日々の泡。

popholic diary

青春はいちどだけ

カメラ・トークさて、早速ですが今日聴いてたのはフリッパーズ・ギター「カメラ・トーク」。再発を目前に巡回先のブログ各々がフリッパーズ話してるのを読んで聴きたくなった。
いつものごとく音楽の話は書けないので、フリッパーズを巡る自分史を紐解こう。最初に聴いたのは89年の後半だったか。それまでどんな音楽を好んで聴いてたかというと84年にリアル・フィッシュと出会って以来、Shi-Shonenにポータブルロック、ピチカート・ファイヴPSY・Sパール兄弟に、もちろんムーンライダーズに行って鈴木さえ子カーネーションも聴くわなぁ…という具合。ひらたく言えば「ポップミュージック」。YMOよりちょっと後の世代(好きなアルバムは「浮気なぼくら」だし、YENレーベルというより、ノンスタンダード、テント、MIDIっていうあたり)。なにせもうモテなかったから、音楽しかなかった。学校とレコード屋と家のトライアングル地帯で中学〜高校を過ごしたわけ。時はバンドブーム全盛でとにかく不遇にも程がある扱いを受けていた「ポップミュージック」。唯一の情報源だった「テッチー」誌は高野寛遊佐未森の表紙号で廃刊になる始末。ま、それでもとにかく好きだったわけだ、「そのての」音楽が。そんな訳で多分フリッパーズの前身バンド「ロリポップソニック」の名前も、「テッチー」の小さな記事で見て憶えてた。で89年の夏、僕は18歳。大学に入学して僕はチョットだけ「青春」なんてやつを実感した(なにせ中学〜高校と暗かったからなぁ。友達なんていなかったし)。そんな時に聴いたのがフリッパーズ・ギターのファースト「海に行くつもりじゃなかった」。買うまでのことも無いかとレンタルで済ませた。それまで聴いていたポップミュージックは、伯父さん、お兄さん世代の人たちが作るものだった。それが彼らはたった二歳しか違わないほぼ同年代。全曲英語で歌っちゃったりなんかして、センス良くってお洒落でね。冴えない大学生の僕にはそりゃ眩しかった。学食で123円(税込み)のきつねうどんばっかり食べてた僕には「コーヒーミルククレイジー」なんてセンスは欠片も無かったね。宝島なんかのインタビュー読んでも、イチイチ鼻につく感じで。でもよく聴いた。小山田-小沢の二人になってのシングル「フレンズ・アゲイン」からは購入するようになった。セカンド「カメラ・トーク」を買った日のことは良く覚えてる。90年6月の雨の日。大阪梅田にできたばかりのロフト、その中にあったWAVEで買ったんだ。駅前のレコード屋じゃ考えられない品揃えで眩暈がしたよ。「ムーンライダーズ」ってちゃんとコーナーがあるだけで感動した。「マ行」の棚じゃないんだもん。で「カメラ・トーク」。聴いた印象は「なんたるポップな!Shi-Shonenみたい」って思ったな。実際、ミュージシャンのクレジットに福原まり、渡辺等、さらに矢口博康中原信雄佐々木麻美子(!)なんて名前があるのを見て妙に納得したしなんか嬉しかった。不遇にも程があったポップミュージックが、彼らの若さと勢いを通じて陽の目を見たような気がして。でもとにかく曲が好きだった。「ラテンでレッツ・ラブまたは1990サマービューティー」はさわやかな休日の朝には何回も何回も聴いたし、「午前3時のオプ」は眠れない夜に何回も何回も聴いた。お洒落でファッショナブルで…なんてホントはどうでも良かった。心躍るポップミュージック、切なくて悲しくて胸に響くポップミュージック。それだけで僕には大切なアルバムになった。
ふーっ。ほらね、自分の事しか書けないでしょ。とりあえず続きは後日。