日々の泡。

popholic diary

1999年1月下旬の話。

1999/1/16

今日は妻がバイト。朝から娘と二人。ベビーカーにのせてパルコによってそのまま湖岸まで出る。ベンチに二人で座り湖を見てると「ピース」が漂う。これをピースといわずしてなんというのか。娘は何言ってるのかさっぱりわからないがひたすらしゃべっている。それにしても女の子の声はどうしてこうもかわいいのか。
帰って二人でカレーを食べる。グリコの幼児カレー、昨日はあまり食べてくれなかったが今日は2杯も食べてくれた。子供でも二日目のカレーのうまさがわかるんだなぁ。
その後、みかん食べつつアンパンマンをビデオで。バイキンマンがお気に入りの様だ。
で今日は妻の実家で鍋とのことで出かける。商売してる家だけあってめちゃくちゃ豪勢。たらばがにに松葉がにを豪快に食す。娘も姪と甥にあそんでもらって大はしゃぎである。こういう普通の生活、普通の幸せを受け入れる度量ってのも必要である。

1999/1/17

今日は一日だらだら。ビデオで「少年頭脳カトリ」「ガキの使い~」「雷波少年」見てラジオで山下達郎大瀧詠一の新春放談。
両親が娘の顔見たさに来宅。なにかと用事を作っては娘に会いにくるのだ。私はソファーにすわったまま昼寝。でなんだかんだで一日が過ぎる。
寝る前にやっと松本人志ビジュアルバム「安心」見る。前2作からさらにディープな世界。こんなとこまで来てしまったのか。コントを超えたコント、笑いを超えた笑い。
前人未到のとこまで完全に来てる。何にも似てない、どこにもない笑いの世界。詳しくは後日。

1999/1/18

仕事。思い出せない。
帰りの音楽、ダリエ。ひょっとするとこれは名盤かもしれない。
帰って明日からの出張に備え即寝る。今まで絶対妻としか寝ようとしなかった娘が努力のかいありここ連日俺の布団でいっしょに寝ている。一つ布団に娘といっしょに入り込み歌ったりしゃべったりして寝る。布団の3分の2を娘に取られかなり無理な体制で寝にくいことこのうえないが。

1999/1/19

今年初出張。5時おきで家を出る。外はまだ暗く、吐く息は白い。新幹線で熟睡するもまだ寝たりず。覚めやらぬ頭のまま車を借り茨城へ向かう。
淡々と仕事をこなし日立市の常宿日立多賀ホテルへ。
会社から電話はいり、明日の一件目の客から都合悪い旨の電話あったとのこと。おいおい前日に言うなよ。なんの為今から2時間もかかる日立に宿とってると思ってんだ。しかししょうがないので明日昼から行くはずの店に電話いれ時間の変更をお願いしたりしてなんとか予定組み直す。
で吉野屋で牛鮭定食といういつものパターンを繰り返し日立に向かう。ホテルについたところで何もなく適当に出張報告書いてもんもんと過ごす。

1999/1/20

8時ホテル出て一件目。前日電話いれてるにもかかわらず不在。一時間後に来てくれといわれしょうがなしに一時間、近くのスーパーの駐車場で時間つぶし再訪問するもそのまま30分以上待たされる。それも立ったまま、お茶すら出ず。でやっと商談と思いきや時間がないからさっさとしてくれなんてこと言われる。虫けら以下の扱い。実際営業なんて虫けら以下だからいいけどね。
世の中をうまく渡っていくには自分をどんどん鈍感にしていくしかない。そんな訳で昼飯食えずそのまま2件目。取引条件の改悪と売り込みを同時にやれなんて所詮無理な話。2時間近い商談も実を結ばず。自分でテンションがどんどん下がっていくのが分かる。
まぁ出張はニッポン放送のラジオ聞く為に行ってるだけだからな。
で水戸の常宿ホテルサトーへ。天ぷらのがんこ屋でがんこ定食というこれまたいつもの夕食。部屋で持参したリリーフランキー著「誰も知らない名言集」読了。名著なり。ばかばかしくも深く、鋭く人間の本質をつく内容にまさに目からうろこ。机上にぶちまけられた壮大なる無駄話から生み出された真理にうなずくことしきり。

1999/1/21

出張最終日。6時半起きでホテル出る。いきなり道を間違え水戸のラビリンスに迷い込む。脇の下をいやな汗で湿らしつつなんとか抜け出すし一件目に到着。早めにホテルでてたので遅刻は間逃れた。でちゃっちゃと商談、午前中に3件のハイペース。
昼は「ビバリー」聞きつつスーパーの弁当。高田文夫、清水ミチ子の掛け合いは素晴らしくおもしろい。言葉がどんどん転がり笑いが加速される。女性コメディアンの中で清水ミチコは唯一安心して見ていられる存在。この人の笑いのセンスには目をみはるものがある。
で仕事終え大津に帰る。大津駅から家帰るまでの間、交差点ごとに盾を持った兵庫県警の機動隊員が立ってる。なんかあったのか?ちょっとびびりながら家に帰り着くが誰もいない。妻と娘はまだ実家にいるようだ。なんだか物騒なので電話してとりあえず今日も実家に泊まっておくよう告げる。
一人テレビで「ダウンタウンDX」雨上がり宮迫氏おもろい。ジャリズムが解散した今、雨上がりにはがんばって欲しい。

