日々の泡。

popholic diary

そして今でも

金曜。ま、イロイロあるがまずはお仕事。
で今日聴いてたのは松江潤「SUNNY POP GENERATION」。今週は隠れた名盤特集ですな。93年作品。プロデュースはカーネーション直枝さんでカーネーション全員参加。っつーか音はもう当時のカーネーションそのまま。当時は各レコード会社、ポスト・フリッパーズ作りにやっきになっていた頃で、これなんかはモロにそう。松江潤はいまや売れっ子のギタリストでありプロデューサーであるが、当時は新進気鋭のギタリストで、このアルバムではバックはカーネーションに任せてシンガーソングライターに徹しているという感じ。後に「オーバープロデュースだった…」とは本人の弁。確かに後のネオニューウェーヴィーな活躍ぶりからすると軽やかなサウンド、キャッチーなメロディ、もろ「フリッパーズ風」な詞…と狙いすぎだったかも。が当時5人体制で上り調子真っ最中だったカーネーションの演奏はさすがに完璧。聴いててめちゃめちゃ気持ちいい。ここに直枝さんの歌がのると一気に濃度が高まるだろうが、アクの無い松江氏の歌がのるとさわやかさ全開。直枝さんプロデュース作としては、青山陽一「SINGS WITH THE BLUEMOUNTAINS」がマッドでダークであるのに対して、こちらはまさにサニーサイドというところか。
で話変わって、会社帰りに映画。松岡錠司監督「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」観る。
とても丁寧に愛情をもって作られた映画で、ホッとした。あぁこういう映画になって良かったなぁという気持ち。内容については今更何も言うことはないだろう。見事なまでに消費されきったこの作品。ボクはへそ曲がりだからリリー氏の文章は相当初期から大好きだったが、原作本はなかなか手を出せずにいた。結局は読んだんだけど、「泣ける」なんて言われるたびに冷めていくような気分だった。でも、この映画は素直に良かったと言いたい。松尾スズキ氏の脚本は、おいしいエピソードをつまみ食いするようなことは一切せず、その行間や頁と頁の間の部分を掬い取った見事なものだった。そして松岡監督もまた、一歩引いた目線で淡々と物語を紡いでいく。いや、これは物語じゃない。風景だ。僕たちが生きている、この世界の風景を描いている。リリーフランキー氏の徹底的に私的な話、マーケティングされた「みんな」に向けてではなく「個」の想いだけが生み出した言葉は、それ故に誰しもの胸の奥の一番深いところに響いたのだと思う。そこをちゃんと理解して映画は撮られていて、とても嬉しかった。淡々とリアルなその風景は、ボクにはとても生々しいものだった。例えば、病室のオカンがボクに向かって朦朧とした意識で幻覚とも思えるような言葉を吐くシーン。ボクはその言葉に動揺し、涙が溢れ出し、ただ受け入れるしかない。このリアル。
父が死ぬ数週間前、外泊許可をとって家に帰ってきたことがあった。その夜、僕が父の様子を見に行くと父は夢の中にいるように意味不明のことを僕に向かって話し始めた。父の目を見つめてただ「わかった、わかったよ」と受け入れるしかなかった。あの時の気持ち。あぁ父は現実とは違う世界にもう一歩踏み出してしまったのだという諦めのような気持ち。その後、僕は二階に上がる階段の途中で泣き崩れてしまった。
とそんな風に誰もが自分自身の想いと重なり合わせる。そういうことだ。でだ。オカンの若い頃を演じた内田也哉子がいい。全然演技してないんだもん。思い出の中に住むオカンの姿。お見事。でオカンが樹木希林に替わったところで若干違和感生まれちゃうんだが、さすがに樹木希林は凄いな。数分後にはもう「オカン」でしかないのである。確かな演技力は突き抜けると演技じゃなくなるんだな。それとオトン役の小林薫も抜群。意外に良かったのが、若手の勝池涼。あっ、そうそうまた出てたよ、光石研光石研、見つけるたびにもう正の字をつけていきたいぐらいだ。
で最後にこれ言っとこう。やっぱりあの主題歌はないやろ。福山某が歌う主題歌。曲のまずさは今更言うまでも無いが、詞が酷い。「東京」「涙」「ありがとう」etc、それはね、NGワードなの!なぜ、それがわからん。あの映画の後に流れちゃ台無しだろーがよ。すいませんね、捻くれてて。でもね…以下自粛。