日々の泡。

popholic diary

水道橋博士「藝人春秋Diary」のはなし。

2021年10月18日、水道橋博士著「藝人春秋Diary」が発売された。

「藝人春秋」(2011年・文藝春秋刊)、そして「藝人春秋2上・下」(文庫化の際は「2」「3」表記・2016年・文藝春秋刊)に続く、水道橋博士のライフワークでもある「藝人春秋」シリーズの最新作だ。

週刊文春」に「週刊 藝人春秋Diary」として2017~2018に連載されたものに「その後のはなし」を加え再構成した作品で、江口寿史による60点にも及ぶ挿絵をすべて掲載。紆余曲折の末、連載していた大手出版社・文藝春秋からではなく、名前通りのスモール出版から出た560ページに及ぶ大著である。

週刊誌連載ということもあり、その時々の時事ネタを交えながら、博士がそれまでに出会った人たち、観てきたもの、触れてきたもの、感じたこと、考えたこと、様々なスターダストメモリーがそのすべてに日付を記したうえで綴られている。

2017年の元旦、家族旅行で訪れた沖縄でのエピソードから本書は始まる。舞台は賑やかなお正月の空港。一人の男を巡って水道橋博士ファミリーが会話を交わす。まるで映画のオープニングのような場面が「予告編」となり、沖縄の地で「スター(星)」キングコング西野亮廣と偶然のような必然で出会い、「本」について語り合った夜。この大著への期待が膨らむ、オープニングにふさわしいエピソード。

そこから、博士が出会った様々な人々とのエピソードが綴られていく。一つのエピソードが、膨大な過去の記憶を呼び起こし、また新たなエピソードを生む。星と星を結び星座を形作るように。

大好きなエピソードがいくつもある。例えば「竹下景子」の章。中学時代、一つ上の先輩が同人誌に寄せた--日記の文字がやがて音符になっていく--そんな独創的で先鋭的な小説に魅了され感激し、博士はその先輩に恋文ともいえるような手紙を送る。時は過ぎ先輩は高名な劇作家となり竹下景子主演の芝居を博士の地元・高円寺で公演する。そして40年の時を越えて、博士はかって恋文を送った先輩・坂手洋二と出会う。一編の短編小説、それも中学生が校内の同人誌に寄せただけの小さな小さな作品。その小さな作品に心奪われた同じく中学生の一人の読者が大切にその同人誌を保管し、40年の時を経てその小説のコピーを手に作者と邂逅する。こんな幸福な再会ってあり得るの。実に素敵な大河ロマンじゃないか。このエピソードを読むたびにとっても幸せな気持ちになる。

小泉今日子」の章も大好き。博士が敬愛するキョンキョンと出会った話を、メイク中の大久保佳代子に語る模様が描かれるのだが、その言葉の小気味よいリズム、大久保佳代子との会話から生みだされるグルーヴが実に気持ちいい。大久保佳代子本人の声が頭の中に聞こえてくるし、化粧前でどんどん「顔」が仕上がっていく様のなんともいえない可笑しさ。まるで講談のようにリズミカルな言葉に乗せられ、ストンとオチが決まる。この軽やかで爽やかな読後感は「藝人春秋」シリーズの新境地なのではないか。日記芸とも呼ぶべきキャッチーでグルーヴィーな一編。

三章には「藝人春秋」シリーズに又、又、又、三度登場、今回も博士を散々な目に合わせるのが「三又又三」だ。
なぜか「水戸黄門」をキーワードにその天才性を描くTBSアナウンサー「安住紳一郎」の章には、同じくアナウンサーの先輩・古舘伊知郎が客演し、安住の人間味溢れる一面に触れる。
古舘伊知郎は、この本に何度も現れる。
連載時、世間を賑わせた女性議員による「このハゲーーッ!!」騒動から「カツラKGB」として看過できないとばかりにその動向をハゲしくチェックする「O倉智昭」も「藝人春秋」シリーズの常連メンバーだ。
これらのエピソードでは「藝人春秋」シリーズのお約束ともいえる過剰なまでの巧みな言葉遊びがしっかり披露される。漫才師・水道橋博士の「芸」が感じられて、これまた楽し。