1999/1/22

帰りの音楽シーナ&ロケット「@HEART」。実にラブ、ハッピーな素晴らしいアルバム。特に「INTERNET KISS」から「OLDSMOBILE ROCK」までの流れが最高。何度でも聞き返したくなる。
で帰って娘と久々の対面。だいぶ言葉数が増えてきた。
妻が買ってきたTVブロス読む。特集・石立鉄男とは素晴らしい。最近のドラマはやれ反町だ竹野内だとくだらないにもほどがある。昔は石立ががんがん主役はってたのだ。坂口良子とかが平気でヒロインやってたんだから今思えば豊かな時代だった。ドラマは基本的には見ないが、もし次の月9が石立主演なら間違いなく見るね。

1999/1/23

今日も仕事。さっさと済まし帰りは梅田で買い出し。
中古盤屋で井出靖「PURPLE NOON」、篠原ともえ「メガフォンスピークス」、タワーで青山陽一「SO FAR,SO CLOSE」、松尾清憲杉真理の新バンドピカデリーサーカスのシングル「Baby! it's all right」購入。
さらに本屋で今一番おもろいコラムニスト・リリーフランキーのコラム集「美女と野球」、みうらじゅんいとうせいこうの「見仏記2」、村上春樹河合隼雄村上春樹河合隼雄に会いに行く」購入。常に3冊ほど同時進行で読んでるのだがいかんせん時間がなくどんどん本がたまっていく。
で帰ってバイトの妻と娘を迎えにいき夕食。テレビで「リング」。娘にじゃまされ集中出来ず。やはり映画は映画館でじっくり見るべきものである。主演の松嶋菜々子はきれいだがいちいちCMに登場するとなんだか興醒めである。

1999/1/24

朝からセゾンまでチケット買いにいく。3月にあるカーネーションのライブ。ちょうどMAX(今だにそれぞれの名前が憶えられない・・)の大津公演のチケット発売日と重なり、えらく人が並んでる。係の人に「MAXの受付は終わりました・・。」と告げられるが「いや・・・カーネーションを・・」というとあっさり発券してくれた。整理番号7番。
で帰ってみんなで買い物。たまたま中古CD市やってたので覗く。ここ6、7年探し回っていた松本伊代「Private file」発見し即購入。小西康陽氏が数曲書いてて特に「有給休暇」という曲は名曲と聞いてたのでずっと探してたのだ。素直にうれしい。しかし実にささやかな喜び。
家に帰り妻と娘の為に親子丼とそばをつくる。我ながらうまくできた。・・料理うまくなってどうする。
ビデオで「ナイトインナイト~八方の演芸もん」ものまねグランプリ。DonDokoDonはうまいだけになんかもったいないなぁ。一体彼らをどういかしたらいいのか?東京に彼らが活躍する場があるとも思えない。大阪でこつこつ劇場に出るほうが向いてるんじゃないか。それとつっこみにもうちょっと華があれば。オール阪神師匠のサービス精神の旺盛さには頭がさがる思い。続けて「ガキの使い~」「雷波少年」ビデオで。
でラジオ「山下達郎サンデーソングブック」のヒストリーオブジャパニーズロック。ティンパンアレー特集。70年代中期の彼らが参加したアルバムはどれも大好き。山下氏も言っていたが今聴いてもまったく古くなってない、というかむしろかっこいい。細野さんはやっぱ凄いや。
でそのまま娘と昼寝。目覚めたらもう「ちびまる子ちゃん」が始まっていた。終わりの歌、小山田圭吾が作ってんだな。

1999/1/25

仕事。あっと言う間に一日終わり。
帰りの音楽、青山陽一「So Far So Close」 。いやーめちゃくちゃかっこいいよ。艶っぽいボーカルにギターがもう最高。特にシングルにもなった「最後はヌード」がいい。3回もリピートした。こういう曲がチャートを賑わせないなんてほんとどうかしてる。安室の新曲なんかよりよっぽどキャッチー、サムエルも悪くないけど深みが違う。音楽によってどこか遠くにつれて行かれちゃう感じ。ロックの持つこの昂揚感。バンドしたくなっちゃったなぁ。なんてほとんど楽器できないけど思う。

