日々の泡。

popholic diary

休日日記。20180924

また随分と開いてしまった。最近は疲れている。仕事は正直しんどい、精神的に。どうにかこうにか立っている。そんな状態でもある。

少し距離を置いて、余暇を楽しもうとするけれど上手く行かない。いや、まぁ昔に比べたら恵まれているのだが。愚痴っぽい話はやめよう。

金曜日、仕事で神戸へ。帰りにシネリーブル神戸によって映画を一本。ホン・サンス監督の「クレアのカメラ」。キム・ミニが相変わらず魅力的でいくらでも観ていられる。しかしシネ・リーブル神戸、とてもいい映画館。近くにあったら通っているな。

行き帰りの車中ではradikoで「杉作J太郎のどっきりナイトナイトナイト」。今一番面白い番組じゃないか。結局、ラジオって面白い人の面白い話が一番面白いのだ。企画やマーケティングなんて何の意味も無いよ。はっきり言って。

NHK「透明なゆりかご」の最終回。素晴らしかった。

土曜はダラダラと過ごし、夕方から旧大津公会堂で寺尾紗穂さんのライブ。デビュー時からずっと追いかけているアーティスト。この人はもうちょっと別格。ほんと格が違うという感じ。楽曲のクオリティ、その表現力、切り口、深み、鋭さ、もうすべてが別格なのだ。それはもう誰もが曲を聴けば理解できると思う。時として、生と死の匂いが濃厚に立ちこめ、過激さやエロティシズムすら感じる。父である寺尾次郎氏について書いたエッセイも素晴らしいもので、その冷静な視線はクールといったものではなく、もっと深いところで見えているからだ。MCでは吉原聖洋さんにも触れていた。人生は短い。歌を聴きながらいろいろ考える。

先日亡くなった樹木希林さんの生き方だとか、「透明なゆりかご」で描かれていたこととか、寺尾さんの歌だとか、が繋がっていく。大切にすべきものとは。ささやかな暮らしの中に生と死が同居している。それを想えば、自分自身に対して嘘つきであったり、卑怯であったりすることはできない。そしてそれは他者に対してもだ。

国や政治や会社じゃなく個人を尊重する。自分に対しても他者に対しても。

あまりにも酷い出来事ばかりが目につく。言論の自由だとヘイトを撒き散らす人々がいる。高名な出版社がそれにのっかり、政権がお墨付きを与える。そんなのはクソだよ、やっぱり。

「戦争に反対する唯一の手段は、各自の生活を美しくして、それに執着することである。」改めてこの言葉を胸に刻む。

ささやかな個人の暮らしを大切にすることは、簡単なようで簡単ではない。だから心に刻み、努力する必要もあるのだ。自分にできているかと問われれば、冒頭の通り上手くいかないことも多い。でも、それでもそれを他者にぶつけて憂さ晴らしするような振る舞いはしたくない。

映画や音楽、ポップカルチャー。それはささやかな暮らしの中で生まれた愉しみの工夫であり知恵である。そんなことを想う。