エピソードはまだまだ続く。人気を博した倉本聰脚本のドラマ「やすらぎの郷」からは「なんでも鑑定団」で一切喋らないことが話題になった「石坂浩二」が登場。人気番組「世界まるごとHOWマッチ」で共演した師匠・ビートたけしの言葉を引き、その博識で饒舌、魅力的な人物像に迫る。
そんな石坂浩二とかって恋仲だった「加賀まりこ」が続く。自身の生き様を描いた著作「とんがって本気」の書評を雑誌に寄せた博士を見つけ、彼女がとった行動は実にかっこよく、女優・加賀まりこのさっぱりと気高い魅力が溢れている。
和田アキ子」の章では50周年記念ライブから様々な「伝説」を振り返り、番組共演時に和田アキ子が見せた芸能人としての矜持に涙する。
またユーミン松任谷由美」の章では壮大なライブを4歳の息子と二人鑑賞したエピソードが語られ、その中には息子・たけし君が絵日記に書き残した文が引用される。4歳の子の小さな胸に残った大きな世界の光景。ライブ後楽屋裏で繰り広げられる大冒険も微笑ましい。
これらのエピソードでは芸能界で大御所と呼ばれる人たちの大御所たる所以が芸能界に潜り込んだジャーナリストの視線で活写される。

そして、人物描写は日本の芸能界だけにはとどまらない。
ウディ・アレン」の章ではNYでウディ・アレンと知り合った若い女優の話を聞き出し、その現役の都市伝説どおりの「ウディ・アレン」の「ウディ・アレン」ぶりに感嘆する。

世間を騒がせた時事ネタもどんどんと取り込まれていく。
「中学生へのビンタ」が世間をにぎわせた「日野皓正」の章ではダウンタウン松本人志爆笑問題太田光のそれぞれの見解を比較、その上に師匠・ビートたけしを置き、重層的に騒動を論じながら、最後は自身の体験した猪木の「闘魂ビンタ」エピソードでオチをつける。
離婚騒動の「松居一代」の章ではサスペンス仕立てで、著述家・紀田順一郎の著作「蔵書一代」を絡め「本」への偏愛が綴られるが、鋭い角度のオチを決めている。
人気が爆発した「ポケモンGO」に水を差し逆に大炎上となったクイズ王にして漫画家「やくみつる」には大量の火薬を仕込んで駆けつける。

文化人枠からは「みうらじゅん」。人違いエピソードはオープニングの沖縄旅行が舞台。その後、同趣向のエピソードの数々を陳列し、お風呂場での“珍”事件は爆笑必至。お風呂場での“珍”事件は爆笑必至。
そして博覧強記「荒俣宏」。驚くべき書籍蒐集エピソードに博士が目の当たりにした知の巨人ぶり。「藝人」という括りながら、こういった異色な人たちまでもが登場するのが面白い。彼らもまた「“藝”人」と呼ぶにふさわしい。

「オフィス北野」お家騒動のさなか共演した「新しい地図」とのエピソードでは「SMAP」と「たけし軍団」芸能界を長く生き抜いてきた二組が交差し、新しい一歩を踏み出すべく互いにエールを送り合う。
日本のスーパーアイドルの後には、韓国のスーパーアイドル「BIGBANG」が続く。リーダーG-DRAGONと誕生日が同じというわずかな接点すらも星座とみなし、そのスーパーな魅力を熱弁。

さらに音楽家枠。
若き音楽家であり、芥川賞候補の「尾崎世界観」とは、知られざる星の繋がりを感じさせる「文」を通じたエピソードが。
浅草キッド」の出囃子「東京ワッショイ」を唄った純・音楽家遠藤賢司」への追悼も。博士が最後に観たエンケンのライブ。そこには町山智浩が、宮藤官九郎が、園子温が、さらには遠藤ミチロウPANTAあがた森魚そして鈴木慶一が。星が一堂に会する人間交差点。その奇跡的な一夜に心震える。

さらに博士が愛好する格闘界からは格闘界の未来を背負う「那須川天心」を「藝人春秋」のリングにあげる。古典「平家物語」の那須与一の逸話をなぞり、その若き天才ぶりを讃える。
浅草キッド」の弟子「東京ダイナマイトハチミツ二郎と対戦するのはMr.ライアー・「大仁田厚」。その「ファイアー!」な対戦の場にはマキタスポーツプチ鹿島猫ひろしなどが顔を見せる。

「芸人」たちもたっぷり登場する。
笑点」の司会に就任した「春風亭昇太」。「昇天」疑惑が飛び出す、世にも珍妙な艶話。驚くべきことにこれが実話なのだから……。本人もお困りのことだろう。
松本人志」の章では、芸人の敬称についての考察。そして、その才能に敬意を込めて描き出す。
続く「萩本欽一」の章では笑芸史を紐解きつつ、それぞれが一国一城の主であり、弱肉強食の「野生の王国」であった芸人の世界が変化していくことについて。М―1王者・ウーマンラッシュアワー村本大輔」の章を通じて社会における芸人の存在とは?を問いかける。
また「島田洋七」の章は愛すべき芸人らしい芸人の姿が見える。ビートたけしの助言により「がばいばあちゃん」を書き、自力で大ベストセラーへと導いたそのバイタリティと「負けない組」の精神は今の博士にも通じている。博士が母の死を知った後、声をかけ肩を抱いたのもまた島田洋七その人だった。それもまた星の導きのようだ。

