わる。そしてヨジンは「チェヨンの罪滅ぼしのため」ゆっくりと破滅へと向かっていく。ヨジンを演じるクァク・チミンの危なげで、でもなにかしたたかな強さを秘めた瞳が忘れられない。そして破滅に向かうヨジンの父が背負う深い痛み。その「痛み」をただ黙って切り取ってみせるキム・ギドク監督は趣味が悪い。こんなの見せられたらただ呆然とするしかないじゃないか。人は皆、痛みを抱えている。どこまで行っても満足なんかできやしない。「痛み」を前に、人は過ちを繰り返し、新たな罰を作っていく。痛みに満ち溢れた映画。目を逸らすことさえ出来ない。
で帰ると妻と娘はまだ帰ってない。夕飯の準備しようとしたら「米」がない。猫の飯より俺の飯を心配してくれ!と言いたいとこだが、車走らせ米買いに行く。日曜夕方のスーパーで米袋抱えて、おっさんが一人レジに並ぶのって恥ずかしいよ、言っとくけど。
で帰ると妻が「ありがとう、夕飯よろしく!」だって。・・・以下略。