1999/1/26

帰りの音楽、井出靖「PURPLE NOON」。大人の音楽。僕は子供なのでまだちょっとこの良さがしっくりくるには時間がいるかな。今村荘三「笑う大阪人」読了。

1999/1/27

帰りの音楽、篠原ともえ「メガフォンスピークス」。ちょっとびっくりするぐらい良く出来たアルバム。ムーンライダーズ岡田徹山本精一伊藤俊治のユニット、ya・to・iや小西康陽バッファロードーターなど強者たちが参加し、ポップとアバンギャルドの限りをつくしてるのだが、それを受け入れ、自分のものにしてしまうだけの大きさが彼女にはある。中ジャケの恐ろしくイノセントな彼女の笑顔を見て「女の子にはやっぱ、かなわないなぁ・・」とつくづく思う。それとこのアルバム聴いてちょっと思い出したのが80年代初頭に活動した、ちわきまゆみが在籍してた「MENU」というバンド。
彼らの「みあげたNyang Nyang」という名曲をぜひ彼女にカバーして欲しい。

1999/1/28

ちょっと風邪ぎみで喉が痛い。しかしそんなことはお構いなしに仕事。集中力続かないのでさっさと仕事終わらせ帰る。明日できることは今日しない。
で帰りに梅田のタワーで五島良子「シアンの羽根」購入。帰りの音楽、またも青山陽一。ほんといいよ、これ。

1999/1/29

喉が痛く、なんか詰まってるような感じが続きほとんど寝れない。2時間寝たかどうかというところでもう朝。仕事へ。やっと仕事終わったと思ったら今日は人事異動にともない歓送迎会ということで課の人たちと飲みに。つまんないだろうなという予想は外れることがない。もういろいろ考えるのはやめにして飲んで食べることに専念。一番端っこで先輩と当たり障りない話して終わり。とっとと帰る。こういう時は音楽しかないとディスクマンをオンするがうんともすんとも言わない。調べて見るとCDをセットしてくるのを忘れていた・・・。12時前、大津に降り立つと凄い雪が降ってる。寒い・・・。

1999/1/30

朝、会社に出て「おはよう」といった自分の声に驚いた。完全につぶれている。「ボヘミア~ン」と歌いたくなるような葛木ユキ声になってしまった。電話に出ても客から「どーしたの、その声」といわれ、回りの女の子たちから「凄い声ですね」「だいじょーぶですか」と笑われる始末。仕事後、先輩、後輩とゴルフにいく予定だったがあまりの寒さと体調不良で中止に。
おとなしく帰ろうと思ったがやっぱり梅田の本屋に立ち寄りロッキングオンから出た松本人志の語りおろし本「松本坊主」購入。タワーでカーネーションのシングル「たのんだぜベイビー」。ここんとこ昼休み見てる松本隆のHP「風待茶房」での松本隆細野晴臣対談があまりにおもしろいのでついはっぴいえんどの「風街ろまん」買ってしまう。
このアルバム、聴いてて当たり前なのになぜか聴く機会なく今まで聴いてなかったのだ。

1999/1/31

私も妻もちょっと風邪気味。元気なのは娘だけ。買い物行って家族の為に昼食作る。今日は鍋焼きうどん。毎週このパターンだな。
でこうなればいつものようにビデオチェック。「いろもん」ゲスト中村有志。小学生の時、テレビ演芸で彼のパントマイムを見てめちゃめちゃ感動した。「壁」は鏡の前でかなり練習したのでちょっと自信あり。続いて「ナイトインナイト八方の演芸もん」太平シロー、弟子のかつみと10年ぶり漫才というので見ないわけには・・。師弟漫才大会ということでまずはぼんちおさむ吉田ヒロ。この二人が師弟関係とは知らなかったが漫才は最悪。おさむは例の「おっおっ、おさむちゃんでーす」に縛られすぎている。ぼんちの面白さは無軌道な勢いではなくオーソドックスな中のかわいさだったはず。続いて海原やすよ、ともこと中田ボタン。突っ込みの達人ボタン師匠に若手実力派やすよ、ともこまずは手堅いあがり。やすよ、ともこはともこの漫才師としての華、そして反射神経の良さはいまさら言うまでもないが、やすよの突っ込みもうまいんだよね。
変に力んだところがなく浜田病にもかかってない。中川家もそうだけど兄弟コンビは突っ込みに変な気負いがなくて安心して見てられるんだよね。
でついに太平シロー登場。今や手堅い仕事ぶりで関西漫才界の一番バッター(漫才番組でトップに登場することが多い)どんきほーての太平かつみの好リードはあったもののやはり10年のブランクは長かった。客席を見ようとしないシロー氏に昔の勢いはない。
しかし後半になってあの坂東英二のものまねを披露。一気にシローの目に自信が戻る。
サブローもそうだが昔から素のときよりものまねしてるときのほうが俄然饒舌で勢いがあった。そうか、ここにシロー復活の糸口が。トータルでいうとまだリハビリは必要だがものまねの腕は落ちていない。
で続いて衛星でやった松本人志のドキュメント「松本人志の本当」。笑いの求道者・松本氏はこのままどこにいくのか?彼について論じるなんて今の僕には無理である。ついて行くだけで精一杯だから。それにしても会議室でつぶれたコンビニの寿司を前に「このつぶれかたおもろいなぁー」「これ最高やなぁ」と男たちが語り合う姿に感動した。
これぞ男の仕事。