前作「藝人春秋2」のラストは「芝浜」と題し、立川談志と泰葉のエピソードが描かれている。まさにその後日談と言えるのが「春風亭小朝」の章。新幹線の車内で小朝が語る談志噺は美しい芸人論となり、博士の胸に刻まれる。
大竹まこと」には大瀧詠一との接点があり、こちらも「藝人春秋2」の後日談になっている。物語は現在進行形で続いている。星が星を呼び新たな物語へと発展していることがわかる。
笑福亭鶴瓶」の章では博士の母方の実家である「カモ井」がCMタレントとして若き日の鶴瓶を起用していたという知れれざる逸話が飛び出す。本人が語りださなければ誰もこんなことは知らないままであろう逸話だ。この逸話はももいろクローバーとの番組「桃色つるべ」で披露されるのだが、その裏には二つの別れの物語がある。一期一会の達人ともいえる笑福亭鶴瓶師匠の呼んだ奇跡のようでもある。

連載時に起こった出来事や自身に降りかかった騒動もネタになっていく。例えば爆笑問題太田光ナインティナイン岡村隆史との3すくみの「スリービルボード」ならぬ「スリーボードビリアン」騒動。「その後のはなし」ではその顛末や真意、拗れ続ける太田光との関係についてもしっかり綴られる。個人的には水道橋博士太田光の二人を繋げるのはやはり文だと思う。いつか二人が「たけし」について、「談志」について、「芸」についてを往復書簡でやり取りした本を出してほしい。タイトルは「こじれる二人」で。なんて、これはまた別の話。

登場するのはエンタメ界の住人だけではない。政治家たちもその俎上に載せられる。まるでドミノ倒しのごとく負の連鎖が続く政治家・石原伸晃。そのドミノを最初に倒したのが誰あろう、怪芸人・コラアゲンはいごうまんだった!という笑激スクープ。4年たった今もなお現在進行形で「おマヌケ」エピソードを更新しているという奇跡。
懲りずに何度も失言を繰り返す「麻生太郎」。漫画好きという側面を最初に世に放った博士が製造者責任を感じて、舌下事件の深層を考察する。
映画「華氏911」を巡って、後に総理の椅子に座ることになる「安部晋三」とのスリリングな会話を再現。
片山さつき」のテレビ局での無慈悲なふるまいにも容赦ない。(江口寿史の挿絵が、若い頃の本人を描いていて実に皮肉めいている)
「自分のことをエライ」と思っているかのような政治家たちに芸人・水道橋博士は対峙する。彼らの言葉、振る舞いを注意深く観察しその本性を炙り出す。さらにもう一人の政治家「野中広務」を置くことで、彼らの薄っぺらさが相対化されより鮮明になる。常に弱者の側に立ち、「勝ち組・負け組」には入らない「負けない組」を自認する水道橋博士の信念が垣間見られる。

全てのエピソードに添えられる江口寿史による挿絵もまた素晴らしい。美人画の名手、江口寿史が博士の出すお題に「絵」で応えていく。3枚収められた「ビートたけし」の肖像はどれも額装したいほどだし、「笑福亭鶴瓶」「高田文夫」「荒俣宏」といったおじさん画も素晴らしい。特に傑作なのが「太田光」。その目線、への字に曲げた口、いたずらっ子のようでもあり、狡猾な老人のようでもあり、芸人・太田光の芯を捉えたなんとも魅力的な絵である。この絵を受けて爆笑問題江口寿史をラジオのゲストに招く。リスナーからの「描きたいタレントは?」の問いに「吉岡里帆」と答えた江口寿史。早速そのリクエストに応え彼女のエピソードを綴る博士。そして江口寿史は絶品の美人画を仕上げる。そんな文と絵で交わされる二人の会話も本書の見どころ、読みどころ。
美人画と言えば島田洋七の姉さん、ビートたけしもその美しさに驚いた「剛力彩芽」のサイドストーリーも語られる。ここでは博士がかの前澤友作から口説かれた!?エピソードが。

さらにエピソードは続く。面白いのが「太川陽介」の章。妻・藤吉久美子に放たれた文春砲から「バス」をキーワードに「ぶっちゃあ」「蛭子能収」に乗り継ぎ語られるエピソード。そこには「たけし軍団」の結成秘話、「たけし軍団ファミリーヒストリー」と呼ぶべき話が、3週連続のバスにちなんだ連作で語られる。
続く「浅野忠信」の章では彼の「ファミリーヒストリー」が取り上げられ、「たけし軍団」との接点が浮かび上がる。

そんな中で起こる「ビートたけし独立」という衝撃の「オフィス北野」お家騒動。この騒動は連載時に起きた最大の事件だろう。「たけし独立」のスクープが放たれた日、その同日の二つのニュース「ホーキング博士死去」「オウム死刑囚移送」を絡め師匠への想いが綴られる。
どんな状況になろうとその師弟関係は揺るがない。博士にとって変わらぬ北極星であり続ける師匠・ビートたけし。その想いは本書のみならず博士の全ての言動に通底している。Netflixで配信が開始された「浅草キッド」が話題だ。若き日のビートたけしと師匠・深見千三郎の物語。そしてこの「藝人春秋」シリーズはもう一つの「浅草キッド」の物語と言えるだろう。そこには常に師匠であるビートたけしへ深い愛情と憧憬がある。ビートたけし深見千三郎を想うように、水道橋博士ビートたけしを想う。父から子へ、子から父へ。想いは交差し何物にも代えられない深い絆を生む。親子の関係を越えた師弟の関係。揺るぐことなどあろうはずがない。
博士は自分自身も関わる歴史の渦中で日記を綴りながら、やがて自身のファミリーヒストリーに踏み込んでいく。

倉敷出身の俳優「前野朋哉」のポスターを臨み、博士は青春時代を過ごした倉敷での日々を想う。悶々とした日々を過ごしながら夢見た「映画」や「文」の世界。青年「小野正芳」が憧れたルポライター竹中労」が伏線となり「樹木希林」との出会いにつながっていく。
まず稀代のロッケンローラー「内田裕也」との危険な邂逅がある。そして、今そこにある危機とばかりに「樹木希林」が博士の前に突如、降臨する。
樹木希林」とのエピソードを読むと人生の巡りあわせとはなんて不思議で素敵なものなんだと思ってしまう。反骨のルポライターに憧れた青年はやがて漫才師となり、ルポライターの目で芸能界を観察し「文」を書き始める。その「文」がきっかけとなり憧れたルポライターとも親交が深かった反骨の女優と出会う。そして女優は言う「あなたは私の同志なんだから!」と。二人が顔を合わせた時間は決して長くはないけれど、「女優」と「漫才師」という肩書を越えて、人として心の奥の深いところで二人が通じ合ったことがわかる。

いやはやなんとも凄い話があったもんだと驚いていると、間髪入れずにさらに上を行くエピソードが披露される。「人生の予告編」真打、古舘伊知郎の登場である。しかし、最後に古舘伊知郎が登場することは、この本の前の章で「予告」されているのだ。
古舘伊知郎による「人生には予告編がある」という驚愕のエピソードを受け、水道橋博士はこの芸能界最強の語り部に自らの「人生の予告編」エピソードを語りだす。語り部が、最後は聞き手となる構成の妙。
それは妻との出会いの物語。赤い糸ならぬ「文」という蜘蛛の糸で結ばれた二人の驚くべきエピソードはぜひ本書を手に取って読んでいただきたい。江口寿史画伯によるキュートでまぶい博士の奥様のイラストも必見。しかし話は二人だけの物語にはとどまらない。

最終章は母の死を師匠・ビートたけしに伝える場面から始まる。お通夜から葬儀での出来事が母への想いとともに綴られる。葬儀の際に博士は兄から生前、母が語っていた言葉を聞かされる。その言葉もまた「人生の予告編」だった。母は「文」が我が息子を救う大切なものだということをわかっていたのだ。そしてその2日後、妻の祖母の訃報が届く。この「妻の祖母」の存在が博士と奥様の物語を師匠・ビートたけしにまで繋げることになる。

2016年12月、NHKで放送された「ファミリーヒストリー 北野武」編。ここで発掘された歴史的な事実は驚きに満ちたものだった。亡くなった「妻の祖母」が北野家と密接な関係にあった事実の全貌が判明するのだ。
博士と奥様、二人を結んだ蜘蛛の糸のさらに奥には師匠・北野武とのつながりがあった。二人を結ぶ糸は蜘蛛の巣のごとく張り巡らされた歴史の中の一本であり、その糸の向こうには無限の広がりと不思議な縁が隠されている。注意深く糸を辿ればそこに宿命すら見えてくる。

筆者はこの本の出版後、17万字、新聞紙大12頁に及ぶ「1962-2021水道橋博士Life年表」をWebショップ「はかせのみせ」から購入した。文春での連載からこの「藝人春秋Diary」が生まれるまでの3年強がどれだけ険しく長い道のりだったのかを知った。博士は編集者・箕輪厚介との「HATASHIAI」で実際に殴り合う戦いにより歯を失い、満足に喋ることができなくなってしまう。漫才師としては致命的ともいえる状態となり、やがて1997年から更新され続けてきた日記は更新がストップ、博士は体調不良による長い休養生活に入っていく。
年表にはその期間、博士のそばに寄り添った奥様の日記が引用されている。それは想像をはるかに超える過酷なドキュメントであった。その中には衝撃的な一文がある。「もう日記も書かないし、本も書かない」。博士はそんな言葉を口にするまでに至っていた。
だが博士の日記の空白を、奥様の日記が埋めた。博士が「文」を手放そうとしたとき、寄り添い、見つめ、「文」で「文」を繋いだのだ。

日々を克明に記したダイアリーを通して「小野正芳」のファミリーヒストリーと「水道橋博士」のファミリーヒストリーが重なり、混ざり合っていく。ダイアリーの積み重ねがヒストリーを生む。日記を書くということは自分を見つめることだと思う。誰かが見ているんじゃない。自分が見ているのだ。だからこそ自分に恥じない毎日を送ろうとするし、懸命に生きる。そうして積み重ねた日々はやがて歴史になる。歴史はより良く生きた証なのだ。そこに都合のいい改竄なんてありえない。だって自分が見ているんだから。

「日記は俺の情熱、そして業」古川ロッパの言葉を引き、博士は「日記芸人」宣言する。2020年12月、博士の日記はついに再開する。再開された日記には毎日の食事や散歩、出会った人、感じたこと、観たもの、聴いたものが克明に記される。博士は日記再開を皮切りに本格復帰。ライブイベント「阿佐ヶ谷ヤング洋品店」こと「アサヤン」を旗揚げ、驚異の週イチのペースで敢行する。再開されたYouTubeでは「博士の異常な対談」をスタート。博士らしい、濃すぎる人選のインタビューが続く。連日行われるツイキャスではファンと語らい、イヤァーオと歌い、時に酩酊し寝落ちする姿すら見せる。もはやうんことちんこ以外は全て丸見えのリアル・トゥルーマン・ショー、人生を全録するかのように自分自身をさらけ出している。相変わらず徹底して過剰である。以前はその過剰さが危うく感じられることもあったが、復帰後の今は別の印象がある。不思議な多幸感、生の喜びがそこに感じられる。食事や散歩、人との出会い、語らい、学び、発信することすべてがより良く生きることに直結している。

Life goes onでありLife is Beautifulがそこにはある。

「藝人春秋Diary」に戻ろう。表紙には江口寿史画伯の手によるまっすぐに前を見る水道橋博士の肖像が描かれている。その目は出会った人々を見つめ、自分自身を見つめ、過去を見つめ、未来を見つめている。
帯文を担当するのは浅草キッドの育ての親であり「ボクを"文"の世界へいざなった師匠の一人」である「高田文夫」。心肺停止から生還し、今またラジオでは黄金時代では?と囁かれる高田先生による帯をめくれば「TAKESHI」の文字が胸に刻まれている。

そして本書の最後に置かれたのは江口寿史画伯によるある女性の似顔絵。どの挿絵より愛らしく輝いていて、希望の匂いがする。日記は歴史になり、「文」は未来につながっていく。

本書が発売された後のイベント「アサヤン 藝人春秋Diary大読書会」で、出演者の元「浅ヤン」ディレクターの高須氏は「読んだ後、家族の話がしたくなる」と言っていた。同感である。読み終わった時、浮かんだのは、母の顔であり、妻の顔であり、娘の顔だった。もちろん、恋人や親友の顔を思い浮かべる人もいるだろう。本書を読むと大切な人たちの顔が浮かぶはずだ。そして今日を、明日を、未来を、より良く生きようと思うだろう。もしかしたらこの本を読んで感じたことが「人生の予告編」になるかもしれない。いつか過去が未来を照らす。日記がその証明となる。

水道橋博士は今日も日記を綴っている。きっと明日も綴るだろう。「水道橋博士は日記をつけるために生きているのだ」。

ということで、水道橋博士著「藝人春秋Diary」おすすめです!

 

藝人春秋Diary

藝人春秋Diary

Amazon